老女の終わり
バタバタと駆ける音が響いた。
小さな足が八本、赤を基調とした精緻な意匠を凝らされた上等な絨毯の上を目紛しく踏んでいく。
「王子、姫ともあろう方々が王宮の廊下を裸足で走り回ってはなりません!」
「ひぇー、ヨハンナだ」
「ヨハンナ、怖ーい」
「本当怖ーい」
「やべ……逃げろ」
年の頃は四つか五つくらい。
女の子はレースがふんだんあしらわれた淡色の可愛らしいドレスを着て、男の子は細かい刺繍の入った豪奢なベストとズボンを着ていた。その姿はまるで小さな令嬢令息だが、顔は炭で煤けて足は裸足で、大人と子どもっぽさをちぐはぐに合わせた雰囲気だった。
二人の王子と二人の姫は、乳母の巨壁に阻まれ、口々に戯けてぼやく。
そして、ヨハンナと呼ばれた女は腰に手を当てて仁王立ちしていた。多少皺はあるものの、綺麗な召使いだ。だが、乳母の無表情の顔には青筋が浮かんでいる。とてもご立腹なようだ。
王子と姫たちは肩を竦め、脱兎の如く乳母の前から飛び出してしまった。
「お待ちくださいませ、殿下、姫様方!!」
乳母の怒りの絶叫が城中に響き渡った。
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「ねぇ、ねぇ、おばあちゃま! ご本読んで! 読んで! いつものやつー!」
「私も聞きたい!」
「俺は別にいいや。武勇伝が良い」
「まぁ、別に良いんじゃないか?」
姫と王子たちは次に老女の部屋に押しかけると、老女を取り囲むようにしてそれぞれ言った。
「はい、はい。カトリン、エンプラ、ビルキル、アーロン」
カトリン、エンプラ、ビルキル、アーロンの姫と王子たちは、髪も目も茶色だったり金色だったり三者三様バラバラだったが、四人とも皆小さな尖った耳をしていた。
王子たちは渋々といった感じだが、姫たちは目を爛々と輝かせ、老女の周りに身体を丸めて座り込んだ。
老女はくすくす笑うと揺り椅子に腰掛ける。
そして、椅子がゆらゆら揺れ始めると、老女は耳に心地良い軋む音を聞きながら、古びた本を開いた。
「昔々、あるところに老婆のような若い娘が住んでおりました……
老婆は精霊王の娘と人間の間に生まれました。
しかし、両親の愛は偽りの愛でした。狂った愛は精霊の母から翅も永遠の命も奪い、遂には精霊王の怒りに触れました。
生まれてきた赤子は呪いをかけられ、娘は醜い老婆の姿になってしまったのです。
あるとき、老婆は聖なる矢に選ばれし聖女として、王子様のお妃として城に招かれました。
ところが、老婆は醜い顔を嫌われて、隠れて過ごさざるを得ませんでした。
そんなとき老婆は出会ったのです。
世にも美しい王子様に。
老婆と王子様は姿を隠し、声だけの密かな交流をして愛を育みました」
「この後老婆は変身するんだよね」
「ちょっと! まだ物語は途中なんだからネタバラシはやめてよ」
「俺やっぱ武勇伝が良いわ」
「でも、話は最後まで聞かないと」
四人の中で一番幼い姫が突然割って入ってきた。
当然周りは野次を飛ばす。
子ども特有の幼く高い声がやかましいくらいに部屋に響いた。
王子と姫たちによく似た老女の尖った耳にもキンキン響く。
老女ははぁーと大きく溜め息を吐いて、子どもたちの小さな諍いを聞きながら本の最後を読み上げた。
「しかし、老婆の娘は王子様と本当の愛を見つけて、遂に呪いを解くことができました。
老婆は美しい娘の姿を取り戻しました。
本当の愛はどんな魔法よりも強いのです。
そして本当の愛を見つけた二人は、お城で末永く幸せに暮らしました————とさ」
皺くちゃな老女は子どもたちの前で微笑むと、ゆっくり本を閉じた。
あれほどうるさく騒いでいた王子と姫たちも、いつの間にか最後だけは聞き入っている。
パタンと閉じれば埃が舞い上がり、小さな風が起きた。
風は老女の尖った耳を静かに擽った。
——Fin——
拙作を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
シグルンとソルヴィが無事ハッピーエンドで結ばれたことに私も安堵しています。
この小説は私が初めて書いて、初めて完結させた小説です。
テンポの遅さや物語の構成、誤字脱字に皆様にはイライラさせてしまった箇所もあったかと思いますが、最後まで静かに見守っていただきありがとうございました。
何千、何万、何十万とたくさんのネット小説が溢れる中、この拙作を選んで読んでいただきありがとうございます。
パソコンや携帯画面の向こうの顔の見えない関係ではありますが、この出会いに感謝します。改めて読んでいただき、ありがとうございました。
この縁が長く続くよう願いつつ、また次回お会いすることを楽しみにしています。
2018.7.13
狸 拝