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本当の愛(1)

 ソルヴィは息つく間もなく白い戦馬に跨り、見渡す限り広い野を駆けていた。

 後ろからは一糸乱れず従う幾万の兵士達。

 まるで地響きでも起こっているかのように轟音とともに地面は揺れ、足元から砂埃が高く舞い上がっている。

 ソルヴィは片手を挙げて後ろに合図を送った。

 ふくらはぎで馬の腹を挟み込み、手綱を臍に引きながら上体を起こすと、荒れ狂ったように走っていた馬が減速する。

 ソルヴィは(あぶみ)に立つように背筋をぴんと伸ばし、立つ座る立つ座るを繰り返し、兵士達の前をゆっくりと闊歩した。

 パカパカと小気味よく鳴る蹄の音は、まるでこれから始まる出来事の前奏のようでもあった。



「グヴズムンドゥル王国の勇敢なる騎士たちよ。裏切り者のベーヴェルシュタムに制裁を加えよ!」



 ソルヴィはよく透る勇ましい声で号令をかけた。

 剣を振り抜き馬を立ち上がらせれば、馬の前足は高く宙に浮き、後ろ足が跳躍せんばかりにしなった。

 ソルヴィの勇猛果敢なその姿は、恐ろしく美しい絵画のようだった。

 柔らかな黄金の髪も、澄み渡る青空のような青い瞳も太陽の光に煌めいている。臙脂(えんじ)色の外套(マント)は涼やかな風にたなびき、外套からは中性的な面立ちとは正反対に、逞しい軍服姿も覗かせている。女性のようにも見えるちぐはぐさがあるようで、実は秀逸に組み合わさった完璧な風貌だった。

 兵士達は一様に、彫刻を磨き込んだような美しさを放つソルヴィの険しい姿に息を呑んだ。

 そして同時に、怒号や歓声にも似た(とき)の声が天をどよもした。

 士気は十分に高まった。





****

 ソルヴィはシグルンと別れた夜、ようやくシグルンこそが聖女だと悟った。

 そこから兵を集め率いるのに三日もかかった。

 本当ならば今すぐにでもシグルンの元へ飛んでいきたい気分だが、周りの障壁を後始末する必要があった。

 しかも小賢しいことに、この国の戦力の多くをラップラントの防衛ラインに持っていかれ、手元の戦力だけではベーヴェルシュタム公爵に敵わない。

 ベーヴェルシュタム公爵が裏で動いている確たる証拠も必要だ。

 気持ちは急くばかりだが、準備が必要だった。



「陛下、謹慎の身ではありますが、恐れながら上申することをお許しください」



 王の間にて、ソルヴィは跪いて()に嘆願した。



「聖女のことなら、病に臥せっている以上、他の者を擁立するのはごく当たり前のことだが」

「違います、陛下」



 王は冷めた茶色の目で息子のソルヴィを見下ろした。

 思えばソルヴィは王を父と呼んだことがない。

 物心つく頃より王と王太子という主従関係にあり、幼心に寂しく思ったことが何度あったことか。

 王はソルヴィに厳しかった。政務に関しては殊更。

 王に見向きもされなかったソルヴィは、実は父に認められたかったのかもしれない。だから何度邪険にされても、王の後を追っていたのだと思う。



「ほぅ……何が違うと言うのか? 言ってみせよ」



 王の顔は表情が読めなかった。

 と言うより、王は昔から仏頂面だ。

 息子のソルヴィでさえ笑ったところなど見たことがない。



「まず第一に、聖女は病に臥せってはいません」



 ソルヴィはきっぱりと言い切った。

 父に面と向かって反抗するのは初めてだ。

 だが臆していては、間に合わなくなってしまう。

 ベーヴェルシュタム公爵は必ずやシグルンを始末するはずだ。

 それに……



「聖女は問題ありません。私は聖女を正妃に迎えますから」



 王の間にいた貴族達が騒めいた。

 ソルヴィは内心では鬱陶しく思いつつ、あえて皆に聞こえるよう大きな声で言う。



「ベーヴェルシュタム公爵は自分の娘を妃にさせたい余りに、聖女を病気として葬ろうと考えています。ほら、この通り。子飼いの者が白状しています」



 ソルヴィが後ろに視線を送ると、一日かけてようやく捕まえたベーヴェルシュタム公爵の手下が引き摺られてきた。一日でも十分早い方だと思うが、焦るソルヴィにとっては遅いのだ。

 シグルンに手をかけようとするなど、今すぐにでも殺してやりたいが、今は死んでもらっては困る。

 周囲は驚きと困惑に色めき立っていた。

 王だけが一人静かに話を聞き入っていた。



「恐らく今教会で問題が取り沙汰されている水の汚染も……聖女を妃に迎えないことに対する精霊の怒りなのではと考えます」



 魔法のある王宮ではさほど大きくならなかった汚水問題は、今や教会や王都に留まらず国全体に広がろうとしていた。

 この汚水問題はちょうど聖女を迎えに行った頃合いと重なる。

 聖女を娶らない時代は必ず荒れる。

 災害、飢饉、天変地異、政変、戦争。

 これはこの国における絶対の理だった。

 人間は何度過ちを犯しても懲りずに理を破り、精霊の怒りを買い、反省しては忘れる。

 愚かにもそれを繰り返してきた。



「……ですが、さらに問題なのはここからです。あろうことかベーヴェルシュタム公爵は国家転覆を狙い、近衛騎士団の一部を持ち出したばかりか、自領のラップラントで決起しているのです」



 ソルヴィの衝撃の発言にどよめきは一層大きくなった。

 そんな中やはり王だけが顔色一つ変えずにいる。



「陛下はすでにご存知ではなかったのですか? 兄であるベーヴェルシュタム公爵が裏切るということを」



 ソルヴィは疑うような眼差しで王を見上げた。

 茶色の瞳は重たく冷たい光を帯びながら、周りを呑み込むように深く濃い色をしている。

 王は大きく息を吐くと、息を吸ってしばし空気を溜め込んだ。目を閉じてから吐くよう言う。



「いかにもその通りだ」



 意外なことに王は肯定した。

 周りの人間の中には震え上がっている者もいる。



「我が国は隣国との戦争を避けるために、隣国には密かに間諜を放っているのだよ。兄上が何やらきな臭いことを考え、隣国に歩み寄っているのは承知していた」

「知っているならなぜ……!」

「余は兄上を恐ろしい人間だと思うておる。いつか寝首をかかれると思いながら、兄上を殺すことができない……」

「へ、陛下!?」



 ソルヴィは驚きで言葉を詰まらせた。

 第一政務(しごと)一筋の父が、裏で画策する兄の存在に気付かないはずがない。

 ぽろりと出た王の弱音に、辺り一同しんと静まり返った。



「兄上は笑顔の裏で狂気に満ちている。精霊さえも敵に回す恐ろしい者よ。余は兄より優れていたから王になったのではない。余は亡き父王より兄の手綱役として即位したのだ」

「……陛下……」



 王はここで初めて苦しそうに顔を歪めた。

 長年虚勢を張り続けたからか、王の顔は引き攣ったような顔をしている。

 王太子ではなかった弟が、ある日突然王に担ぎ上げられるのだ。

 その重圧は推して知るべしだろう。

 子どもの頃から冷たくしてきたことに対し、許せるかどうか問われればそれは全くの別問題だが。

 ただ、王に同情はする。



「……では、陛下。なれば私がその手綱を切りましょう。あの男は手綱で操縦できる易い馬ではありません。気が狂った老馬なのです」



 しかし、ソルヴィは力強く王に言った。

 暗に私が殺すと、そう仄めかす。



「延いては、ラップラントを攻めるために兵をお与えください。私が各領主たちと交渉し、二日以内にさらに兵を増やしましょう」



 ソルヴィの提言に王は渋面のまま深く頷いた。



「ソルヴィよ……逞しくなったのだな」

「はい。つきましては、陛下。ベーヴェルシュタム公爵を討ち取り、無事ラップラントを平定した暁には、聖女との婚姻をお許しください」

「うむ、構わぬ」



 王はどこか感慨深そうにしていたが、ソルヴィは冷たくぴしゃりと言い返した。

 ソルヴィは闘志の炎を激しく燃やしていた。

 未だかつてこれほどまでに政務や軍事に携わったことなどない。

 愛する者を守るためためなら何だってやる。強くなる。

 いつかこの父親を超えた立派な王になると。





****

 魔法の矢が雨のように次々と降る中、ソルヴィはただ一点、大将の首を狙って突き進んでいた。

 防御の呪文を唱えながら、器用に馬上から敵を薙ぎ払う。

 ソルヴィの率いる軍勢は、味方した各領主だけでなく教会も協力したため、魔法使いの多い軍団となった。ベーヴェルシュタム公爵にとってはまさに多勢に無勢。

 すでに勝敗は喫していた。



「伯父上、いくら身内でも反逆罪は死罪と決まっています」



 遂にソルヴィの目は味方の盾を失い、弱々しく震えているベーヴェルシュタム公爵を捉えた。



「ふん、な、何を……」



 しかし、ベーヴェルシュタム公爵の口からはいつもの弁の立つ言葉は出てこないようだった。鼻を鳴らすもののしどろもどろになってしまい、最後まで悪態が()けない。身体は恐怖でがたがたと震えているようだ。

 ソルヴィはその姿を哀れに思いながら、何の躊躇いもなく剣を振り下ろした。

 ()らねばこちらが殺られる。

 愛しいシグルンもまた殺されるだろう。



「さようなら、伯父上」

 


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