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拒絶(2)

 食事を終えると、シグルンは早速帽子とヴェールを身に付け、ゲオルグとともに待ち合わせ場所の小庭に向かった。

 自分で同行を願い出ながら、本当は一人で会いに行く方が気楽だと思っていたが、そんなことを今更言い出しても、きっと護衛が必要だとゲオルグは譲らないだろう。



 シグルンは焦る気持ちを抑えられず、つい早足で歩いた。

 時間を細く決めたわけではないから、もしかするとアレクはもう待っていないかもしれない。

 いなかったらどうしよう。

 シグルンは冷や汗を流し、胸を締め付けられるような感覚を味わった。



 だが、シグルンの不安をよそに、小庭の中心には見覚えのある人影が、月明かりでぼんやりと佇んでいた。



 アレクだ。



 シグルンは安堵もつかの間、アレクに気付かれるよりも前に、ゲオルグに小庭の後ろで待っているよう小声でお願いした。

 薔薇のアーチを(くぐ)り、月明かりで青白く照らされた小庭へと入っていく。



「こんばんは、アレク。待たせてないかしら?」

「やぁ……! こんばんは、シグルン。そんなことは気にしなくて良いんだよ。私は夜いつもここにいるから。それより今日は姿を見せてくれるんだね」



 アレクは安心したのか息をついて笑顔になった。

 そのまま歩を進めてシグルンと距離を詰めて向かい合う。

 このとき初めて、シグルンはアレクの瞳の色を知った。

 アレクの目は、雲一つない夏の晴れ渡った青空のような濃い青色をしている。金色に輝く髪は太陽の光のようで、瞳も髪もさながら空を表したかのような美しい色合いだ。それに間近で見ると、背は随分と高いし、コートからすらりと伸びたふくらはぎは、筋肉でしっかり引き締まっている。

 シグルンは自身の顔が悟られないよう俯いた。

 帽子とヴェールが心底ありがたいと思ったのも、初めてかもしれない。



「顔は見せてくれないの?」

「ダメ」

「ふーん、まぁ良いけど、ところで君は結婚してたの? 喪服に見えるけど」



 アレクは顎に指を当て、綺麗な顔を横に傾けた。

 赤く薄い唇が不満そうにきつく結ばれるのを見て、シグルンは慌てて首を振る。



「ち、違うわ。訳あってこの姿で過ごしてるだけなの。別に誰かと結婚してたとか、未亡人だとかじゃないわ」

「ふーん……」



 アレクは不満げな顔から思案顔に変わり、少しすると笑顔になった。

 アレクは本当に美しい人だ。些細な表情の変化でさえ、どれも芸術作品のような輝きを放っているのだ。

 シグルンはアレクの顔に見惚れた。



「あの……アレク、私、」



 シグルンはドキドキ高鳴る鼓動を抑えるよう、胸に手を当てた。

 いつまでも見入ってしまいそうなアレクの顔から目を逸らし、シグルンは言う。

 


「王宮を出ていかなきゃならないみたいなの」

「どうして? 少し前に来たばかりだろう?」

「…………詳しいことは何も話せないの。だから残念だけど、夜のおしゃべりは今日でおしまい」

「私は君ともっと話がしたい」

「私もせっかくアレクに会えたもの。もっとお話したいわ」

「なら、事情を教えてくれないか? 私なら何とかできるかもしれない」



 シグルンとてこのまま王宮を離れたいとは思っていなかった。

 アレクと知り合えたというのに、なぜ早々に別れなければならないのか、納得などできない。そんな曖昧な気持ちのまま無理だとアレクに伝えたところで、説得力に欠けるが。

 アレクも納得できずにシグルンに詰め寄る。



「できないわ、アレク。私は今夜にもここを出て行くの。だから、話したいことは今ここで話しておきましょう」

「話を変えようとしたってダメだ。シグルン、君は私を置いてどこかへ行ってしまうのか?」

「……だって!」



 アレクの顔が苦しそうに歪んだ。

 そんなことを言われたら、シグルンは自惚れにも勘違いしてしまいそうだった。もしかしてアレクは、自分に好意を抱いているのではないかと。

 でも、仮にそうだとしても、きっとシグルンの素顔を知ったら百年の恋も冷めるだろう。

 シグルンはこのとき、心の奥底に芽生えた不思議な感情が、ようやく恋心だったということに気が付いた。

 だから、あんなにも心惹かれて、ドキドキして、会いたいと思ったのかと。

 そして不思議な感情の正体が分かりすっとした気持ちになると、シグルンはこれ以上嫌われたくないという気持ちでいっぱいになった。



「困ったことがあるなら、私が力になろう。私を信じてくれ、シグルン」

「……アレクッ!」



 シグルンはこれ以上近寄らせまいと後退したが、ドレスの裾を踏んでよろめいてしまった。

 間髪容れずにアレクがシグルンを抱き留める。

 お互い吐息が打つかりそうな距離になり、シグルンは慌てて逃れようと腕を突き立てが、アレクの胸はビクともしなかった。



「アレク……離してっ! お願いだから!」

「離したら君は逃げるだろう? そうしたらもう二度と会えない気がする……」



 アレクはシグルンを抱き締める腕に力を込めたまま、頭を振った。

 アレクの顔がどんどんシグルンの顔に迫ってくる。




(顔を見られてしまう!!)




 シグルンは心の中で絶叫した。

 どうせ叶わない恋なら、綺麗な思い出のまま終わらせたい。立つ鳥跡を濁さずで綺麗に別れたい。

 シグルンは金色の睫毛に縁取られた空色の瞳から目が離せないまま、何度もアレクの胸を叩いた。



 アレクはシグルンの抵抗をものともせず、強引にシグルンの帽子を取り払った。

 そしていよいよヴェールに手をかけたとき————




 無数の白い蝶がどこからともなく暗闇から湧いてきた。

 きらきらと煌めきながらシグルンとアレクを包み込む。



「……え?」

「これは、昨日の蝶か?」



 シグルンもアレクも蝶の出現に驚いて目を見開いた。

 二人は蝶に気を取られる。

 だがシグルンはすぐに視線をアレクに戻すと、掴まれた腕の力が弱まった一瞬の隙を逃さずに、再びアレクの胸を押した。



「行くな、シグルン!」



 アレクはするりと抜けたシグルンに手を伸ばした。

 シグルンはアニタに踏まれた足が痛くて、結局またアレクに捕まる。

 今度こそもうダメだった。

 アレクはシグルンのヴェールを取り払ったのだ。



 シグルンは目を瞑ったまま震えた。



 どうしてこんな無理矢理にシグルンの正体を暴こうとしたのか。

 シグルンはアレクに怒りよりもただ悲しみを覚えた。

 こんな醜い顔を晒しに王都に来たというのか。これがゾーイの言う試練だったのか。



「シグルン……」



 アレクは目を瞬かせてシグルンの顔を見つめた。

 アレクの戸惑った顔が、急にシグルンの脳裏によぎった貧民街(スラム)の人々の顔と重なった。故郷の村人たちの姿も見える。アレクもさぞや醜い顔に驚いたことだろう。

 生まれて初めて感じた恋は、あっという間に終わってしまった。最悪な形で。

 シグルンは大粒の涙を流して泣き始めた。一度涙を許したら、堰を切ったように止めどなく涙は溢れる。



 アレクが申し訳なさそうにシグルンの顔に触れようとしたが、シグルンは思い切り振り払った。

 もうアレクには、シグルンを捕らえておこうという力は出てこないようだ。

 シグルンはアレクの側を離れると、小庭の入り口で心配そうに見守るゲオルグの姿を認めた。



「ゲオ……ゲオルグさん!」



 シグルンはゲオルグの肩に掴みかかり、涙声で言った。



「わ、私……教会へは……行きません。もう、家へ帰ります……」

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