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深窓の公爵令嬢

「お父様、お呼びでしょうか」



 アニタは薄い笑みを貼り付けたまま、軽く膝を折って挨拶した。

 王都内の屋敷——貧乏貴族は別として、領地を持つような大貴族は、王都内に別宅を建て居を構えるのが普通だ。

 アニタはソルヴィに会いたい一心で王都の屋敷にばかり居着いていたため、こうして王都で政務(しごと)を終えた父と会うことも決して珍しいことではなかった。



「うむ、お前もそろそろ年頃だ。そろそろ縁談を進めようと思う」



 アニタの父、ベーヴェルシュタム公爵は、神妙な面持ちで髭を撫で付けた。

 長椅子(ソファー)に座るよう促し、アニタに向かい合って座る。



 ベーヴェルシュタム公爵は公爵位でありながら、現国王の兄でもあった。

 かつては王族でありながら臣籍降下されたのは、弟の現国王の方が優れていたためだと言われている。そのため前王が王位争いを避けるために、自身の退位の前に兄を臣籍降下したという。

 本来であれば、それこそ争いの火種になりかねないところだが、ベーヴェルシュタム公爵は聡い男だった。献身的に王を支え、国の重要な防衛拠点を任されるラップラントの大領主の地位にまで納まったのだ。

 だが、アニタは内心納得していなかった。なぜ王族である父がただの臣下なのかと。世が世ならアニタは姫になれたのではないかと。



(もしも私が王女だったら、きっとソルヴィ様は私のものになるのに……!)



 アニタは誇り高い令嬢だった。

 公爵という身分に物を言わせ、何でも自分の意のままにしてきた。両親や家臣も使用人も、取り巻きの貴族の令嬢たちも、皆アニタの美貌を褒め称え、意見に賛同し、言いなりだった。

 それが(くだん)の『婚約式』以降、何もかも思い通りにいかなくなった。アニタの一番欲しい、王太子の愛が手に入らないのだ。

 きっと王女だったら成し得ると、アニタは横暴にもそう考えていた。



「——アニタ、聞きなさい」



 父の声にアニタはびくりと肩を震わせた。大事な縁談話というのに、気持ちは上の空だ。

 ソルヴィと結婚できないなら、政略結婚が当たり前の貴族社会など糞食らえだ。

 アニタは目に力を込めて言う。



「お父様、私はソルヴィ様以外の殿方は嫌よ。それに、側室なんてただの愛妾も嫌」



 アニタは父にきっぱりと言った。

 本来家長である父は敬われるべき存在として絶対的な存在であり、そんな父の命令とあれば絶対服従なのだが……ベーヴェルシュタム公爵家では、アニタは末娘として随分甘やかされてきたらしい。言われた張本人の父でさえ、眉一つ動かさなかった。

 父は一息つくと、優しい口調で宥める。



「分かっているよ、アニタ。アニタが王太子殿下にご執心なのはね」

「だったら、縁談だなんて馬鹿らしいわ。私がこの国の女王になるのよ!」

「そうか、そうか。それでこそ私の娘だな」



 父は反抗的なアニタの発言に怒るばかりか、満足げに頷いていた。

 アニタは意味が分からず眉を顰める。



「と、とにかく! 私はソルヴィ様とだったら結婚するわ!」

「そうだ、お前はソルヴィと結婚するんだ」

「……え……?」



 アニタは言葉を詰まらせた。丸いエメラルドグリーンの瞳をさらに丸くする。

 父がソルヴィを呼び捨てにすることもおかしいが、アニタの縁談相手に王太子を宛てがうなど信じ難かった。いつも王太子にのらりくらりと躱されてきたくせに。



「アニタ、お前は正妃になり、やがてこの国の女王になるのだ」

「え!? だって、今まではお父様、全然駄目だったじゃない!」



 アニタは首を振るなり喚いて言い返した。

 今更父に何ができると言うのだろうか。

 なかなか父の言葉を信じようとしないアニタに、父は片手で耳を押さえ、もう片方の手を遮るように上げる。



「そう、興奮するでない。婚約の儀があるまでは本格的に縁談も進められなんだ。聖なる矢がお前を選んでくれれば良かったが」

「そうでしょうとも。聖女はどうするの? 私絶対聖女なんかにソルヴィ様は渡さないんだから。私の方がずっと愛してるのよ。側室も絶対嫌!」

「アニタ、分かっている。聖女は今病に伏せ、危篤状態だ。お前は婚約の儀も聖女のことも、何も気にする必要はない。今度こそお前が正妃になれるときがきた」

「ど、どういうこと!? 聖女が病気にしたって、正妃云々はともかく、そんなにすぐ側室を囲うような真似をしたら、世間はきっと薄情だと騒ぐに違いないわ。教会も馬鹿みたいに大騒ぎするわよ。……それに第一……聖女は病気なだけで生きてるじゃない!」

「急な話が降って湧いたのだ。聖女は病気で()()()()()()。いくら選ばれし聖女でも、死んでしまってはどうしようもない。人間なのだから死には逆らえまいよ。王も為政者として、死に瀕した聖女よりも、後継を産む若く健康で美しい娘が必要らしい。このことはいずれ民も理解するだろう。教会なんぞ捨て置けば良い。お前は全て父に委ねて、明日の舞踏会に臨めば良いのだ」



 アニタは信じられないようなものを見る目で父を見た。

 アニタは末娘と言うこともあり、家族の中ではずいぶん可愛がられてきた方だ。現に両親も姉たちも、アニタの言うことには大体口出ししなかったのだから。

 しかし、いつも子煩悩に優しく見えていた父の眼差しは、親が我が子を思うものというより、闘志に満ちたものが込められているといった方が近かった。小さく細長いが、アニタによく似た緑の瞳が怪しく不気味に光る。





****

 急に体当たりを食らい、アニタの小さく華奢な身体がふらついた。反射的に壁に手をついて身体を支える。



「ご、ごめんなさい。後ろに人がいるとは思わず……お怪我はありませんか?」



 アニタは熱に浮かされたように、うっとり惚けていたようだった。

 だから、目の前を歩く人物が、急に後退したことに反応できなかったのだ。アニタは冷静さを取り戻すと、隣で座り込んだ女を見下ろした。

 浮き足立ちわくわくしたアニタや、若い娘たちの気持ちを表したかのような色鮮やかな城内とは正反対に、女は闇色に黒く染まった不気味さを身に纏っていた。見るからに未亡人であると、アニタは気付く。



 アニタは腹が立った。



 ぶつかってきたこともそうだし、場違いに喪服で来たこともそうだが、王太子狙いであることが何よりも許せなかった。

 この舞踏会は病気の聖女に代わり、王太子妃や側室の座を射止める見合いの場だったからだ。

 参加者である若い娘たちは皆敵だが、夫を亡くしたばかりで早々に鞍替えするような女は、排除すべき虫と言えるだろう。



「大事ないですわ、奥様。私もきちんと前を見ていませんでしたもの」



 アニタは内心苛々しながら笑みを取り繕った。



「奥様も舞踏会にお招きになられて?」

「え……えと、いいえ」

「どうしてこちらにいらしたのかしら? 不思議な方ね」

「す、すすみません」




(馬鹿みたいに吃るのね)




 アニタは覚束ない話し方の女に、余計に神経を逆撫でされた。

 貴婦人でありながらろくな喋り方ができない。こんな調子では、貴族社会の中でまともに生き残っていけないだろう。



「奥様、さぁ、いつまでも座ったままでは良くないですわ。私の手を取って」



 アニタはできるだけ優しく語りかけるよう努めた。

 女に手を差し出して立ち上がるよう促すと、女はほいほいと手を伸ばすではないか。




(つくづく馬鹿な女ね)




「この方、もしかすると自分の部屋と間違えてしまったのかもしれませんね。見るからに城のお客人のようですし、決して無体なことはなさりませんように」



 アニタは慣れたように目線で近くにいた使用人に合図を送ると、使用人もゆっくり頷いた。

 そして、アニタは女と向かい合った。ほくそ笑んで去り際、囁くように言う。



「あなた、未亡人でありながら、喪服で舞踏会に参加しようなどとは、祝いの場を穢すつもりなのね。恥を知りなさい」

「……え……」



 アニタは低い声で静かに吐いた。

 思った通り、周りは誰も気付いていないし、女も驚きに動きを止めたようだ。

 しかし、この程度の嫌味で驚いてもらっては困る。




「まぁ、大方……王太子殿下狙いなのでしょうが」




(未亡人如きが、まさか私と同じ舞台に立てると思って?)




 アニタは追い討ちをかけるように、ヒールで女の足を踏み付けた。

 何のこれしき、女同士の間ではよくあることだ。足を隠す長く膨らんだドレスの中では、女同士の秘められた戦いが繰り広げられるのだ。

 アニタは内心羽虫を追い払うかなような清々した気持ちで女を見ると、女は自身の敗北に震えていた。




(良い気味ね)




「どこの田舎の貧乏貴族か知らないけど、あなたもさっさと夫の後を追って死ぬことね」



 アニタは捨て台詞を吐くと、何も言わず見守るように後ろに立つ父に、晴れやかな笑顔を向けた。

 父が何を考えているのかは分からなかったが、冷めた目で女を見ているようだった。



「お父様、行きましょう」



 しかしアニタは自分とソルヴィ以外のことには無関心だった。考えたところで時間の無駄だ。

 舞踏会会場ではもっと熾烈な戦いが待っている。尤も公爵家より上の家など存在しないのだから、アニタは誰よりも優位だろうが。



 アニタは父に細腕を絡めて、舞踏会会場に向かった。



 ファンファーレの音とともに舞踏会は活気付いたが、女たちの戦いは、始まる前から始まっていた。

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