醜女の舞踏会(2)
城の玄関口は馬車でひしめき合っていた。
従者なのか夫なのか、男性に各々手を引かれて馬車を下りていく娘たち。
娘たちは色取り取り精緻な織柄で作られたドレスに、レースやリボン、造花でこれでもかと召かし込み、さながら孔雀のような姿で、品を残しつつもどこかそわそわした足取りで進んでいく。
シグルンも黙ったまま娘たちの後ろをついていった。
地味なドレスで、ヴェールと帽子で顔を隠した格好のシグルンは、娘たちの中に混じって随分異様に違いない。
だが、娘たちの目線は前しか見えていないようだった。眼中にないといったところか。
入り口広間から廊下を抜けると、大きな両開きの扉があった。
扉の両脇には、娘たちに負けないくらい豪華なお仕着せを着た使用人の男たちが、招待状を確認している。
シグルンはさすがに身元を改められるのはまずいと思い、後ずさるしかなかった。その拍子に何かに打つかる。
「え? きゃ……っ!」
「……まぁっ!」
シグルンは驚きの声を上げて尻もちをついた。
隣を見上げれば、若い女がよろめいて壁に手をかけている。
「ご、ごめんなさい。後ろに人がいるとは思わず……お怪我はありませんか?」
シグルンは慌てて謝罪した。
正体を悟られまいと帽子を目深に被り俯く。
「大事ないですわ、奥様。私もきちんと前を見ていませんでしたもの」
誘導する壮年の男に肩を支えられた若い女は、鈴を転がすように笑ったが、表情の読めない瞳をしていた。怒っているのか、はたまた本当に気にしていないのかは分からない。
顔は笑っているが目が笑っていなかったからだ。
シグルンはヴェール越しから女を覗き込んで、ごくりと唾を呑んだ。
艶やかな亜麻色の髪にエメラルドの丸い瞳。蕾のような桃色の唇。若く瑞々しい少女らしさを残した可憐な女性。宝飾類は少ないが、自身の瞳の色を模した深緑のドレスを身に纏い、ごてごてに宝石で着飾った娘たちよりも、格の違う洗練された上品さを感じた。
若い女の美しさと凍るような冷気を秘めた雰囲気に圧倒され、シグルンの背中に冷や汗が伝う。
「奥様も舞踏会にお招きになられて?」
「え……えと、いいえ」
「どうしてこちらにいらしたのかしら? 不思議な方ね」
「す、すすみません」
女は尋問というよりただ静かに問いかけていただけだったが、シグルンは焦っておどおどしてしまった。
こんなとき冷静であれば、道に迷ってしまったとか、うまく誤魔化しの言葉でも思い付くだろうに。対人技術が苦手なのが悔やまれる。
「奥様、さぁ、いつまでも座ったままでは良くないですわ。私の手を取って」
女は先程までの冷たい雰囲気が嘘のように、シグルンを支え起こした。
シグルンは手を取りながら目を丸くする。
一瞬怖い女だと思ったが、本当は感情表現が苦手な優しい人ではないか。シグルンは勘違いにふぅと胸を撫で下ろす。
「この方、もしかすると自分の部屋と間違えてしまったのかもしれませんね。見るからに城のお客人のようですし、決して無体なことはなさりませんように」
女は慣れたように目線で使用人に合図を送ると、使用人もゆっくり頷いた。
そして、女はシグルンと面と向かい合った。会釈代わりに薄く笑みを浮かべ、去り際にシグルンの耳元で囁く。
「あなた、未亡人でありながら、喪服で舞踏会に参加しようなどとは、祝いの場を穢すつもりなのね。恥を知りなさい」
「……え……」
女の言葉には棘があった。
だが、未亡人という仮初めの姿である以上、シグルンに向けられた言葉は正論だ。シグルンはぐうの音も出ない。
周りの貴族令嬢や使用人も、女の声が聞こえていないのか表情を崩さなかった。
「まぁ、大方……王太子殿下狙いなのでしょうが」
女はシグルンのヴェールを見透かすような鋭い眼光を向けた。
シグルンは狐につままれてその場を動けない。
女は尚も自然な動作を装いながら近付き、シグルンの足をヒールで踏みつけた。シグルンは呻き声を噛み殺して膝を突く。
「どこの田舎の貧乏貴族か知らないけど、あなたもさっさと夫の後を追って死ぬことね」
シグルンは瞬きを忘れたかのように目を見開いた。
振り返れば女はさっさと通り過ぎ、扉の向こうに行くところだ。
誘導する壮年の男が、女によく似た面差しの冷めた顔でシグルンを一瞥した。
扉の向こうの大広間の様子は、廊下からも垣間見ることができた。
地下から一、二階、いや三階くらいだろうか、天井を打ち抜いたような高く広い空間に、人々が所狭しと入り乱れている。
何よりも不思議なのは、洒落た調子の音楽に合わせて、空中で男女がくるくると回っているところだ。それが魔法だと気付くのに時間はかからなかった。
シグルンは廊下の向こう側に気を取られながらも、ホールに向かって中央階段を降りていく女を見る。
「アニタ・エイリーン・ベーヴェルシュタム公爵令嬢のおなーりー」
御出座の合図とともに、トランペットのファンファーレが高らかに鳴り響いた。シグルンの目の前の扉は重い音を立てて閉められる。
(アニタ…………ベーヴェルシュタム!!)
聞き覚えのある名前にシグルンは戦慄した。
少し覗く程度で良いと思ったが、舞踏会に乱入しようとしたことは認める。
喪服だったことも体裁が悪い。会場入り口で突然引き返して、貴族令嬢にぶつかったこともシグルンが悪い。しかし、どうだろうか? 死ねと言われるほどのことをしただろうか? 足を踏みつけられても良いと?
枢密院のあのベーヴェルシュタム公爵の娘だ。本当はシグルンの正体に気付いていて、己の腹黒さを隠さんと笑っていたに違いない。
表情の読めない笑顔ではない。わざと被った笑顔の仮面だったのだ。
シグルンの身体は震えていた。
自分一人ではどうすることもできない自己嫌悪からか。踏み付けられた足の痛みからか。それとも両方か。シグルンの気持ちはぐちゃぐちゃだった。
****
その後、日も沈み、舞踏会はつつがなく進んでいるようだった。
シグルンは夕餉もそこそこに、舞踏会の喧騒から離れた庭を散歩していた。足が痛むのでひょこひょこ歩きだが、夕餉の後に作ったメドウスイートの湿布が効いているようだ。痛みは随分マシになった。本当なら安静にさせておかなければならないが、あの部屋にじっとしていては、どんどんネガティヴな気持ちになってしまいそうだった。
花に癒されて元気をもらおう。
気付けば、足は昨夜の小庭に向かっていた。
(あの人も花のように元気をくれる人だったなぁ……)
小庭には誰もいなかった。
日が沈んでしまったため花たちは静かに眠り、一晩前まで咲いていた月下美人も幻のように散っていた。
シグルンは静かに溜め息を漏らす。
昨晩の出来事に思いを馳せた。
ベーヴェルシュタム公爵の娘——アニタも美しい女性だったが、人間離れした神々しい美しさを放ったあの人にはきっと敵うまい。
しかしそんな外見とは裏腹に、中身までは人間離れしておらず、自分と同じで迷走中。苦しんで、もがいて、疲れて、癒しを求めて。なんて人間臭い人だろう。
こんな醜い顔を晒すわけにはいかないと、昨夜は逃げるように勝手に話を中断させてしまったが……
(また会いたいなぁ)
シグルンは鉄格子に指を絡め、すでに役目を果たした月下美人に視線を落とした。
自分でも意識しない内に涙が零れたらしい。涙が月下美人の葉にぽとりと落ちて弾けた。
そして、水の弾けた音が耳に入った刹那————
いつか見たときと同じように、闇夜でも煌めく金粉を撒きながら、白い蝶がシグルンの目に飛び込んできた。
一頭、
二頭、
三頭……
次第に数え切れないほどの蝶が集まり、シグルンを包んだ。あまりの数の多さに、蝶の羽ばたきにヴェールが揺れるほど。
(お母さんの魔法、ではない?)
シグルンは食い入るように蝶を見つめた。
以前見たときは、きっとゾーイが自分を励ますために陰でこっそり魔法をかけてくれたのだろうと思った。
しかし、ゾーイはもういない。だとしたら、誰がこんな魔法を……?