じゃぱんどりーむ
都会の真ん中にある公園。とある昼下がり、ベンチに一人腰をかけうなだれる青年の姿があった。私は彼の隣に何気なく座り、待ち合わせでもしているのかと尋ねた。銜えた煙草を右手に持って、大きく煙を吐くと小さく首を横に振った。
しばしの沈黙が二人の間を支配した。私の目の前には、砂場に戯れる三人の幼子。それを優しく見守る二人の母の談笑だけが私の耳に届いては消えていった。子ども達は黙々と砂をかき集め、大きな建造物をそこに創りあげようとしている。堆い砂の塊を小さなシャベルで無心に叩き固めている。ぺたぺたと湿った土を叩く音が、やけに私の耳から離れずにいた。
隣に座る青年は、むくりと立ち上がると私の事など全く気にもせず両肩を落としながら公園をさった。ビルの隙間からは西に傾く太陽の日差し、彼の後ろ姿に不気味な影を映し出していた。
砂場での造営作業は佳境に入ったようである。四角く固められた砂の上には紙コップで型をした砂の塔が三つ積み上げられ、その先端には木の枝が刺されている。いよいよ、扉を開くときが来たようだ、慎重に小枝や指先を使いながら彼らの城の正面が少しずく削られていく。反対側からも同じように。そして見事、彼らの城を崩すことなく小さなトンネルを貫通させることに成功したのだ。子ども達は満足げに笑みを浮かべ、母親は惜しみない賞賛の拍手を彼らに送っている。
私もそのとき、心の中で彼らにささやかな拍手を送った。砂場の母と子もその達成感にひたりながら、公園を後にした。子ども達には、彼らのつくった砂の城に未練はないようである。愛着すらもないのだろう。もう彼らの目には3時のおやつという幸福の時間しか映ってはいないのだ。公園に立つ時計の針は3時をすこし過ぎたところを指していた。
私も、しばらく公園のベンチで一人物思いに耽ってはみたが、空を見上げるとどうも雲行きが怪しそうであったので、一先ず私の城へと帰ることにした。
城とは言っても、昼間の子ども達が砂場で築き上げたような立派なものではない。二階建てのボロアパートの一室である。しかし、私にとってここは何にも勝る我が城なのだ。この部屋の中では全てが私の意のままに扱えるのである。誰にも気兼ねすることはない。いわば私が法であり規則なのである。私は、今朝洗濯して干してあった衣類をガラス窓を開けて室内にかき込み、机に積み上げられた読みかけの本の一冊を手に取った。エドワード・サイードの主著「オリエンタリズム」である。
意味も無く哲学書や思想書を買い集めては、何度も挫折を繰り返しながらその難解な文章の文字を追う事が私にとって一種の悦楽でもあった。特に内容を正確に理解しようという気は元からないのである。何か閃きのヒントがその一文に隠されているかもしれない、という宝探しゲームをやっているような感覚に近い。その閃きを求めるために私は、生活の多くの時間を読書に費やしている。
夜が更けるまで、その日はめずらしく一冊の本を時間が過ぎるのも忘れて読んでしまっていた。しかし、ほとんどその内容は頭に入ってはいない。それでいいのである。
明くる朝、私は眩しく差し込む朝日によって目覚めた。昨日、東の窓のカーテンを閉め忘れたのが原因である。近くのコンビニまで朝食の菓子パンを買いに出た。朝の空気は全く清々しく、昨日の曇り空とは一転して雲一つ無い澄み切った青い空が広がっていた。