シュガー ホワイト
オレンジ色の日の光が窓から差し込む穏やかな放課後。俺は、体育館でバスケ部の練習に参加していた。
「パスまわせって!」
「ボール取りに行けよ、ボール!」
試合形式だからか、ベンチからいろんな声が飛んでくる。
そんな声を無視して、俺はプレイに集中する。そうしないと、いつパスされるか分からないからだ。
「ウィル!」
ほら来た。俺の周りに誰もいなくなった一瞬のスキをついて、リンクがパスを出す。
「させるか!」
敵チームの一人が俺に突進してくるけど、俺はそれを間一髪でかわしてボールを受け取った。そのままドリブルをしてゴールめがけて突っ込んでいく。
「ウィルを止めろっ!」
外野からの声で、敵チームのメンバーが一斉に俺に向かってきた。
(マジかよ!?)
内心ひるんだけど、顔には出さずにフェイントをかけながらかわしていく。
ゴール目前まできた時、俺より背の高くてがたいのいい男が、三人立ちはだかった。三人とも、不敵な笑みを浮かべている。
(げっ!やばいじゃん)
とか思いつつ、俺はにやっとしてボールを後ろに投げた。もちろん後ろを見ないで、だ。
「何やってんだよ!そんな所には誰も――っ!?」
外野が言い終わらないうちに、ワンバウンドしたボールがバスケ部エースで俺の親友のリンクの手の中に納まった。そのまま、リンクは流れるような身のこなしでシュートを放つ。ボールはきれいな弧を描いて、ゴールに吸い込まれていった。
ピーッと笛の音が聞こえて、
「今日の練習はここまで」
と、部長が告げた。
「ふ〜っ……う、うわっ!?」
上を向いて息を吐き出すと、どやどやと部員が俺の周りに集まってきた。
「ウィル、すげーな。あんな技見たことねえよ」
「俺も。あれ、誰に教わったんだ?」
「え?ああ、あれ?別に教わってないよ。後ろにリンクがいるだろうなあって思ってパスしただけだから」
「うわ、すげっ!」
「リンクがいなかったら、どうしてたんだよ?」
「ん〜……、わかんないや。いなかったらなんて事、考えてなかったから。じゃあ、俺はこれで」
笑いながらそう言って、群集の外に出た。そそくさと体育館の入り口付近に移動する。
(あ〜、暑苦しかった)
新鮮な空気を吸いたくて、何度も深呼吸をする。
「ウィル、お疲れ」
部長が優しい笑顔を浮かべながらやってきた。
「お疲れ様です」
「後片づけ、手伝ってくれないのか?」
「俺がいたら、みんな片づけないじゃないですか。あっ、別に自信過剰とかそんなんじゃないですから!」
「分かってるよ、部員に気を使ってる事ぐらい」
そう言って、部長は本当に楽しそうに笑った。この人は、俺で遊ぶのが好きみたいで、会うと必ずこうやってからかわれる。まあ、俺も別に嫌ではないんだけど。
「なあ、ウィル。うちの部に入ってくれないか?」
「しつこいですね、部長も。前にも言ったけど、俺、入りませんよ?」
「どうしてもか?」
「どうしてもです」
「うちの部にはお前が必要なんだって言っても?」
「……参ったなぁ、そのセリフに弱いんだよね」
「じゃあ」
「でも、やっぱり俺、入りません」
「どうしてなんだ?」
「ん〜……、部活に入っちゃうとピンチヒッターできなくなっちゃうから」
「お人よしで目立ちたがりだな」
部長は笑いながら茶化すように言った。
俺は返す言葉がなくて、あいまいな笑みを浮かべるしかなかった。
「……じゃあ、俺はこれで。失礼します」
「ああ。気をつけろよ」
部長の微笑みに見送られて、俺は体育館を後にした。
俺は、ウィル・テイナス。十七歳の学生だ。よくお人よしって言われるけど、自分じゃそうは思っていない。だって、これが俺の「普通」だから。
(目立ちたがり、かぁ。目立ちたいとか思ってないんだけどな〜)
部長のさっきのセリフが浮かんで、俺は肩をすくめた。困っている人を見ると放っておけなくて、頼りにされるとはりきっちゃうからそう思われてしまうのかもしれない。俺としては心外だけど。
そよ風が俺の汗ばんだ体を優しく包んで通りすぎていく。涼しさが気持ちよくて筋肉をほぐすように伸びをした。
「……っあぁ、気持ちいい。……あれ?」
ふと、蒼くて長い髪をポニーテールにしているよく見知った女子生徒が校門にいるのを見つけた。
「セシル〜!」
声をかけると、ポニーテールを揺らして彼女がふり向いた。
俺が駆け寄ると彼女は、
「あら?ウィルじゃない。珍しいわね、この時間に会うなんて」
「そうだね。今帰り?」
「ええ、そうよ」
「じゃあ、一緒に帰ろうよ」
そう言って、俺達は歩き出した。
「――今日はいつもより遅いんだね」
「生徒会の仕事が長引いちゃってね。本当はもう少し早く帰れたんだけど」
「……あ、そっか。もう少しで学祭だもんね」
「そうそう。企画とかやらなきゃいけない事多くて、楽しむどころじゃないわ。ウィルは今日も頼まれ事?」
「まあね。バスケ部の部員――リンクの相棒が休んじゃって、代役頼まれてね」
「そんなの他の部員にやらせればいいのに」
「他の人じゃできないって言うんだからしかたないよ」
「まったく、お人よしなんだから」
そう言って苦笑を浮かべる彼女は、俺の幼なじみのセシル・コンフィーヌ。さらさらしている蒼い髪からのぞく二重の大きな青紫色の瞳は、力強く咲いているあやめみたいだ。陶器のような白い肌はハリがあって柔らかそう。いや、昔と変わっていなければ柔らかいはずだ。なぜ知っているのかと言えば、俺とセシルの家が隣どうしで、幼い頃よく手をつないで遊んでいたからだ。
(それにしても細いよな〜)
セシルは俺とほぼ同じ身長で、他の女子生徒より細い。とはいっても、ほどよく筋肉がついていて均整が取れているからモデル並みにきれいだ。まあ、本人は胸が小さい事を気にしているみたいだけど。
「何よ?さっきから人の事じろじろ見て」
「いや、いつ見ても細いな〜と思ってさ」
「そんなに細くないわよ」
「他の女子が聞いたら、妬まれるよ〜。『何よ、学園のアイドルだからっていい気になって!』ってね」
「ちょっ……、やめてよ〜!」
そう言って、セシルはしきりに周りを気にしている。必死な表情が面白くて、俺は声を上げて笑った。
「そんなに笑わなくてもいいじゃない!」
「あはは、ごめんごめん。セシルのそんな顔久しぶりに見たら、ツボに入ってさ」
「もう」
口をとがらせてむくれている。こんな表情も本当に久しぶりだ。
頭がよくて優しくてプロポーションもいいから、セシルは学園のアイドルと呼ばれている。そのイメージを壊さないようにしているのか、学園内では絵に描いたような優等生を演じているのだ。本当は、寂しがりやで思っている事が顔に出てしまうくらい感情豊かな女の子なのに。
(いつまで演じるつもりなんだろう?素のセシルが一番かわいいのに……)
この先ずっと、セシルが素に戻れる存在でいたいと思った時だった。
「ねえ、ウィル。これって猫の鳴き声よね?」
「え?」
耳を澄ますと、みゃーという猫の鳴き声が聞こえた。
「うん、そうだね。この近くにいるのかもしれない」
俺達は、鳴き声が聞こえるほうに駆けて行った。
――しばらく走ると、俺達が幼い頃よく遊んでいた広い公園の植え込みの陰に、雪のように白い子猫が入れられた小さな箱が置かれていた。
「あ、いたいた。さっきの声はこの子猫だね」
「かわいいっ!!」
セシルは子猫をすばやい身のこなしで抱き上げた。と思ったら、ほおずりし始めてしまった。
子猫は何が起きたのか分からないといった表情で、セシルにさせるがままだ。
「やめなよ、セシル。嫌われるよ?」
「そんな事ないわよ。かわいいんだからしかたないじゃない、ね〜」
と、子猫に同意を求めるセシル。
「まあ、分かるけどさ」
「……許せない」
「え?」
脈絡もなくセシルがつぶやくから、俺は間抜けな声で聞き返してしまった。
「こんな所に、こんなかわいい子猫放置するなんて!」
「じゃあどうする?」
「どうするって……うちじゃあ飼えないのよね。でも、見捨てられないわ!」
「分かってるよ。……うちでも飼えないからな〜、どうしよう?」
腕を組んで考える。俺の母さんが動物アレルギーだから、昔から犬や猫に限らずペットの類は飼った事がない。
(飼ってくれる人探す……いや、だめだ。信頼できる人ならともかく、赤の他人だったら同じ事が起こるかも。俺達で飼う?でも、そんな場所どこにある?……あ。あるじゃん、一か所)
ある場所を思い出して、にやりと笑いながら俺は、
「じゃあさ、俺達二人で飼おうよ」
「えっ!?二人でって……、そんな場所どこにあるのよ?」
「ここ」
「ここ?」
「そ。忘れたの?俺達の秘密の場所」
セシルは子猫にすりすりしながらう〜んとうなっている。本当に覚えていないらしい。
(覚えてなくてもしかたないか。本当にちっちゃい時の話だからな〜)
そう思って肩をすくめたけど、少し悲しかった。
「まあいいや。とにかく行こう」
俺は、セシルの手を取って歩き出した。
ここは本当に緑が多くて、誰にでも愛される癒しスポットだ。でも、夕方になると昼間とは全然違う顔を見せる。深緑色の細い柱の上に、同色のふたを被った頂点を切り取った三角柱を逆さにしたような電灯があるけど、電灯と電灯の間がかなり開いているから薄暗い。この時間には、誰ひとりいなくなるから物静かだ。
不意に、セシルが俺にしがみつくように寄り添ってきた。微かに震えている。
(……相変わらず怖がりだな)
そう思ったけど、俺は気づかないふりをした。
――だいぶ歩くと、暗がりの木々の間から白い建物が見えてきた。
「ねえ、もしかしてあれ?」
「そうだよ。ここまで来ても、まだ思い出さない?」
優しく問いかけても、セシルはう〜んとうなるばかり。
「教えてよ、ウィル」
「ダメ。もう少し行けば思い出すよ、きっと」
意地悪く言って歩を進めると、視界が開けた。
ゴシック様式の小さな教会がひっそりと建っている。もともとはとてもきれいな白亜の外観だったけど、長い年月がたつにつれて薄汚れてしまった。俺達が幼い頃は、神父がいてごく少数の迷える人の拠り所になっていたけど、数年前に神父が亡くなってからは誰も来なくなり存在すらも忘れられてしまっているみたいだ。
セシルが、信じられないという表情で教会を見つめている。
「ここって……あの頃よく来てた教会!?」
「そうだよ。ようやく思い出したみたいだね」
「ええ、思い出したわ。でも、まだ残ってたなんて……」
「とっくに壊されたと思ってた?」
「ええ。神父さまが亡くなって、誰も守る人がいなくなっちゃったから」
「まあ、壊されてもおかしくないけどね。中入ろうよ」
セシルを促して、俺は木製の扉に手をかけた。ギィときしんだ音を立てて開いた。
中は暗くてよく見えない。ライトがあればいいんだけど、あいにく俺は持っていない。
「ねえ、セシル。ライトか何か持ってない?」
「ペンライトならあるわ」
「貸して」
「ちょっと待って、この子お願い」
俺はうなずいて、子猫を預かる。
セシルは肩にかけているバッグを探り、
「え〜っと……あ、あった。はい」
「ありがと」
ボールペン型のペンライトを受け取った俺は、子猫をセシルに渡して教会の中に入った。
足元を細い明かりで照らしながら進む。
(……ほこり臭い)
歩くたびに舞い上がるほこりに顔をしかめてしまった。
バージンロードを歩き終えると、ほこりにまみれて汚れてしまった木製の祭壇に行き当たった。
(確か、この中にろうそくか何かがあったような……)
幼い頃の記憶を頼りに、俺は祭壇の向こう側に回りこんだ。
セシルが俺の後ろからついて来て、
「ウィル?そんなところに何かあるの?」
「ろうそくかランプがあったはずなんだよ。覚えてない?神父が、ここに祭事用の道具しまってた事」
「う〜ん……祭壇には絶対に触っちゃダメって言われた事は、なんとなく覚えてるんだけど……」
「理由はこれだよ。……っと!」
俺は祭壇の扉を開けて、ペンライトで照らした。中には、錆びついたキャンドルスタンド、数本の短いろうそく、未使用のろうそくの束、聖書などの祭事用の道具がきちんと整理されて置かれている。ちなみにこの扉つき祭壇は、祭事用具をしまうスペースがないこの教会のために神父が特注したものだ。
「へえ、初めて見たわ。……でも、どうしてここにあるって知ってたの?」
「神父がいない時に、こっそり見たんだよ」
と答えて、俺はキャンドルスタンドと未使用のろうそくを三本取って祭壇の上に置いた。
「これありがと。ちょっと持ってて」
セシルにペンライトを返して、ろうそくの隣にあったマッチを擦る。
「みゃーっ!!」
「あ、ちょっ……暴れないで!……きゃっ!!」
「どうしたの?セシル」
ろうそくに火を灯し終えてセシルを見ると、抱えていたはずの子猫の姿がない。
「子猫は!?」
「ウィルが火つけた時にびっくりしたみたいで、どこかに逃げちゃった」
「そっか……。まだ遠くに行ってないはずだから探そう」
そう言って俺はろうそくを手に、セシルはペンライトを持って探し始める。
この教会は本当に小さくて、二十人しか入れない。ろうそくの灯りで木製の参列用いすを照らして、猫の足跡を探すけど見つからない。
(もしかして、パイプオルガンの後ろにでも隠れちゃったかな?)
入り口から見て祭壇の左側に小さいけど存在感のあるパイプオルガンが置いてある。部屋の角が正面になるように置いてあるから、壁との間に子猫なら楽に入れる隙間が空いている。
俺はそれにゆっくり近づいてしゃがみ、ろうそくの灯りを頼りに子猫の姿を探した。目をこらすと、一瞬だけど二つの小さな丸が光った。
(やっぱりここだった)
「おいで。大丈夫、恐くないから。ね?」
危なくないような所にろうそくを置いた俺は、優しく言って手をさし出したけど、警戒しているのか子猫は出て来ようとはしない。
(……しかたないなぁ)
小さくため息をついて、さし出した手を左右に動かしてみた。すると、子猫は頭を低くしてお尻をふり始めた。
(来るか?)
そう思った刹那、子猫は猛スピードで俺の右手に飛びかかった。
「いててててっ!」
「ウィル、どうしたの!?」
と、セシルが心配そうな顔で駆けて来た。
「捕獲したよ」
腕の中の子猫を見せると、セシルはほっとしたような顔をして、
「よかった〜。ウィルは大丈夫?」
「大丈夫なような、そうじゃないような」
苦笑いで答えになっていない答えを言った。なぜって、さっきから子猫が俺の右手に爪を立てて噛みついているからだ。
「この子、お腹空いてるのね」
「笑い事じゃないよ。これ、結構痛いんだから」
「ごめんごめん。この子のご飯買ってくるから、ちょっと待ってて」
「うん、気をつけて」
セシルはうなずいて、バッグを持って教会を出て行った。
「……いい加減、放してくれないかな?」
無理やり子猫を右手から引き離した。
「みゃあ」
「そんな不機嫌な声出してもダメ。これは食べ物じゃないんだから」
「みゃー、みゃー、みゃー!」
「今、セシルが買いに行ってるから待ってな」
「みゃ〜」
子猫がしかたなさそうに鳴くから、吹き出してしまった。
(猫と会話する日が来るなんて、思ってもみなかったな〜)
俺はろうそくを最前列のいすの上に移動させて、床に座り脚の上に子猫を座らせた。
ろうそくの灯りで照らされた子猫は薄いオレンジ色に染まっている。きらきらと光る毛並みが、大切に飼われていた事を物語る。
(大事にしてたのにどうして捨てたんだろう?……まあいいか)
理由を考えてもしかたないから、このゆったりした時間を満喫する事にした。俺の脚の上で丸くなっている子猫はふわふわしていて、まるでぬいぐるみみたいだ。
「みゃー」
「まだだって」
つぶらな空色の瞳で見上げる子猫に、俺は苦笑して答えた。
頭をなでてやると気持ちよさそうに目を細める。
「かわいいな〜」
「誰がかわいいって?」
後ろから声が聞こえてふり向くと、セシルがバッグとビニール袋を持って帰ってきた。
「お帰り。子猫だよ」
「ただいま。でしょ?かわいいわよね〜!……って、ちょっ、待って」
いつの間にか、子猫は俺の脚の上から降りてセシルの脚にまとわりついている。もちろん、みゃーみゃーと急かしながらだ。
「待ってなって。今、セシルがご飯くれるかから」
そう言って、子猫をセシルの脚から引きはがす。
「ありがとう、ウィル」
セシルはそう言って、バッグからブランケットを取り出して床に敷いた。その上にビニール袋を置き、バッグから皿を二枚取り出した。ビニール袋から牛乳を出して、両方の皿に注ぐ。そして、パンをちぎって片方の皿の牛乳に浸した。
「ウィル、放していいわよ」
うなずいて放すと、子猫は一目散に皿に駆け寄って食べ始めた。
「すごい食べっぷりだなぁ」
「相当、お腹空いてたのね。……はい、これ」
子猫を前にして座ると、セシルにコッペパンを渡された。
「ありがと。でも、どうして……?」
「すぐに帰らないでしょ?だからよ」
俺の事はお見通しとばかりに、セシルは得意顔をする。まあ確かに、このまますぐに帰るつもりは毛頭ないけど。
「よくご存知で」
「何年幼なじみやってると思ってるの?なんてね。私もまだこの子といたいだけなんだけど」
そう言って笑うセシル。俺もセシルも猫が好きだから、家に帰るという選択肢はもともと考えていなかった。
「……あのさ、この猫に名前つけない?」
コッペパンを三分の一ほど食べてから提案する。
「それは、私も考えてたわ」
「じゃあ、どんな名前がいいかな?」
「この子メスだから、かわいい名前がいいと思うの」
「どうしてメスだって分かるの?」
「ずっと抱いてたから」
セシルがにこやかに言ってくれるから、俺は何も言えなくなってしまった。
(かわいい名前か〜。う〜ん……)
パンを頬張りながら考えをめぐらせる。しかし、いい名前が浮かばない。
「かわいい名前って、どんなの?」
「そうね〜……例えば、キャロルとかクリスティーとかかしら」
「それ、作家からとったでしょ?」
「バレた?」
「バレバレだよ。もうちょっと、違う名前がいいんだよな〜」
「じゃあ……、リアは?」
「みゃあ」
俺が口を開こうとした瞬間、子猫がそれがいいとばかりに鳴いた。
「よし、今からおまえはリアだ」
笑いながらリアの頭をなでる俺を、セシルが不思議そうに見ていた。
「ウィル、この子が何言ってるか分かるの?」
「俺がじゃなくて、リアが言葉分かるんだよ。さっきなんて、セシルが買いに行ってるから待ってなって言ったら、しかたないなぁみたいに鳴いたんだよ?」
「へえ、頭いいのね」
「みゃう〜」
照れたような鳴き声に、俺達は思わず吹き出してしまった。
――食事を終えたリアは、顔を洗った後大きなあくびをしてその場に丸くなって寝てしまった。気持ちよさそうな寝息を立てている。
「寝ちゃった」
食べ終わったセシルは、そう言ってリアのしっぽで遊んでいる。
俺は最後の一口を飲み込んで、
「……そうだね。安心したんじゃないかな?かなり無防備だもん」
セシルがしっぽで遊んでいても、リアは起きる気配さえない。
「俺達も帰ろうか?」
「そうね。また明日来るからね」
と、リアの寝顔に告げろうそくの火を消して、俺達は家路についた。
翌朝、俺はいつもより三十分早く目が覚めた。出かける準備をして一階に下りる。洗面台で顔を洗ってリビングに行くと、母さんが朝食の用意をしていた。
「おはよ」
「おはよう、ウィル。今日は早いのね」
「うん、ちょっとね」 言葉を濁して、テーブルの上に置かれているサンドイッチを二つ取ってリビングを出ると、
「もう行くの?朝食ぐらいちゃんと食べていきなさい」
「そんな暇ないよ、行ってきます」
そう告げて、サンドイッチをかじりながら家を出た。早起きしたのは、言うまでもなく教会に行くためだ。公園は目と鼻の先にあるから急ぐ必要もないけど、リアに会いたくてつい足早になってしまう。
今日も朝からよく晴れていて、朝日に照らされた木々の緑が公園を彩っている。サンドイッチを平らげた俺は、きらきらと輝く木漏れ日の中を浮かれながら教会に向かう。
――教会に着いて扉を開けると、正面に飾られているマリアと天使のステンドグラスが穏やかな表情で出迎えてくれた。
「リア〜、ご飯だよ〜」
声をかけながら歩いていくけど、リアは姿を見せない。それどころか、声さえも聞こえない。
(まだ寝てるのかな?)
不思議に思いながら祭壇の前に行った俺は、リアのために取っておいたサンドイッチを思わず落としてしまった。ブランケットの上にリアの姿がなかったのだ。
「リア!どこだよ、リアっ!!」
大声でリアを呼びながら教会を隅々まで探し回ったけど、リアの姿を見つける事はできなかった。
「どこ行ったんだよ……」
途方にくれてつぶやいた時、
「おはよう、ウィル。どうしたの?」
「セシル……。リアがいないんだ、どこにも」
「えぇ!?どこにもって……オルガンの陰にも?」
「うん」
「そんな……。ねえ、ここって忘れられた場所なんでしょ?」
「うん」
「じゃあ、誰かにさらわれたって事はないわね。絶対この公園のどこかにいるわよ」
「うん……」
「ほら、元気出して!らしくないわよ?手分けして探せば見つかるわよ」
「そうだね。……ごめん、ありがと」
うつむいたまま言って、俺はセシルと別れて公園の西側を探す事にした。そこは、野外ライブなんかが行われるホールがあって、公園内でも比較的人が集まる場所なのだ。この時間に、たくさんの人がいるという確証はないけど。
(この辺りにいればいいんだけど……)
祈りにも似た思いを抱えながら、緑のじゅうたんの中に純白を探す。草の根をわけて探しても、それらしい白は見つけられない。
「この辺りにはいないのかな〜?」
つぶやいて他を探そうと立ち上がった時だった。
「ウィル君、何してるの?」
「みゃあ」
聞き覚えのある女性の声と子猫の声が聞こえた。
ふり向くと、淡い栗色の短めの髪をした俺より少し背の低い細身の女性が、純白の子猫――リアを抱えている。
「ニーナさん……と、リア!?よかった〜、どこ行ってたんだよ?心配したんだよ?」
「みゃあ」
俺が頭をなでると、リアは悪びれた風もなく一声鳴いた。
「この猫、ウィル君の?」
「ん……まあ、そうとも言えるかな」
そう言って、俺はあいまいに笑った。
ニーナさんはこの公園内で小さな花屋を営んでいる。親切で優しいから、彼女には多くのファンがいて店も繁盛しているらしい。実は、俺もその中の一人だったりする。
「何だか歯切れ悪いわね」
「ん〜、実は――」
事情を説明しようとした時、
「ウィル〜、何かあったの〜?」
と、セシルが走って来た。
「うん。ニーナさんが、リア見つけてくれたんだよ」
「そうなの?……ありがとう、ニーナさん」
息を整えながら、セシルがお礼を言った。
「セシルちゃんも探してたの?」
「ええ。昨日、この子見つけたんだけど二人とも家で飼えないから、とりあえずそこの教会で飼ってるの」
「教会って……古くからあるあの教会?」
「うん。俺とセシルが小さい頃よく遊んだ場所なんだ。今は、ほこりまみれだけどね」
「衛生的によくないなぁ。私に言ってくれればよかったのに」
「え?」
「それって……」
「この子、引き取ってもいい?」
「いいけど、飼いきれなくなったからって捨てたりしないわよね?」
「もちろん、ちゃんと最後まで面倒見るわ。もし心配なら、お店にいらっしゃい。この子と二人で待ってるから」
その言葉に、セシルはほっとした表情を見せた。
「ところで、二人とも学校行かなくていいの?」
「あ……忘れてた!」
「やばっ!ニーナさん、リアの事よろしく!」
「任せて。行ってらっしゃい」
「みゃー」
ニーナさんとリアの声を背中で聞いて、俺達は猛ダッシュで学園に向かった。ピンチヒッターを頼まれても、今日は全部断ると心に誓って……。




