悪役令嬢オブ・ザ・デッド
このジャンルを書けば鉄板だと友達に教えてもらったので
そのニュースは突然だった。
何の変哲もない日曜日の午後だったと思う。
休日だからといって特にすることもなく、ぼんやりとコーヒーを飲んでいたしがない会社員の俺。
何の気なしにテレビをつけた瞬間、目に飛び込んできた光景に思わずコーヒーのカップを思わず取り落としてしまう。
「皆さん! 落ち着いて下さい! 現在日本政府から緊急警報が発令されております! テレビ、ラジオの電源をそのままに、落ち着いて屋内に退避――キャアアア!!」
初めはなにか映画のワンシーンなのかと思った。
だが、目の前で繰り広げられる光景。
それは毎日見慣れた番組のもので、見慣れたアナウンサーのもので、全く見慣れない出来事だった。
カメラが転倒したのだろうか、画面は突然大きく揺れ、やがて「しばらくお待ち下さい」との表示に切り替わってしまった。
慌ててチャンネルを切り替える。
いくつかの番組は、先ほどと同じように放送中断の画面のみが流されているが、一部の番組はまだその使命を果たしていた。
……その光景を見て、愕然とする。
気がつけば、外から何やら悲鳴とガラスの割れる音、車のブレーキ音が断続的に聞こえる。
さらには初めて聞く、胃の底に響くような不快なサイレンが止むことなく鳴り続けていた。
「な、なんだよ……これ」
誰も聞いていないにもかかわらず、思わず独り言が漏れる。
画面の向こうでは、緊急事態とのテロップが上下に流れ、アナウンサーが慌ただしく現状を説明している。
切り替わった場面は政府官邸だ。
首相が額に大粒の汗を流し、青ざめ震える声で現状の説明と国民への指示を告げている。
「なんなんだよこれ!?」
また場面が切り替わった。
東京都心の繁華街の様子だ。
ここから電車で一時間もかからないだろう距離、仕事で毎日のように訪れ、すでに見慣れた景色。
だがそこに映されている光景はいつものそれとは180度違った。
慌ただしく駈ける警察官。湧き上がる煙と火、何者かに襲われる人々。
怒号、悲鳴、助けを求める声、苦悶の叫び。
それは、全て……奴らが起こしている。
突然現れたソレ。
襲われた人は、少し間を置いてソレと同じになる。
生きていた時とは全く違うその相貌。
驚異的な身体能力。
人を簡単に殺してしまう危険性。
そして、画面越しからでも伝わるほどの優雅なお嬢様力……。
この日、世界は悪役令嬢に支配されてしまった。
世界の様相が一変したあの日、その日から数日経っている。
なんとかまだその機能を保っているネットを最大限に駆使して情報を収集したところ、この異常な現象は世界各地で起こっているらしく、ほぼ全ての国家においてその機能が停止、もしくは危機的状況下にあるようだ。
もちろん、ここ日本も例外ではない。
外を一歩出ればヤツラがいるのだ。
ラジオやネットの情報によると、政府と自衛隊が協力しなんとかシェルター内で国家としての体裁を保っているらしいが、それもいつまで持つか怪しいらしい。
初日にあれほど聴こえた悲鳴も鳴り止んでおり、今は不気味な程の静かさを保っている。
生命の気配は一切しない。
いまやここは奴らの天国で、俺たちの地獄と化していた。
そっとカーテンから外の様子を覗く。
事故を起こしてスクラップになった車や、割れた商店の窓、折れた電柱。
乾ききって赤黒く変色した血糊らしき跡。
そして……。
悪役令嬢。
悪役令嬢は驚異的な存在だ。
人を見つけると恐ろしい早さでやってき、そのたおやかな手でまるで午後のティータイムを楽しむかのように、優雅に人を殺すのだ。
そして、恐ろしいのはそれだけではない。
悪役令嬢に殺された人も、また悪役令嬢になってしまうのだ……。
死の連鎖は止まることを知らない。
突如街なかで発生した悪役令嬢シンドロームは、ろくな対策を講じられることもなく今もその勢力を伸ばしている。
カーテンから覗き見る道路にも一人悪役令嬢がいる。
日傘をさしながら午後の散歩と洒落こんでいるらしい。
まるでここが自分の庭かのように我が物顔だ。
もっとも、悪役令嬢は悪役でも令嬢なのでワガママで自分勝手なのは当然なのだが……。
「そういえば、食料の備蓄がもうないんだった」
カーテンを閉め、自分の置かれている状況を再確認する。
数日続いた籠城も虚しく、どうやらそろそろ詰みの状態がやってきているようだ。
幸いなことにライフラインはまだ喪失していないらしく、電気や水、ガスなどは使用出来る。
だが肝心の食料が無くなってしまった。
日持ちの悪い野菜などの生物からカップラーメン等の乾燥食品。最終的にはカンパンと言った緊急用の保存食。
全てすっからかんだ。
同時に俺の腹もすっからかん。いくらか切り詰めて、食料が無くなった後も一日ほど空腹に耐えていたが、流石にこれ以上は命に関わってくるだろう。
……このまま自分の部屋で引きこもっているわけにはいかない。
近くのコンビニまではおよそ300メートル。
ここは住宅のど真ん中、悪役令嬢に出会わずにコンビニまで到達できる可能性はゼロに等しい。
それどころか、このマンション内にすら奴らがいる可能性が十分にあるのだ。
俺の命はすでに風前の灯火なのかもしれない……。
だが、俺は諦めない。
こんな所で悪役令嬢になってたまるか。絶対に生き残って、そうして生き足掻いてやる。
決心すれば行動は早かった。
部屋中をかき回し、武器や防具になりそうなものをリユックに詰め、ゆっくりと部屋の扉を開ける。
まるで、本当のゲームが始まったかの様な、不気味な緊張感があった。
………
……
…
しばらくは誰にも遭遇しなかった。
マンションの扉はどれも固く閉ざされているようで、人がいるのかいないのかわからない。
声をかけたり、呼び鈴を鳴らしたりすることも考えたが、音を立てればそれだけで悪役令嬢に気づかれる。
悪役令嬢との遭遇は死だ。
今は、いるかどうかもわからない生存者を探すより、やるべきことがあった。
「…………っ!?」
マンションの階段をゆっくりと降り、ようやくエントランスに到着したその時だった。
マンションの入り口に人影を見つける。
……悪役令嬢だ。
だが、その顔には見覚えがある。
「優ちゃん……」
はっとし、思わず口をふさぐ。
どうやら聞かれていなかったようだ。
……彼女は城ヶ丘優。俺のマンションに住む女子高生で、朝などに挨拶したり自治会のクリーンキャンペーンなどの催しで話したりする知り合いだった。
彼女が……あの明るく元気だった優ちゃんが……。
「ごきげんよう……、ごきげんよう……」
悪役令嬢になってしまっていた。
黒く艶やか美しい髪は、金髪のドリルヘアーになっており、ラフな格好を好んで着ていたはずの服装はフリフリだらけの紅いドレスだ。
顔などはこれでもかと化粧が施されており、塗りたくったような厚さが彼女の生来の美しさを損ねている。
口元は上品に扇子の様なもので隠し、先程からしきりに外を眺めては「暑そうですわ……」とうわ言の様に呟いている。
在りし日の彼女を思い出し、その変わり果てた姿に思わず目頭が熱くなる。
これが、悪役令嬢だ。
あれほど可愛らしく、太陽の様に明るく俺を癒やしていてくれた優ちゃんの……成れの果てなのだ。
しばし彼女を眺める。
どうして、どうして俺は彼女を守ってやれなかったのだろうか?
あの日、もし俺がいの一番にまだ無事な人を探していれば……。自室で籠城など選択しなければ……。
後悔はとめどなく溢れ、悲しみは尽きること無く湧いてくる。
だが、もう、彼女は帰ってこない。
それだけが事実だ。
そんな、自らの立場を弁えない感傷に浸っていたからだろう。
俺は、くるりと振り返る悪役令嬢優ちゃんに、とっさに判断できなかった。
「しまった!」
「ごきげんよう……」
慌てて走りだそうとするが、隠れていた場所が悪い。
優ちゃんはさっと素早い動作で俺の逃げ道を封じるように迫ると、うつろな瞳でゆっくりと距離を詰めてくる。
優ちゃんとの距離は残り一メートルにも満たない。
ジリジリと後ずさるが、背中に感じる壁の固い感触が俺の退路が断たれたことを表している。
このままでは、このままでは、俺も悪役令嬢になってしまう!
「や、やめろ!!」
思わず叫んだ言葉は、本来ならば意味を持たないはずだった。
このまま俺は優ちゃんに殺され、悪役令嬢として新たな生を受ける。
そのはずだった。
「えっ……?」
ピタリと止まり、その場で不思議そうにこちらを見つめるのは悪役令嬢の優ちゃんだ。
彼女は心外だとでも言いたげに少し頬を膨らませ、こちらの反応を待っている。
なぜだ? なぜこんなことが……?
混乱は加速する。だが、どこか冷静になった頭の中で、荒唐無稽な妄想が一つ浮かび上がった。
「も、もしかして……」
このまま優ちゃんと見つめ合っていても埒が明かない。
ならいっその事、この妄想を確かめてもいいだろう。
そう、本当ならさっき死んでいたはずなのだ。
ならば、挑戦してやろうじゃないか。
「ゆ、優ちゃん。一緒についてきてくれるかな?」
「よろしくてよ……」
やっぱり!
心の中で喜びが湧き上がる。
優ちゃんは俺の言葉を聞くと、しばし何かを考える様子で首を傾げ、是と答えたのだ。
悪役令嬢に俺の言葉が通じる!
そして、何故か俺の命令を聞いてくれる!
この事実は絶望的な世界で一つの光となった。
だが、もしかしたら優ちゃんだけかもしれない。
生前の記憶が、俺への友好的な態度となっているかもしれないのだ。
そう。俺の挑戦は終わっていない。
もう一度、別の悪役令嬢で調べて見る必要がある……。
「と、止まれ!!」
マンションから出て、5分も歩いた所でその集団に出会ったのは幸運か、はたまた不運か。
俺の目の前には数人の悪役令嬢。
強い日差しを嫌ってか、全員日傘をさしながら優雅に談笑していた。
彼女たちに聞こえるように放った命令。
くるりと振り返った悪役令嬢たちは、俺の言葉が効いているのか襲い掛かってくる様子はない。
「そ、その場で整列しろ!!」
悪役令嬢たちが一斉に列を作る。
その動きはゆったり、もしくは優雅で、途中「なんで私がこの様な下賤の者の言うことを……」とか、「私を誰だと思っているのかしら……」などと文句を言っていたが、結局は俺の命令を拒否することはなかった。
その後もいくつかの命令を試し、他の悪役令嬢にも会ってみた。
結果わかったことがある。
やはり、悪役令嬢は俺の言葉をちゃんと理解している。
そうして、俺の言葉を聞いてくれる。
もちろん、中には命令できないこともあったが、彼女たちが納得いくようであれば、大抵の言うことは渋りながらも実行してくれるのだ。
ちなみに、何かをお願いした後に「さすがです、お嬢様!」と褒め称えると少しごきげんになる。
あと「すごく可愛らしいですよお嬢様。惚れてしまいそうです」と口説いてみると顔を真っ赤にしながら軽くビンタされた。
なかなか俺好みのツンデレだ……。
話が逸れた。
結局あの後は、集めた悪役令嬢を解散させ、コンビニで食料を調達して自室に戻ってきている。
隣には俺が淹れた紅茶をあまり美味しくなさそうに飲む優ちゃん。
お菓子はビスケットだ。好きらしい。
優ちゃんがサクサクとビスケットを上品に食べる音だけをBGMに、しばし今日の出来事を振り返る。
ああ、いろんなことがあった。
本当に……いろんなことが、あった。
彼女をぼんやりと眺めたあと、決して逃れることの出来ない事実と向き合う。
ああ、くそったれな世界だぜ。なんで俺にこんな大役を押し付ける?
なぁ見てるんだろう神様、一体全体俺に何をさせようっていうんだ?
そう、今まで断言できなかったが、もう取り繕う必要が無いだろう。
ここに来て、俺が置かれた状況は確定した。
そう……。
――俺だけが、悪役令嬢だらけのこの世界で襲われない!!
こうして、崩壊しつつある文明の最中、俺の一風変わったサバイバルは始まるのだった
始まりません