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マエジマ郵便局  作者: 長村八
7/12

〒002-0006

「おかえりなさい」

 自転車を倉庫にしまい、郵便局のドアを開けると、舞原まいはらの声が聞こえてきた。

「た、ただいま、です」

 『おかえり』と言われたのはいつぶりだろうか。普段は自分が言う役なので、言われるのは新鮮だ。

 中に入ると、舞原さんは葉書の整理をしていた。前島さんの姿は見えない。

 彼はどこだろうと周りを見渡していたら、彼女はすっと後ろを指差した。

「おじいちゃんが奥で呼んでたわ」

 奥、というのは……?

 舞原さんの指の先をたどってみて見ると、細い廊下があることに気付いた。僕一人でギリギリ通れるくらいの本当に細い通路だ。

 そこの先に前島さんがいるとしたら、そこは、

「局長室……」

 想像通りだった。

 進んだ先の部屋のプレートを見て、がっくりと肩を落とす。

 僕は中に入るのが怖くて、暫くドアの前で立っていた。

 ……ここを開けたら僕の就職が決まるんだ。

 ここで仕事がしたい。人を笑顔にしたい。そう決意したはいいけれど、試験に落ちていたら元も子もない。

 ドアノブに手をかけたり、離したりして悩んでいたら、不意に扉が開いた。

 外に開く扉だったので、扉の目の前に立っていた僕は見事に額を打ち付け、うずくまった。

 い、今、ゴツンっていった。漫画みたいにゴツンって。

「あ、ああ、ごめん。そんな近くに立ってると思わなくて」

「いえ……いいんです」

 眉をひょいと上げて謝ってきた前島さんに、力無くそう返事をする。痛みと情けなさで涙が出そうだ。

 入っていいよ、という彼の手招きに引き寄せられて中に入る。

 局長室なんて仰々しい名前がついているから、さぞ立派なんだろうと思っていたら、意外と質素な部屋だった。部屋の真ん中に局長のものらしい大きい木の机が置いてあり、その前にソファが置いてある。壁には本棚がいくつかあるくらいの、本当に何もない部屋だ。

「座って」

 そう言われて恐縮しながらソファに腰を沈めた。あ、物凄いふかふか。

 緊張感が漂う空気も、柔らかいソファも、なんだか全てが落ち着かなくて僕は足元に視線を泳がせた。

 手にはじっとりと汗をかいている。そこからどんどん体温が奪われていく気がして、少し身震いした。

 前島さんが僕の向かいに座る。濃い色の袴が音を立てた。

 何もされていないのに、全身でプレッシャーを感じる。

 言わなくちゃ、結果を言われる前に。

 落ちてから何を言ってもしょうがない。それならいっそ、ここで。

 自分の意見は胸を張って、ハッキリと言うのが大切……!

「あの」

 勇気を振り絞ってそう切り出す。

 緊張して声がわずかに震えた。


「僕、ここで働きたいです。町の人の笑顔が見たいですっ……!」


 言った……!

 力を込めすぎたためか、自分でも知らないないうちに目を強く閉じていた。

 それを、ゆっくり開く。

 でも、いきなり前島さんが手を音がなるほど叩いたから、驚いてまた閉じてしまった。

 何を言われるんだろう、怒られるのかなとビクビクしていた僕の耳に聞こえてきたのは、嗄れた笑い声だった。

「え……?」

「いいね、いいよ、やっぱり面白いね君!」

 舞原さんと同じだ。笑うと、『郵便制度の父』も親しみやすい普通のおじいさんに見える。

 突然笑いだしたので、僕は顔に何かついてたかな、と頬を擦る。それを見て更に爆笑された。

 ひとしきり笑った後、前島さんは目に浮かんだ涙を拭いながら言った。


「よし、採用!」

「はっ?」


 勢いよくされた宣言に、僕は言葉を失う。思わず腰が浮いてしまった。

 え、採用? 僕、

「ここで働けるってことですか……!?」

「そう言ってるでしょ。末永くよろしく、白紀沢しらきざわ夕詩ゆうしクン」

 嬉しい! 嬉しいけど……こんなにすぐに決まっても大丈夫なのかな?

 ドッキリでした、とプラカードを持った人が現れてもおかしくないような状況だからか、素直に喜べない。

 困惑する僕を見てか、彼は腕を組んだ。そうすると、余計に威厳が増す。

「まずね、ここまで連れてきておいて帰すことって、そうそうできないんだよね。言いふらされたら困るから。だから羽月うづきに認められたってだけで合格なんだよ、この試験。

 でも、精神が弱いと……ね。ああいうものを見るでしょう。だから、一応一回だけ試してみるんだよ」

 ……成る程。

「でも夕詩クン見事に合格! めでたや、めでたや」

 自分の能天気さがここで役に立つとは。人生予想がつかないものだ。

 感心したり、安心したりしていたらお腹が鳴った。

 ……そういえば、食べてきなとお金を渡されてそのままだった。結局、来藤らいどうさんに会えたのはお昼くらいだったし、その後色々考えながらここまで帰ってきたから空腹感なんて感じていなかったのだ。

 でも、意識したらとてもお腹が空いてきた。

「ご、ごめんなさい」

 恥ずかしい……!

「いやいいよ、お昼食べようか。僕もお腹空いたし」

 幽霊もお腹空くんですか。初耳でした。

 小さくそう呟いたが、聞こえなかったらしい。上機嫌な前島さんは、ソファから立ち上がった。

「羽月」

 扉を開けて奥に呼びかける。すると、待ち構えていたのかと思う程のスピードで、すぐに舞原さんが出てきた。

「なあに?」

「鍋焼きうどん」

 何の脈略もなく彼の口から飛び出た食べ物の名前に、唖然とする。何、鍋焼きうどんて。

 振向いた前島さんの顔を見てぎょっとしてしまった。目がきらきらと輝いている。まるで夏休みを目前にした少年のような、あどけない煌めき。

 さっきまでの威厳はどこへやら、ガッツポーズまで決めて言い放つ。

「鍋焼きうどんを食べよう! 羽月、電話して」

 舞原さんは、はあい、と慣れた様子で電話を取り、メモも何も見ずに番号を押していく。

 ……何回頼んだことあるんですか。大体、異世界に出前ってあるんですか。それもうどんの。

 悶々と悩んでいる間、前島さんは鍋焼きうどんの素晴らしさについて語っていた。

「あののどごし、あの温かさ、あの心に染み入る出汁の味、何をとっても鍋焼きうどんは世の食べ物の中で一番うまいと思うね。冷蔵庫の残り物でできる、しかも煮込めば終わりというリーズナブルさも評価すべきだよ。栄養もあるし、なんと言っても……」

 どう相づちを打てばいいものかわからず、目を白黒させながら聞いていると、舞原さんが戻ってきた。

「十分後くらいに来てくれるそうよ。あ、白紀沢くんもこっち来て」

 まさに助け舟。心の中で手を合わせてありがとうと言いながら、手招きをする舞原さんのもとへ行く。

 そしてこっそりと耳打ちした。

「前島さん、随分鍋焼きうどんが好きなんだね」

「言わせておいて。そのうち勝手に止まるから」

 舞原さんは面倒くさそうに顔の横でひらひらと手を振った。

 流石、身内は扱い方がよくわかっている。

 ちなみに、前島さんはまだうっとりと言葉を紡ぎだしていた。




   ○●




 休憩室に移動し、届いたばかりのうどんに三人で手を合わせる。

 しばらく、ふうふうと息を吹きかけながら各々のうどんを減らすことに集中していたが、前島さんがその沈黙を破った。

「ここに就職決まったんだし、夕詩クンは住所を頭に叩き込まないとね。何しろ郵便配達員なんだし」

 またうどん談義が始まるのかと身構えたが、言い出したのは意外と普通のことだったので拍子抜けした。

「ああ、そうね。そうだった」

 舞原さんが鳴門を口に運びながら相槌を打つ。

 僕は一時間ほど前までにらめっこしていた、あの地図を思い出す。

 ……あれ覚えるのか。

 小さい町だけど、地域の名前が結構細かく分かれていて、とてもじゃないが覚えられる気がしない。

 なんとなく、その土地の特徴を掴んだ名前だったなあ、ということくらいしか頭に残っていない。

 不安が顔に出たのか、舞原さんが軽く僕の肩を叩いた。

「大丈夫よ、関連づけて覚えればすぐに慣れるわ」

 そうは言うけどね、舞原さん。

 僕は暗記っていうものが、すごく苦手なんだよね。

「まあ、細かいことは代月よつきからちゃんとした引き継ぎがあると思うから。その時にわからないことは訊いておけばいいさ」

 代月?

 初めて聞いた名前だが、『引き継ぎ』という単語から舞原さんのお兄さんだと判断する。写真館のおじさんが言ってたからね。

 うどんが来るまでに聞かせてもらった話によると、舞原さんの家は前島さんの子孫ということで、代々この郵便局を手伝っているらしい。

 舞原さんの下には小学生の弟がいるらしいのだが、その子でさえももう時々ではあるが、手伝いをしているという。

 そういえば、とよく煮て甘くなった長ネギを口へ放り込んで考える。

 僕、この世界の仕組みについて何も知らない。

 とりあえず、『手紙』が特別な意味を持っていることは察する。町の人はみんな手紙を待っている……と考えて間違いはない筈だ。

 それじゃあ、消えてしまったのは何故?

 来藤さんを思い出す。彼女は、旦那さんからの『愛している』が欲しかったんだろう。そして手紙でその言葉を受け取って、消えていった……いや、成仏していった……?

 その欲しかったものをもっと一般的に言うと、

「……未練?」

 あまりにもしっくりとした言葉が思い浮かんできたため、思わず口に出してしまった。

 前島さんと舞原さんが箸を止めて僕を見ている。

 舞原さんは、ふと思い出したように頬に指先を当てる。

「……おじいちゃん、白紀沢くんに、ここのこと詳しく説明してたかしら」

 それに対して彼は、こつんと小さく自分の頭を小突いた。

「……してないね。うっかりしてた」

 うっかり者の血はきちんと受け継がれているらしい。二人して同時に肩を竦めた。

「ちょうどいい機会だし、話しておこうか。ここ、マエジマ郵便局の秘密をね」

 片目をつぶってみせた前島さんは、もう半分程冷めてしまったうどんをつつきながら、説明してくれた。




   ○●




 前島さんと舞原さんの話は、まとめるとこんな感じだった。



 今からずっと昔、それこそ日本が鎖国をしていた頃のこと。

 前島さんは、色々なところを巡っていたらしい。

 航海術を学ぶために船に乗ったり、英語を勉強するために家を離れてみたり。

 様々なところを飛び回っていた前島さんは、通信技術を発達させなければと思ったらしい。

 家へ手紙を出そうにも、本当に届くのかわからないし、途方もない時間がかかる。それをなんとかしようと思って、現代にも残されることになった郵便制度をつくったのだそうだ。

 そうして、それなりに充実した人生を送って彼はあの世へ旅立った。

 しかし、あの世はあの世で郵便制度がなく、とても不便だったという。そこで、前島さんはそれもつくってしまった。

 それが、このマエジマ郵便局だという。


 この町は、あの世の郵便制度の一つなんだそうだ。

 現世で未練を残した人が集う町。

 未練を残したままの魂は、来世へスムーズに進むことができないらしい。

 なので、未練を解消してから来世へ向かわなくてはならない。

 その方法はただ一つだけ。現世の人から手紙をもらい、読み、事実を知ることでこの狭間のような空間からやっと解き放たれることができる。

 来藤さんの場合は『旦那さんの気持ちを知りたかった』、これが未練にあたる。そして、旦那さんが手紙を出し、来藤さんがそれを読み、彼の気持ちを知ったことで成仏できたというわけだ。

 来藤さん夫婦はこの地元の人だ。だから、すぐに噂を思い出せたのだろう。

 今朝舞原さんが言っていた『だからさっき』という言葉も、きっと銀治朗さんが手紙を投函する場面を彼女が目撃したのだろう。

 噂を聞かないと手紙は投函できないため、長い間このままここに留まっている人もいるが、皆、辛抱強く待つのだそうだ。

 生きているとも、死んでいるとも言えないこの不思議な空間で。

 大切な人からの手紙が来ることを信じて。来る日も、来る日も。


 待つことは大変な事だと知っている。いつ来るかもわからないものをただじっと待ち続けるのは、とても寂しくて辛くて不安なことだ。

 僕はぎゅっと赤いジャケットの胸元を握る。

 父さんからの絵葉書。

 待つのは辛かったけれど、手に入れたときの喜びは倍以上だった。

 それを渡してくれた、あの郵便配達員のおじさんみたいにあったかい存在になれたら。

 皆を少しでも助けることができるなら。

 改めて、いい仕事だなあと心に染み入ったのだった。

 話に聞き入っていて、すっかり冷めてしまった鍋焼きうどんを啜る。

 と、変なところにうどんが入ってしまって盛大に咽せた。

「ちょっと、大丈夫?」

 舞原さんが優しく背中を撫でてくれる。

 苦しさと優しさとで胸がいっぱいになって、なんだかしみじみと生きていることを実感した。




   ○●




 ……僕の昔話なんて聞いても仕方ないかな。

 とにかく、そんなこんなで僕はここで働くことになった。

 どうしても外せない用事で一度だけ羽月ちゃんの弟くんに仕事を変わってもらったときがあったけれど、それ以外は毎日欠かさず手紙を届けている。



 ああそうそう。僕がここで働くことになった最大の原因。

 羽月ちゃんはどうして僕が大学に落ちたことを知っていたのか。

 これは単純だ。

 僕の勘違いだった。

 羽月ちゃんは、『このあと何処かに行く予定はあるのか』と訊いたつもりで『これからどうするの』と訊いたらしい。

 前々からお兄さんと背格好が似ている僕なら、あの真っ赤な制服を仕立て直さずに着られるかもしれないと踏んでいたらしく、連れ出すタイミングを計っていたそうだ。

 なんせ、話が話だから人が沢山いるところで話しだす訳にはいかない。ズルズルと延びに延びて、卒業式の日にやっと話を切り出せた。

 そしたら僕が『大学に落ちた』なんて言い出すから、大層目を剥いたそう。……僕は全然そんな風には見えなかったけど。

 だが羽月ちゃんには好都合で(不謹慎でごめんねと後から謝られた)、無事に僕はマエジマ郵便局に就職したということだ。



 ……まあ、こういう偶然も運命ってことで。結果オーライ、ってね。

2014.02.21 加筆、修正

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