表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マエジマ郵便局  作者: 長村八
4/12

〒002-0003

「おはようございます」

 空き地にはやはりというか、もうすでに舞原まいはらさんが来ていた。

 赤いコートの首元をきっちりと絞め、その中に口もとまで顔を沈めて立っている。白い息が、隙間から浮かび上がってくる。

 さほど待っていた訳ではないようだが、女の子を待たせるということは男としてはいけないことだ。

「おはよう。待たせてごめん」

 僕は彼女に駆け寄って、罪滅ぼしにポケットに入れていたカイロを差し出した。役に立ってよかった。

 舞原さんは手のひらにそれを包み、ありがとうと呟いた。

「こっち。ポストの横に立っていて」

「うん」

 舞原さんにコートの裾を引っ張られて、ポストの真横に立った。

 まだ薄らと雪が積もっている草の上は、じっとりと濡れている。滑りそうになって焦った。

 舞原さんの顔を盗み見た。僕とは正反対に、なんでもない顔をして遠くを見ている。

 これからのことを聞いても「すぐにわかることよ」とか言って、きっと何も教えてくれないだろう。

 そのまま二人、しばらく無言でそこに立つ。

 ふぅと大きく息を吐いてみれば、それは白く姿を変えて空に上っていく。

 今まで彼女もいたことのない僕が、こんな朝早くに女の子と一緒にいるなんて……昨日までの僕では、絶対に想像がつかないだろう。

 黙っているのがなんだか居心地が悪くて、そういえば、と少々わざとらしく僕の方から切り出した。

「昨日の夜、事故があったみたいだね。この近くで。酷い事故だったらしくて、おばあさんが一人亡くなったそうだよ」

 言ってから、もっと明るい話題はなかったのかと自分を責めた。朝からするようなものじゃないだろう、交通事故の話なんて!

 でも彼女は腑に落ちたような表情で頷いた。

「あら、そうだったの。だからさっき……」

 そこで言葉を切って黙ってしまう。

 ……あのー、だからさっきなんだったの? この話題はもうこれで終わりなの? 僕の努力ってなんだったの?

 どれだけ待っても彼女は口を開かない。

 どうやら僕と違って、黙っていても平気なようだ。無口なのとは違う。無音の世界でも気にしていないような。そんな感じ。

 それならならそれで、まあいいか。

 左手につけた腕時計を見ると、日が昇るまであと少しだった。

 正面に見える山の後ろが、少しずつ明るくなってくる。

 少し感動してしまった。

 おお、これか。ようよう白くなりゆく山際。雲が紫だっていないし、細くたなびいていないのが残念だ。

 清少納言の気持ちが少しわかる気がする。だって、一つだけでもこんなに綺麗なんだから。三つ全て見ることができたら、語り継ぎたくもなるね。

「ちょっと、何やってるのよ!」

 ほわほわと考えていた頭の中を、凛とした声が貫いた。

 何やってるって、何が?

 見ると舞原さんはぴったりと、レトロな丸ポストに手をつけている。その反対の手をブンブンと振って、僕に抗議する。目が怖い。

 僕なんかマズいことした?

「あなたも早くポストに触れて! 向こうに行けなくなっちちゃうわ!」

 う、うん? 向こう?

 よくわからないけど、彼女の様子からして相当やばいらしい。

 僕は慌ててポストに触った。

 ひんやりとした感覚が指先から伝わり、背筋が震える。


 その途端。


「うわあああ……!」

 僕たちの後ろの方でざっぱんという音が響いた。刹那、色の波が押し寄せてくる。

 上下左右と色々な方向へ身体が引っ張られ、波に流されそうになるが、ポストに触れている手は強力な磁石のように離れない。

 波のぶつかる感覚はまるで水のようなのに、息ができるし服は濡れない。

「綺麗でしょう」

 舞原さんがポスト越しにそう言う。黒髪が波にゆられて広がっている。

「そうだね、夢の中にいるみたいだ」

「こんなんで夢なんて言ってたら、働けないわよ」

 不敵な笑みとともに彼女が発した働けない、というワードにびくんと飛び上がる。それは困る。

 でも、この景色は本当に夢みたいだ。

 次第に波が落ち着いてくる。色の比率としては緑が多い。

 そのうち霧のような青が、頭上でもやもやと広がってきた。ところどころ白い部分が残っているのは、雲だろうか。

 遠くには赤茶色っぽい四角いものが現れる。……あれは煉瓦? 家のようだ。

 景色がしっかりと定まったのは、それからさらに時間が経った時だった。

 ここはどうやら丘の上のようだった。下にある建物がミニチュアのおもちゃみたいに見える。少し冷たい風が頬を撫でた。

 あれ、と思った。あれだけ強力に手に張り付いていたポストが、どこにもない。辺りを見渡してみても、ポストなんてどこにもない。緑色の綺麗な草の絨毯が広がっているだけだ。

 いつからなかったんだろう。全然気付かなかった。

「行くわよ」

「行く?」

 さっさと歩いていってしまう彼女を追いかけて振り返ると、大きな赤い郵便印が目に入った。

 大きな印に反して少し小さい建物が、そこにはあった。僕たちの住んでいる町の郵便局と同じくらいかな。

 都会にはビルが丸ごと郵便局になっていたりするけど、これはそんなんじゃない。

 もっとこう……そう、素朴な感じ。

「何してるのー?」

 舞原さんの声が入口の辺りから聞こえる。うわ、いつの間にあんな所まで。

「ちょっと驚いただけだよ」

 そう言いながら彼女のもとまで駆け足で向かうと、また? と首を傾げられた。

 そりゃあ、君は随分ここに来たことあるみたいだから、慣れてるだろうけどさ。僕は初回なの。

 いきなりこんなことになったら、みんな吃驚するに決まっているだろう。

「まだまだ序の口よ。今から更にすごいことになるわよ」

 笑いながらそう言う舞原さんに、得体の知れない恐怖を覚える。

 一体どんなことになるんだろうか、僕は。




   ○●




 なぜか爽やかなハーブの香りが漂っている郵便局内。僕は受付カウンターの更に奥にある、落ち着いた緑色のソファに座っていた。着ていたコートは畳んで横に置いてある。

「待ってて。今おじいちゃん呼んでくるから」

 おじいちゃん?

 昨日の舞原さんを思い出す。……そういえば、ポストに向かって『おじいちゃん』って言っていたような……。

 僕の前にコトリと小さい音を立てて、ティーカップが置かれる。綺麗な花の絵が描かれていて、ああきっとこれは舞原さんの趣味なんだろうなと思った。

 それから立ち上る湯気をぼんやりと見ていたら、なんでもないような彼女の声が聞こえた。

「この郵便局で一番偉い人よ」

 へー、一番偉い人。

 …………え、一番偉い人!?

 一人ガタガタと慌てだす僕を置いて、「すぐ来るからお茶飲んでて」と言い残し、舞原さんは奥の部屋に言ってしまう。

 お茶なんて飲めるか。飲んでいられるか。

 僕これで失敗したら仕事ないんだよ!? そういうことはもっと先に言ってほしい!

 大慌てで、まだ少し残っている寝癖を引っ張ってみたり、服の皺を伸ばしたりだとかしてみる。心拍数がみるみるうちに上がっていく。ばくん、ばくんと音が聞こえてきそうなくらい。

 ええと、落ち着け落ち着け。緊張したときは『人』の字を手のひらに三回書いて飲み込んで……。でも指が震えてうまく字が書けない。

 母さんがいつだったか『胸を張っていれば、それなりに堂々として見える』って言ってたっけ。『聞かれたことに、しっかりと自分の意見を混ぜることも大事』とも。

 胸を張って、自分の気持ちをしっかり言うこと。僕はそれを頭なのかで何回も呟く。刻み込む。

 そうこうしている間に後ろから綺麗な声が呼びかけてきた。

「お待たせ」

 ロボットのような、ギリギリと音がなりそうな動きで首を回す。

 あ、待って、その前に立った方がいいんじゃないか!?

 そう思い直して首を変な方向に向けながら、わたわた立ち上がった。

 そして正面を見て……

「初めまして、白紀沢しらきざわ夕詩ゆうしですっ!」

 深く、腰から身体を折ってお辞儀をした。

 見えるのは、舞原さんの綺麗に磨かれた靴の先だけ。

 誰も何も言わないので、僕は頭を上げるに上げられず、変な汗をかいていく。

 僕が頭下げた相手って、もしかして舞原さんなのかな。だって、『一番偉い人』がどこにいるかわかんないし。焦って、相手をよく見ていなかった。

 うわああ、やっちゃったかも!?

 ど、どうすればいいんだろう。

 何か言った方がいいのかと思って口を開きかけた時、嗄れた声が聞こえた。

「いいよ、顔上げて」

「は、はいっ!」

 勢いよく顔を上げると、まず舞原さんが目に入った。その長い黒髪に隠れるように、ピンと背筋を伸ばした、姿勢のいい老人が立っていた。落ち着いた色合いの袴姿が、厳めしい顔つきによく似合っている。

 舞原さん越しにだけれど、鋭い視線が僕を射抜く。目を離すこともできずに見つめ返す。

 うわああああ緊張するぅぅうううう…………。

「紹介するわね、おじいちゃん。こちら、私と同学年だった白紀沢夕詩くん。今仕事を探しているって言うから、連れてきてみたの」

 舞原さんは少しよけて僕を丁寧に示しながら、そう言った。何となくもう一度頭を下げておく。

 続いて彼女は老人を示しながら、

「白紀沢くん、こちら私の先祖の前島まえじまひそか。この郵便局の局長よ」

 その言葉を聞きながら、老人……前島さんは、うんと軽く頷いた。

 僕は舞原さんの言葉が理解できなかった。

「せ、んぞ……?」

「そう、先祖。幽霊よ」

 呆然と口を半開きにした僕に彼女はしれっと言い放つ。

 そう言われて見れば、重そうな口とか、綺麗な目元とかが、どことなく似ているような気がしてくる。

 というか、それよりも。

 ……幽霊だって!?

羽月うづき。いきなり言ってもわからないでしょう。こういうのは、ちゃんと段階を踏んで知らせるべきだよ」

 前島さんは無表情にそう言ってソファを指差した。

「座りなさい、説明をするから」




   ○●




 前島さんは、無口そうに見えて意外と喋る所も、舞原さんに似ていた。

「夕詩クンといったね。君は、僕のことを知っているかい? ……やっぱり咄嗟には出てこないか。

 ああいいんだ、気にしてないから。無理もないよ。教科書の隅っこに、小さく写真が載ってるくらいだからね。僕だったらそんな奴、とっとと記憶から追っ払う。

 僕はね、一言でいえば郵便制度をつくった男なんだ。おや、思い出してくれたかな? そうそう、切手とか葉書とか、命名したのは僕だよ。

 ……そんなにかしこまらなくても。もっとリラックスしていいよ、ほら肩の力を抜いて」

 ポンと肩を叩かれる。手は大きくて温かくて、とても死んだ人のようには思えない。

 折角そう言ってもらえたのはありがたいが、僕は色々な感情が複雑に絡み合って、どうしても力を抜けずにいた。

「あの……本当に幽霊、なんですか」

 これは失礼に当たるだろうか。こわごわ聞いてみる。

 すると前島さんは、無表情のまま「そうだね」と呟いた。そして一瞬、横に立っていた舞原さんを見た。目配せするみたいに。

「白紀沢くん」

 急に呼ぶからなんだろうと思って、舞原さんに目を向ける。

 じっと彼女の顔を見つめてみるけど、涼しい顔をしているだけで何も言ってこない。どういうことなんだ。

 不思議に思いながら、前島さんが座っていた向かいのソファに目を戻す。

 え、と目を見開いた。

 さっきまでいたはずの前島さんがいなくなっていたのだ。

 なぜ? 人が立った気配も、移動した気配もなかった。もちろん、衣擦れの音だって聞こえなかった。

 何よりも目の前にいたのだ。僕に気付かれずに立ち去るなんて、不可能なことなのに。

 立ち上がってバッと後ろを振り返る。前島さんはいない。

「どこ見てるのさ」

 クスクスという笑い声のせいで余計に嗄れた声が聞こえてきて、僕はまた目を剥いた。

 さっきまで空席だったソファには、また元通り前島さんが座っていた。

「信じてくれたかい」

 唇の端だけをつり上げてそう笑われては、返す言葉がない。

 力無く僕は腰を落とした。

「……はい」

 確証した。


 ここは普通の郵便局じゃない。


「それでは、僕のことを知ってもらった所で」

 前島さんはよっこらしょ、と言いながら立ち上がった。紺色の羽織の袖が音を立てて翻る。

 彼の目に狼が獲物を狙うような鋭い煌めきが、映ったような気がした。

 ぞくりと緊張が再び体中を駆け巡る。


「入社試験といきますか」

2014.02.21 加筆、修正

2016.08.18 加筆、修正

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ