〒001-0001
郵便局。
郵便物の引き受けや受付、郵便切手の販売などの郵便窓口業務を行う事務所のこと。
郵便。
明治四年、『日本郵便の父』と言われた前島密によって東京と大阪の間で開始された事業のこと。
毎日託される小さな思いを人に届ける、あったかい仕事。
僕は、そんなお仕事をしています。
○●
制帽である赤い帽子は、しっかり頭に乗っている。赤いジャケットも着ているし、ストライプのネクタイも緩まずに締まっている。
溢れんばかりに手紙を詰め込んだ、これまた赤い大きな鞄を、よいしょと言いながら肩に掛ける。ずっしりとした重みが左肩にかかった。
「今日も重そうね」
後ろから聞こえてきた凛としたよく通る声は、同僚の羽月ちゃんのものだ。
振り返ると、カウンター周辺の整理をしているのが見えた。綺麗な長い指がトントンとハガキを揃えている。
彼女も濃紺色の制服をきっちり着こなしていた。背中に流れる黒髪は、いつも通り真っ直ぐで綺麗だ。窓からの光を受けて輝いて見える。
僕は笑いながら、ふざけた口調で言った。
「そりゃあ重いよ、思いだから」
「それ、あんまり笑えない洒落ね」
そう言いながらも羽月ちゃんの口元は少し緩んでいる。
同僚であり先輩である彼女は、受付嬢だ。
「いい天気ね」
そう言って、羽月ちゃんが窓から空を見上げた。僕もつられてそこに視線を移す。
昨日は土砂降りだったからか、今日の青い空がとても眩しく見えた。
雲一つない晴天。
確かにいい天気だ。
「そうだね」
窓からは町が一望できる。
ミニチュアの人形のように見える家々には、手紙を待っている人たちがいる……。
そう考えて、僕は小さく拳を握った。はやく、届けてあげたい。
「ほらほら、早く行きなさーい。今日中に回りきれなくなるよ」
一番奥にある局長室から嗄れた声がした。
僕と羽月ちゃんは目を合わせて、一緒に肩を竦めた。怒られちゃった。
これ以上あの人の怒りを買わないように、さっさと行くとしますか。……本気でキレられるとどうにもならないからね。
何しろ……、うん、これを言うにはまだ早いかな。
僕は大きく息を吸った。奥の方にも聞こえるように、声を張り上げる。
「白紀沢夕詩、郵便配達行ってきます!」
二人分の「いってらっしゃい」が聞こえてから、僕は郵便局を出た。
郵便局の裏へ行くと、小さな物置が見えてくる。
僕は鍵を使ってそれを開け、中から自転車を引っ張りだした。
年季の入った自転車だ。
ここに就職してから毎日乗っている。雨風にも負けない、いい子だ。
今日もよろしくね、という意味を込めてサドルを一度撫でる。
自転車は何も変化しないけれど、何だか毎回こうしてしまう。
あ、ハンドルが少し錆び付いてる。今度綺麗にしないと……。
そんなことを頭の片隅に思い浮かべながら、いつものように跨り、地面を蹴る。
最初は、重い肩掛けの鞄のせいでバランスが取りにくかったのだが、今はもうへっちゃらだ。
頬を撫でていく風が気持ちよくて、少しスピードを上げる。と、帽子が飛びそうになった。慌てて手でおさえて、しっかりかぶり直す。
ゆっくりと坂を下り始めた自転車に、身を任せた。
ここ、マエジマ郵便局は、小高い丘の上に建っている。丘にはたくさんの花が咲いていて、郵便局から見下ろすと景色がいい。
でも僕は、こうやって愛用の自転車に乗って、周りを流れていく風景の色を見るのも好きだったりする。
町へ出るまでの道は一本だけ。舗装されていない、土むき出しの道だ。
僕は鞄に片手を突っ込む。そして一番上の手紙を手にとった。
住所を確認。……森中二条か。
確か、他に森中行の手紙は四通あった。
森中は、名前の通り森の中の地名だ。あまり人が多い方ではなく、ひっそりとしたようなところ。町への一本道に沿っているようにある、小さい森へ入るとたどり着く。
目的の家を見つけた。もう一度住所を確認して間違っていないことを確かめる。
ポストの前で自転車を止め、手紙を差し入れた。中で、カコンと手紙が入った音がする。その音を聞いてから、またペダルを踏み込む。
それを繰り返し、他の手紙も同じように無事に届ける。
この仕事を始めて半年ほど経っためか、最初のうちは覚えられずに苦労していた住所もバッチリだ。
さあ、次はどこかなー?
そう思って鞄から取り出した手紙の宛先は、月喜だった。
月喜はこの森を抜けたすぐの地名だ。月がよく見えるから、月喜。
こういう雑学は、全部羽月ちゃんと局長に教えてもらった。二人とも、ものすごい量の知識を持っていて、いつも僕は色々なことを勉強させてもらっている。
本当に、周りに恵まれているいい職場だ。
僕は鼻歌混じりに月喜を目指した。
月喜から、少しずつ町が元気になっていく。通行人もちらほら見かけるようになってきた。
小さい町だ、僕を知っている人も大勢いる。
そりゃあそうかな、だってこんなに目立つ格好してるし。何しろ全身赤いからね。
でも何が困るって、自分の知らない人が自分のことを知ってるってこと。吃驚してしまう。
すれ違う人と挨拶を交わしながら、手紙を届ける。五件ほどまわったところで、月喜宛の手紙がなくなった。
えーっと、次は……木音が近いかな。頭の中で地図を描き、ルートを決める。
確か手紙は十三通くらいあったはずだ。流石に町中だと届ける量が増える。
賑やかになってきた町並みに、思わず頬が緩む。わくわくするんだ、なんでかはわからないけれど。
いい天気なのもあって、いつもよりも人通りの多い町の風景。
少し遠くの方に、こぢんまりとした商店街が見えてきた。あそこが、木音。この町のメインストリートだ。
賑やかな通りでも、あまり近代的ではないのが、この町のいいところ。
商店街の中に入ると色々な声が聞こえてきた。
八百屋さん、肉屋さん、魚屋さん、本屋さんに写真屋さん、薬局……どれも小さな規模のものだが、それなりに繁盛している。
「お腹空いたな……」
食べ物を見ていたら、急に空腹の感情が首を出してきた。気づけばもうお日様は頭の真上まで昇っている。
早く手紙を届けてお昼ごはんを食べてしまおう。
そう思って、商店街を走り回った。
午前中の仕事を終えて一息つきたい時は、いつも決まった場所へ行く。
「夕詩くん。いらっしゃい」
カランコロンという軽い鐘の音と、それにワンテンポ遅れた声が聞こえてきた。
奥のカウンターには、白いワイシャツに黒いギャルソンエプロンの男の人。一つにまとめてある、少しクセのある長い髪。その中にある整った顔には、笑顔がのっている。
カフェ『柘榴』。僕の親友がやっているお店だ。さっきの商店街から少し離れた、隠れるようにして営業している穴場カフェ。
さっき声をかけてきたのが、店長であり親友の朝樹くん。
この仕事を始めてからこのカフェに通い始め、仲良くなったが、もう何年も一緒にいるような気がする。
僕は帽子をとりながら、いつものようにカウンターの左端に座った。
店内はそれなりに賑わっている。
朝樹くんがお冷をくれた。一口飲むと、身体中に染み渡る心地がして、僕はほうっと息をついた。
「今日もオムライスでいいの?」
彼の質問にうん、と頷いて答える。
そう、ここの看板メニューであるオムライスは絶品なのだ。トロトロ卵にデミグラスソースがかかっていて、なんとも言えない。
お昼にこっちの方まできた時は、必ず寄っている。
朝樹くんは早速厨房に入ってオムライスを作り始めた。バターのいい匂いが鼻をくすぐる。すぐ後にはじゅわぁ、という卵を入れたのだろう音。
待っている間に僕は手紙の整理をしてしまうことにした。
午前中の仕事では三分の一程度しか終わっていない。頑張って働かないと。
赤い鞄を膝の上に起き、宛先に目を通していく。
水井宛が五通、明野宛が七通、香谷宛が三通……。あ、七津宛てが一通ある。あそこ遠いんだよな、砂利道だから走りにくいし。
どのルートで回るのが効率がいいだろうか。僕はすっかり覚えたこの辺り周辺の地図を頭の中で広げる。
たしかこの道は今通行止めで、こっちに行くと……ああだめだ、雨が降ったから道がぬかるんじゃってる。やっぱり遠回りだけどこの道でいかないと……。
ぼうっと手紙のことを考えていたら、いつの間にか朝樹くんが隣に立っていた。
僕は慌ててテーブルの上の手紙を片付ける。
彼は次々に鞄にしまわれていく手紙たちを見て、ほんの少しだけ寂しさを顔によぎらせた。でも、次の瞬間にはなんでもないように笑っていた。
「精が出るね、仕事熱心なのはいいことだ」
落ち着いた声でそう言われると、ちょっと得意になってしまう。
聞いたところによると彼は僕と同い年らしいのだが、とても大人びて見える。それは、細い顎や切れ長の目のせいだけではない筈だ。
朝樹くんは僕の前にオムライスの乗った大皿を置いて、カウンターに肘をついた。そのまま手を組んでその上に顎を乗せる。そのポーズがモデルのようにキマっていて、同性としてはちょっと憎い。
「俺宛の手紙はないの?」
「……残念ながら」
僕がそう答えると、朝樹くんはそっか、と特に気にした様子もなく息をついた。
彼がこう訊いてくるのは毎度のことだ。そんなに手紙をもらいたい人がいるのだろうか。
不思議に思いながらスプーンを口まで運ぶ。うん、今日も美味しい。思わず笑みがこぼれた。
「美味しいよ」
「それはよかった」
朝樹くんはいつもと変わらない微笑を浮かべた。
少し朝樹くんと喋ってから、店を出た。仕事、頑張れよと言ってくれた彼に全く同じ言葉を返す。
出発する前に、一度大きく伸びをした。
お腹も満腹、気温も最適! さあ、午後の仕事開始だ。
自転車は、軽快に走り出した。
流石にもう慣れたもので、あれだけあった手紙は、夕方にはもう最後の一通となった。
最後の宛先は、珠揺通り。この届け先は、今回これだけだ。
珠揺通りは煉瓦造りの道のことだ。あまり住人は多い方ではない。
通りの入口に行くと、赤い煉瓦が同じ色の空と同化して、ゆっくりと広がっていくように見えた。
タイヤから伝わるゴツゴツとした感覚に手間取られながら、なんとか目的の家までたどり着く。
集合住宅のような建物で、ポストが沢山並んでいる。
えーっと、四〇八号室……四〇八号室……。凝った字体で数字が彫られていて、お洒落だが読みにくい。
後ろからコツコツというハイヒールの音が聞こえてきた。水たまりの水が跳ね返る音もする。
その人物は僕の隣で止まった。柔らかそうな髪の中の顔は、暗い。丁度歳が僕のお母さんくらいの人。
ポストを見たそうな素振り。あ……僕、邪魔かな?
「すみません、どうぞ」
慌てて退けると、彼女は少し笑ってありがとうと言った。そして手を伸ばしたその先の番号は……
「あ、四〇八号室!」
思わず声をあげた僕に、女の人は驚いた顔を向けた。
「え、ええ、そうですけど……」
「これ!」
僕は持っていた手紙を彼女に渡す。
「それ、あなた宛なんです」
「……私に……」
信じられない、というように手紙をひっくり返し、差出人を確認して目を見開いた。
そのうち彼女の目が次第に潤んでいき、それは頬を一筋つたう。
涙は止まらず、手紙に落ちていく。ぽたぽたと小さい染みが、紙にじんわりと広がっていく。
「開けてみて下さい」
そっとそう促すと、彼女はうん、うんと頷きながらゆっくりと開封していった。
中から出てきたのは、シンプルな白い便箋だった。規則正しい綺麗な文字が連なっている。
女の人は震える手でそれを持ち、愛おしそうにその文字を追っていく。時々幸せそうに笑いながら、苦しそうになりながら。
読み終えたとき、彼女は今までの暗い表情が嘘のように穏やかに笑っていた。
彼女は真っ直ぐに僕を見る。そして涙まじりの声でこう言った。
「ありがとう」
「……僕、何もしてないです」
手紙を届けただけだ。首を横に振って否定をしたが、女の人はそれでもいいの、ともう一度お礼を言った。
彼女の手が、足が、だんだん光り輝いていく。体が、小さい光の粒のような、星の瞬きのようなものに変わっていく。
じんわりと滲んでいくように、体の輪郭をなくしていく。
ああ、行くんだな。
女の人が光の粒に変わっていく時間は、長かったような気もするし、とても短かったような気もがする。
涙でぐしゃぐしゃの笑顔が、一番最後にもう一度ありがとうと呟いて、消えた。
光の最後の一欠片は、水たまりにゆっくりと沈んで見えなくなった。
今までそこにいて、僕と話していたことなんて幻だったみたいに、消えてしまった。
最後に残されたのは、地面に落ちた白い封筒と便箋。
僕はそれを拾って丁寧に折り畳み、赤いジャケットの胸ポケットに入れた。
手紙をしまったそこが、ほんの少しだけ暖かかった。
○●
『母さんへ。
まず最初に謝っておこうと思う。ごめんなさい。
最期に、間に合わなかった。母さんのこと、看取ってやりたかった。
病気って酷いな。一言もかける暇もなくどんどん進んでいくんだもんな。……って、これは病気のせいじゃない、俺が間に合わなかったのが悪いんだ。気付いてやれなかったのが悪いんだ。
噂を聞いて手紙を投函してみたけど、こんなの届かないってわかってるんだ。それでも、こんな気休めでも、どうしても謝りたかった。他にも知らせたいことが沢山あった。
まだ言ってなかったけど、えみ子に子供ができたんだ。
母さんに俺たちの息子を、見てほしかった。一緒に「可愛いね」って、笑っていてほしかった。
きっと母さんのことだから、知っていたら色々用意してくれたんだろう。
子供用のテーブルとか、服とか。名前だって一緒に考えてくれたかもしれないね。
人一倍子供が好きだった母さんは、すごく喜んでくれたと思う。
母さんに相談したいことが沢山あった。
俺がまだ赤ん坊だった頃、父さんにやってもらって助かったこととか。そしたら、俺だって自分なりにえみ子を助けることができただろうし。
俺たちにとっての初めての子供だ。不安なこともあるから、色々教えてもらおうと思ってた。
でも、それももう、できないことだから。
母さんは半年前に死んで、もうとっくにお墓に入ってる。
いつまでも親に頼ることなんてできないんだもんな。
命ってのは制限があるもので、一緒に過ごすことができるのはそのリミットまでなんだから。
就職して、自分でお金稼ぐようになって、結婚もして。俺はもう、立派に大人になったんだなぁって思ってた。でも違うんだな。親が生きている限りは、みんな子供なんだ。
みんな、こうやって大人になっていくんだろうな。母さんもそうだったのかな。
これから生まれてくる俺たちの子供も、そうなんだろうな。
父さんは毎日なんだか魂が抜けたみたいだよ。最近、俺たちと一緒に住まないかって、相談しようと思ってる。
えみ子も悲しんでる。勿論俺もだ。
こんな手紙でしか伝えられない親不孝者な息子を、どうか許してほしい。
本当にごめんなさい。それから、今までありがとう。
俺たちのことは心配しないで、そっちで元気にやって下さい。
光輝』
○●
日が沈んだ頃、僕は郵便局へ戻った。
「お疲れさま、夕詩くん」
羽月ちゃんも、丁度今日の業務を終えたらしい。
「呼んでたわよ」
そう言って奥の部屋を指差す。……局長室。
また何か言われるんだよなぁ、きっと。いや、悪いのは僕なんだけどさ。
この郵便局のボスにあたる人だ。……いや、郵便局全体のボスと言っても過言ではないだろうな。
重い木の扉を押し開ける。ギギギという鈍い音は、ドアの軋む音だけではないだろう。
「前島さん、帰りました」
部屋の真ん中に置かれた机に座り、物書きをしていた薄い白髪の頭が上がる。ちょこんと老眼鏡が鼻にかかっているて、どこか愛嬌がある。
昔使っていた、歴史の教科書に小さく載っていた丸い顔。前島密の顔。
への字に曲がった重そうな口が、意外と簡単に開いた。もう聞き慣れた、嗄れた声。
「……酷い顔だね」
「まあ……ちょっと色々ありまして」
にへら、と笑って答えると、前島さんは深く溜息をついた。
「知ってるよ。……あのねぇ、君のそういうところが面倒くさくないから雇ってるんだけどさぁ。直接手紙を渡すのは控えなさいって言ってるでしょう、毎回」
うん、言われてます。
何も言えずに頬を掻くと、もう一度ため息をつかれた。
「見てて辛くならない? 人が消えていくところなんて。僕だったら御免だな。
ダメとは言わないよ、だけどね、それが原因で君に辞められるのは、こっちとしても大ダメージだし……それに、僕自身結構君を気に入ってるからね。できるだけ手放したくないんだよ」
「はあ、それはどうも」
やめるつもりは全くないのでご安心ください。
「程々にしときなね、夕詩クン」
前島さんはそう言って、また手元の紙に目を落とした。話は終わり、ということなのだろう。
心配してくれるのはありがたいことだ。
僕は前島さんにぺこりとお辞儀をして、部屋から出た。
休憩室では羽月ちゃんがお茶をいれてくれていた。
ハーブティーのいい匂いが漂っている。羽月ちゃんの好きなこのカモミールティーは、確かリラックス効果や疲労回復効果があるんだとか。
「また見ちゃったのね」
彼女の前の席に座りながら答える。
「だって、直接会ったのも何かの縁だろうし。一人で行ってしまうよりも、誰かがそばにいた方がいいでしょう、きっと」
「そうね。夕詩くんのそういうところ、私好きよ」
……そりゃどうも。
なんでもないような顔をしてそんなことを言う彼女に、少しだけ赤面。
僕も、羽月ちゃんのそういうストレートなところが嫌いじゃないよ。……なんていうことを、僕は面と向かって言えない。だから、心の中で呟いた。
「でも、たまに心配になっちゃうの」
「何が?」
お茶を口に含む。ハーズの香りが鼻から抜けていく。
「おじいちゃんが言ってるように、夕詩くんが辞めちゃう気がして。……ううん、違うな。夕詩くんも一緒に行っちゃいそうな気がするというか……」
羽月ちゃんは、たまに僕にはよくわからないことを言う。今回がそのいい例だ。
「僕は死んでないのに?」
「……いいの、忘れて」
寂しそうに笑いながらそう言われれば、黙るしかない。
しばらく二人無言でティーカップを傾けた。
「あ、そうだ」
ふと思い出して立ち上がる。そして茶菓子が入っている棚の方へ。
「それ、今回の手紙?」
「うん、息子さんからお母さん宛てみたいだ」
棚の奥からクッキーの缶を取り出す。缶の中で紙どうしが擦れ合う音がした。沢山の手紙が入っているのだ。
僕はその中に手紙を入れ、また蓋をした。
「人の手紙を読んじゃうなんて、いけない郵便配達員さん」
羽月ちゃんは呆れたように笑って、お茶を飲んだ。
……うん、駄目なことはわかってるんだ。
でも読み手をなくした手紙は、放っておいてもどうしようもないだろう。だから、僕が持ち帰ってこうして溜めておく。
少しだけ関わった人の未練は、どんなものだったのか。それを知りたいと思う好奇心は、未だに止められない。
郵便配達員失格だ。
「……でも、おじいちゃんが言ってたわ。未練を共有してやることで未練の持ち主は気が楽になるんですって。読んでしまった人は、それを背負い込んでしまうそうだけど……」
そう言って羽月ちゃんはチラッと僕を見た。
僕、そんなに背負い込んでないよ? 悲しくなったりはするけど。でも、嬉しい話だってあるし。
「夕詩くんは能天気だから、大丈夫なのかもね」
自分でも否定できないところが悲しい。
羽月ちゃんはティーカップを一気に煽った。表情は、明るくなっていた。
「明日も仕事頑張りましょ。今日は、もう休まなきゃ」
「……そうだね」
窓から見える空に、一番星が灯った。
2014.02.21 加筆、修正
2016.08.15 加筆、修正