第53話「新人外交官は指導を受ける」
これまで毎日投稿していましたが、今日から投稿間隔を一日おきにします。
大陸歴 2791年 7月 / エヴェリン王国 王都リュミエール シュミットハウゼン商会 / ソフィア・フォン・オルデン(エテルニア外交官)
馬車から降りた瞬間、私は目眩を覚えた。
ここが、エヴェリン王国の王都リュミエール。 整然とした白一色で統一された我が帝都コンスタンティナとは対照的に、この街は色彩と雑音の洪水のようだった。 行き交う人々は多種多様。人間、エルフ、ドワーフ、獣人。そして何より――。
(……男性が、普通に街にいる?)
女性に守られているとはいえ、男性がカフェで女性と笑い合っている。 籠の中に囲われているはずの希少な存在が、ここではあまりに無防備に、日常の一部として溶け込んでいる。 この国が掲げる「光の同盟」の多様性と自由。規律を重んじるエテルニアの民としては生理的な違和感を覚えると同時に、底知れないエネルギーに圧倒されそうになる。
「……負けてはいられません」
私は胸元の聖印を握りしめ、目の前の重厚な建物を見上げた。 シュミットハウゼン商会エヴェリン支店。 母クラリンダの指令により、私が最初に接触すべき「怪物」たちが待つ場所だ。
通された応接室には、二人の女性が待っていた。 一人は、ソファに深く腰掛けた小柄な老婆。伝説の大商人、ヘルガ・シュミットハウゼン。その眼光は鋭く、射抜かれそうだ。 もう一人は、その横で椅子の端に縮こまっている若い女性。モントルヴァル公国の外交官、イヴェット・カンガ。
「お初にお目にかかります。エテルニア大帝国宰相クラリンダが娘、ソフィア・フォン・オルデンです」
私は最敬礼で挨拶をした。 イヴェット様にも視線を向ける。すると彼女は、「ひぃっ! 宰相の娘さん!?」と小刻みに震え、視線を泳がせた。
(……なんと巧みな擬態。あえて隙だらけの小物を演じ、相手の油断を誘っているのか? 母の名前を聞くと大抵の人が笑顔を浮かべて丁寧に接するのに、ここまで動じて見せるなんて……底が知れない)
私は警戒レベルを引き上げつつ、本題を切り出した。
「単刀直入に申し上げます。私はエテルニア大使として参りましたが、モントルヴァル公国の持つ独自のルートをお借りしたいのです。女王陛下、宰相、あるいは外務大臣……エヴェリンの中枢に、早急に会いたいのです」
ヘルガ殿が、値踏みするように私を見た。
「ふーん、偉い人に会って、何を話すんだい?」
「『Holy(聖)』は我が国の教義において極めて重要な言葉です。ヒイロ王子の詳細やWordの能力について、本国が強く知りたがっています。情報開示をお願いするつもりです」
私の言葉に、ヘルガ殿は鼻を鳴らした。
「……で? その対価は何を出すのさ?」
「対価、ですか……?」
私は言葉に詰まった。 母からは「情報を取ってこい」としか言われていない。対価? 神の御心に従うことに、対価が必要なのですか?
ヘルガ殿は深いため息をつき、諭すように言った。
「ソフィアさん。ここで会った以上、あんたをウチのチームの仲間だと思ってきつく言うよ」
彼女の目が、商人の冷徹な光を帯びる。
「あんたは外交や交渉の基本が分かってない。基本は『等価交換』だ。こちらが出せるものがなく、『くれくれ』と言うなら、それは『相手の下につくから恵んでください』と乞食をするか、『こっちが強いから従え』と脅迫するかのどっちかだ。そんな交渉はしちゃいけないよ」
「っ……」
返す言葉もなかった。 私は帝国の威光を背に、「従わせよう」としていたのだ。 顔から火が出るほど恥ずかしい。
「……お恥ずかしい限りです」
「分かればいい。……で、手ぶらじゃないんだろう? 教皇からの親書はあるのかい?」
「はい。ございます」
「中身は知っているのかい?」
私は口ごもった。だが、ヘルガ殿の目は誤魔化しを許さない。
「正しい情報をくれたら、正しく支援ができる。我々は宗主国から『協力しろ』と言われているんだ、裏切らないよ」
私は観念して、出発前に母から聞いた策を打ち明けた。 ヴァルクール公国のヒルダ殿が考案した策――ヴァルクールにあえて過激な「聖戦」を叫ばせ、エテルニア本国がそれを「必死に止めている」という構図を作り、恩を売って情報を引き出すマッチポンプ作戦だ。
それを聞いたヘルガ殿は、「なるほどねぇ」と呆れたように笑った。
「ヒルダはよく考えたもんだねぇ。ありもしない脅しネタ(聖戦)を高値で売りつけて、貴重な情報と交換しようってんだから……ほとんど詐欺だね」
「さ、詐欺……」
「外交としちゃ上等な手だろうが、あたしゃ商人だからね。そんな手口は嫌いだね」
ヘルガ殿は不快そうに顔をしかめた。
「ソフィアさん、相手の気持ちになってみな。ドラコニアが攻めてくるってのを止めてやるから大事な情報よこせって言われたら、あんたも嫌だろう? 信用できない相手だと思うはずだ」
「……はい。仰る通りです」
私は答えに窮し、沈黙した。 確かに、そんな相手に真実を話すはずがない。
「イヴェット。……お前ならどうする?」
ヘルガ殿が、震えていたイヴェット様に話を振った。 イヴェット様は「えっ、ウチですか?」とビクつきながらも、唸るように考え込んだ。
「うーん……そうですねぇ。エヴェリン王国が『ヒイロはこんな人で、もってるのはこんな能力ですよ』って正直に言うてくれたとして、エテルニアの上層部はそれで納得するんですかね?」
「……え?」
「なんか、どんな情報持ってっても、『本当か?』とか『隠してることあるやろ?』とか、追加であれこれ言うてきて、めんどくさそうな気がするんやけど……」
ヘルガ殿が爆笑した。
「はっはっは! その通りだ! もし正しい情報を持って帰っても、疑り深い連中は『追加でホニャララはないのか』と言い出すに決まってるな。誰も得をしない苦労の始まりだ」
ヘルガ殿は笑いすぎた涙を拭いながら、私を見た。
「ソフィアさん、どうだい?」
「……私も、そう思います。母やアデリナ枢機卿をはじめ宗教家の方々が、素直に信じるとは思えません」
「だろ? で、イヴェット。お前の持ってる腹案をそろそろ聞こうか? 終わりのないこのババ札を、どう処理するんだい?」
ヘルガ殿の期待のこもった視線を受け、イヴェット様は困ったように頭をかいた。
「うーん、もう何言うても無駄なら、『本国には分からないから調べてます』でええんじゃないです?」
「はい?」
「それに、エヴェリンのナムルー大臣とかには、もう正直に言うたほうがええ気がしますね」
イヴェット様は、あっけらかんと言い放った。
「ソフィアさんが本国から『Holy(聖)』という文字が重要な意味を持つので事実確認で送られたこと。でも、本国側でも対応をどうするかで混乱してて、まず情報収集しようとなってるってことを」
「正直に、ですか……?」
「はい。その上で、クラリンダ宰相が言うてることとか、ヒルダさんが企んでる『聖戦のフリ』とかも全部伝えて、『Holy(聖)』というWordの研究に協力させてほしいとか言えばええんじゃないですかね?」
イヴェット様は、事もなげに続ける。
「もしソフィアさんが、ヒイロ王子の能力の研究をするチームに入れたら、本当に研究して、その『研究成果』を国に送ればええんですよ。それなら嘘じゃないし、エテルニアも納得するやろ?」
ヘルガ殿が、「ふむ」と口元を緩めた。
「面白いね。エヴェリンからしたら、『情報を出さないからエテルニアが何を疑って何をしでかすか分からない』という状況より、『エテルニア側も分からないと不安だから一緒に調べさせてくれ』と正直に言われた方が、よほど組みやすい」
ヘルガ殿はニヤリと笑った。
「少なくとも、最初の見え見えの詐欺よりはずっといいよ。乗ってくる気がするね」
私は、雷に打たれたような衝撃を受けた。 策を弄するのではなく、あえて内情をさらけ出し、相手の懐に入り込んで「共同研究」という形に持ち込む。 なんという……なんという逆転の発想!
「素晴らしい……!」
私は感極まって、イヴェット様の手をガシッと握りしめた。
「これが、外交官の仕事なのですね! 現場が分かる人間が、最終判断をすることの重要性が分かりました。机上の空論ではなく、相手と膝を突き合わせる覚悟……勉強になります!」
「ひぃっ!? い、いや、ウチはただ面倒くさいのが嫌なだけで……」
「イヴェット様! どうかナムルー大臣への連絡をお願いします! 私、その案で行きます!」
イヴェット様は「まじかぁ……」という顔で天を仰いだが、すぐに諦めたように「しゃあないなぁ、連絡するわ」と了承してくれた。
「さあ、この話は終わりだ」
ヘルガ殿がパンと手を叩いた。
「ソフィアさん、困ったらいつでもおいで。……ただし、今日はここまでだ。この後、ちょっと『大きな話』があるんでね」
「はい! 貴重なお時間をいただき、本当に感謝します! ヘルガ様、イヴェット様!」
私は二人に深々と、腰が折れんばかりに頭を下げると、弾むような足取りで退室した。
廊下に出ても、胸の高鳴りが収まらない。 ドクン、ドクンと脈打つ心臓が、私に「生きている」ことを実感させていた。
「すごい……! これが現場! これが一流の外交!」
私は拳を握りしめ、誰もいない廊下で小さくガッツポーズをした。 母上の策を実行するだけの操り人形になるところだった私に、お二人は「自分の言葉で語れ」と教えてくれた。机上の空論ではなく、泥臭く相手の懐に飛び込む覚悟こそが、外交官の武器なのだと!
「負けていられません。私もエテルニアの代表として、この極彩色の街で一花咲かせてみせますわ!」
エテルニアの白一色の世界とは違う、雑多で、騒がしくて、エネルギーに満ちたこのエヴェリン王国。 最初はその無秩序さに目眩がしたけれど、今は違う。この混沌こそが、私が挑むべき新しい世界なのだ。
「よし、まずはナムルー大臣への面会の準備を……!」
やる気が全身からみなぎってくる。私は意気揚々と商会を出て、馬車に向かおうとした。
その時だ。ふと、熱狂した頭の片隅に、小さな疑問符が浮かんだ。
「……あれ?」
そういえば、ヘルガ殿は言っていた。 『この後、ちょっと大きな話がある』と。
私が持ち込んだのは、各勢力の最大国家であるエテルニア大帝国とエヴェリン王国の国交を左右しかねない、国家レベルの案件だ。 それよりも優先される『大きな話』って……一体何?
「……まさか、戦争? それとも王室絡み?」
気になって、私は思わず商会の入り口を振り返った。
けれど、そこには重厚な扉が閉ざされているだけで、私の疑問に答えてくれる者はいない。 ただ、エヴェリン王国の賑やかな喧騒と、活気に満ちた風が吹き抜けていくだけだった。
気持ちが先行する新人は熱いところに水浴びせられるとすぐにシュンとなっちゃいますが、また火が付くのも早いです。この調子で成長してほしいです。




