第45話「情報は鮮度が命」
大陸歴 2791年 6月 / エヴェリン王国 王都リュミエール シュミットハウゼン商会支店 / ヘルガ・シュミットハウゼン
「……ああ、そうですか。ヒイロ王子のWordは『Holy(聖)』でしたか。それは素晴らしい」
私は営業用の笑みを顔に張り付けたまま、目の前の男爵に相槌を打った。 男爵は「誰よりも早く情報を手に入れた」と鼻息を荒くしているが、残念ながらその情報は、儀式が終わった直後から王都中を駆け巡っている。耳にタコができるとはこのことだ。
「それで、男爵。王子の誕生を祝して、こちらの金銀細工はいかがです? 今、王宮で最も注目されているモントルヴァルの職人が手掛けた品です」
「おお! これがあの噂の……! ぜひ譲っていただきたい!」
男爵は私の言葉に飛びつき、言い値で契約書にサインをした。彼らは情報提供の見返りに、王宮で話題の品を手に入れたいだけなのだ。 私は彼を丁重に見送り、扉が閉まった瞬間に大きなため息をついた。
「やれやれ……。これで何人目だい」
夕方以降、ひっきりなしに中小貴族が「重大な情報」を持ち込んでくる。だが、中身はどれも同じ。 それでも、彼らを邪険にはしない。情報は鮮度が命だが、腐った情報でも使いようによっては金になる。恩着せがましく定価で売りつければ、彼らは満足して帰っていく。
「それにしても、イヴェットの読み通りだね」
倉庫に山積みにしておいた在庫が、飛ぶように売れていく。 以前、彼女が報告書で『エヴェリンの貴族は流行に敏感やから、今のうちに在庫抱えといたほうがええと思います』と書いてきたのを信じて多めに持ち込んでおいて正解だった。
「今の男爵で最後か……。ようやく一息つけるね」
もうすぐ夜の11時になる。老体にこの遅い時間の激務は堪える。 私は疲れを癒すべく、支店内の浴場へと向かった。
熱い湯に肩まで浸かり、ようやく人心地ついた時だった。 脱衣所の方から、支店長の慌てた声が響いてきた。
「会長! ご入浴中失礼します!」
「なんだい、騒々しい。また『王子の能力が何ぞや』という話か?」
「いえ、違います! ……イヴェット様です!」
「イヴェット?」
「はい。こんな夜更けですが、たった今、イヴェット様が訪ねて来られました。……非常に真剣な、鬼気迫る顔つきで扉を叩かれたのです!」
その言葉に、私はパチリと目を開いた。 あのイヴェットが、深夜に、鬼気迫る形相で?
「ほう……!!」
あいつなら、こんな時間に叩き起こすだけの価値がある「何か」を絶対に掴んでいるはずだ。 常識外れの時間帯だが、情報は鮮度が命。あいつはその商売の鉄則を理解している。
「すぐに行く。応接室に通しな!」
湯船からざばりと立ち上がる。疲れは一瞬で吹き飛んでいた。
ガウンを羽織り、髪を拭きながら応接室へ向かう。 扉を開けると、そこには直立不動で待つイヴェットの姿があった。 顔色は青白く、どこか虚ろな目をしている。よほど急いで来たのだろう。
「夜分に何の用だい?」
私が近づくと、ふわっとアルコールの匂いが漂った。
「……酒か? こんな時間まで?」
私が眉をひそめると、イヴェットはビクリと肩を震わせ、必死に弁明した。
「す、すみません! ナムルー大臣と飲んでいて、その帰りで……!」
「……なんだって?」
私は絶句した。 ナムルー・ディ・バロ。この国の工業大臣にして、気難しいことで有名な伝説の鍛冶師だ。 その大臣と、この「祝福の儀」当日の夜に会食をして重大情報を得て、その足でここへ報告に来たというのか?
(なんて奴だ……。単なる深酒じゃない。最高レベルの接待と情報収集を行っていたのか!)
私は居住まいを正し、彼女の前のソファに座った。
「いいだろう。大臣と飲めるほどの仲になったお前の手腕、評価してやるよ。……で、まさかお前も、王子のWordが『Holy(聖)』で魔力量がSランクなんて話をわざわざ言いに来たんじゃないだろうね?」
私は釘を刺した。そんな話なら、もう聞き飽きている。 すると、イヴェットは首を横に振った。
「いえ。それはもう、誰もが知ってます。……私が持ってきたのは、まずは先ほど閣僚会議で決定された、王宮の『今後の方針』についてです」
「方針?」
「はい。ヒイロ王子の情報については『堂々たる公開と、徹底的な防衛』。これが今後の方針として決定されました」
イヴェットは淀みなく続けた。
「隠蔽は不可能と判断した王宮は、情報をオープンにする代わりに、手出し無用という姿勢を貫くつもりです。この方針はすでにさきほど国内の有力貴族に通達されました。明日から、儀式会場にいた有力貴族たちもこの情報を売りに来るでしょう」
「……なるほどね」
私は思わず笑みをこぼした。 堂々たる公開。それはつまり、売り手が一気に増えて情報の価値が暴落することを意味する。
「はっはっは! 明日からはまた、『さらなる重大情報があります!』と鼻息を荒くした貴族たちの相手をしなきゃならんのか。やれやれ、ため息が出るね」
私は呆れたように肩をすくめた。
「ま、それも商売の種にはなるさ。……なにしろ、誰も外国の人間が入れなかったのはもちろん、国内でも相当な有力者しか入れなかった儀式だ。中の様子を詳しく知っているのはエヴェリンの重要人物達だけだからねぇ」
「いえ、会長」
イヴェットが遮った。
「外国の人間は、三人だけ祝福の儀に参加したそうです」
「……何だって?」
私は目を丸くした。 私の知る限りでは、国外からの参列者はいないはずだ。
「誰が参加したんだい!?」
「アークランド王国の方々です。女王クラリッサ、第一王女アレクサンドラ、そして騎士団長ヴィヴィアナの三名です」
「……!!」
(クラリッサ殿は現在妊娠中のはず、その状態で王位継承者と騎士団長という最重要人物三人だけで秘密裏にエヴェリン入りしていたというのか!)
「そして、その三人は今、王宮で女王陛下や宰相たちと、親族水入らずで晩餐会を行っているとのことです」
その情報が意味するところを理解し、私は背筋が凍るような感覚を覚えた。
「……それは、単なる晩餐会じゃないね」
私は低く唸った。
(恐らく、今回起きたような万が一の事態を想定して、わざわざ身重の女王が来ていたんだろう。祝福の儀の夜に話し込んでいるとなると、最優先で軍事同盟の確認が行われた証拠だ)
エテルニアとドラコニアの緊張が高まる中、エヴェリンがエテルニアからドラコニア以上に注目を受ける火種を持ったところで、エヴェリンとアークランドの結束が秘密裏に最優先で行われた。これは軍事的にも政治的にも極めて大きな意味を持つ。
「なぜ、アークランドだと思う?」
私は試すようにイヴェットに問うた。 彼女は一瞬視線を泳がせて考えるような、思い出すような動きをしたが、すぐにスラスラと答えた。
「……エテルニアが敵対的に動く可能性を警戒していると思います。すでに冒険者ギルドでもエヴェリン王国西方に行く任務は注意して受けるように連絡が回っています。エテルニアがエヴェリンに何か仕掛けるならヴァルクール公国が動くはずです。あそこは武闘派ですから。その防波堤になるのがアークランド……だからこそ、エヴェリンはアークランドとの連携を最優先したんやと……思います」
(……完璧だ。私が想像した回答を冒険者ギルドの動きという証拠までつけて回答した)
私は満足げに頷いた。 私は彼女の的確な分析に舌を巻いた。 重要な情報を最速で収集し、正確に情勢を読み解いている。やはりこの娘はただ者ではない。
「そうだろうね。……続きで、他に何か情報はあるかい?」
私がさらに水を向けると、イヴェットは一度深呼吸をして、とんでもない爆弾を投下した。
「実はこちらが本題で……ナムルー大臣から、非常にありがたいお言葉をいただきました」
「お言葉?」
「『もしモントルヴァル本国から、何かエヴェリン王国に繋がりたいことがあれば、遠慮なくあたしに言ってこい』と。『ナムルー大臣経由で、他の大臣にも、女王陛下にも話を通すルートを作る』と……そう、言われました」
「…………は?」
私は、今日二度目の絶句をした。 開いた口が塞がらないとはこのことだ。
一介の外交官が、「女王や大臣への直通ルート」を確立してきた? しかも、相手側から「遠慮なく言ってこい」と申し出させただと?
(……外務大臣レベルでも難しい仕事を、こんな警戒が高まっているような中で、サラッとしてくるとは。どうなってんだい、この娘は……!)
ナムルー・ディ・バロは、単なる職人ではない。この国の重鎮だ。 彼女がそこまで肩入れするということは、イヴェットは完全に彼女の懐に入り込んだということだ。 今後、モントルヴァルとエヴェリンの外交において、ナムルーは間違いなくキーマンになる。
私の商魂が、激しく警鐘を鳴らした。このチャンスを逃してはならない。
「イヴェット。……私も、どこかでナムルー大臣に会えないものかね?」
いかに大手の商人とて、他国の大臣にアポを取るのは容易ではない。 ダメ元で聞いてみたつもりだった。
だが、イヴェットは大きくうなずいて笑顔で言った。
「それなら、ちょうどナムルー大臣も『物資の手配を頼むかもしれんから、ヘルガ婆さんと会える場を作ってくれ』と言うてました」
「……ほ、ほう?」
(婆さん呼ばわりは聞き捨てならないが……向こうも会いたがっている?)
「会えると思います。……場を作りますね」
イヴェットは、まるで近所の友人を誘うかのような軽さで言った。
「……そうか。頼んだよ」
私は努めて冷静に答え、話を終えた。 イヴェットは「へへ……」と力なく笑い、ふらつく足取りで退室していった。
扉が閉まると同時に、私はソファに深く背中を預け、天井を仰いだ。
「……恐ろしい娘だ」
祝福の儀から、わずか半日。 その短い間に、彼女はアークランドとの同盟強化という極秘情報を掴み、エヴェリン王国がエテルニアを警戒して動いていることを正確につかみ、女王や大臣との直通ルートを確立し、さらには私とナムルー大臣の会談という大きな商談の種まで蒔いていたのだ。
(私がナムルーと会いたくなることも、ナムルーが私を必要とすることも、すべて理解して動いていたというのか……)
しかも、それを「酒を飲んでいただけです」という顔でやってのける。 この底知れない能力と、計算され尽くした行動力。
私は胸の前で手を組んだ。
「神よ……感謝するよ」
この乱世の時代に、これほどの逸材をモントルヴァルに与えてくれたことを。 そして、彼女を私の元に巡り合わせてくれたことを。
私は静かに、神への祈りを捧げた。これだけ情報が集まっていれば打つ手を間違うようなことはない。明日からの商談が、楽しみで仕方がない。
例えるなら、昨年のM-1の結晶ネタで話題になった、世界に誇る自動車会社の会長に夜中に酔って突撃かましてるようなもんですよね。そりゃ酔いも覚めるわ笑




