第40話「祝福の儀~聖なる王子~」
大陸歴 2791年 6月 / エヴェリン王国 王都リュミエール 大神殿 / ヒイロ=エヴェリン
重厚なパイプオルガンの音色が、石造りの空間を震わせている。 高い天井には無数のステンドグラスが嵌め込まれ、そこから降り注ぐ極彩色の光が、白い大理石の床に幾何学模様を描いていた。
(……すごいな。VRでもここまでの臨場感は出せない)
俺は母上――アウローラ女王の腕に抱かれながら、大神殿の身廊を進んでいた。 その光景に、俺はふと前世の記憶を重ねる。
(まるでスペインのサグラダ・ファミリアの中みたいだ。新婚旅行で中に入るまではテレビで建物の外見しか見たことなかったが、中はこんな感じで白亜の神殿に七色の光がステンドグラスを通して入ってきて幻想的なんだよなぁ……)
鼻をくすぐるのは、焚き込められた高級な香木の匂い。 肌に触れるのは、張り詰めたような厳粛な空気。 今日、この場所で、俺の運命が決まる。
「……」
母上の腕に力がこもっているのが分かる。 最前列には、父上と宰相のリリア叔母上、そして先代女王のエリシア祖母様。 さらにその横には、アークランド王国のクラリッサ女王、アレクサンドラ王女、そして伝説の騎士ヴィヴィアナ殿が参列している。 恐らくはエヴェリン王国の貴族達であろう国内の最重要人物たちも、息を潜めて俺を見つめている。
誰も言葉を発しない。 これから行われるのは、単なる儀式ではない。 エヴェリン王国の新製品(俺)がどんな内容なのかの発表会だ。 ここにいるのは、エヴェリン株に家族全員の全財産を賭けている人たちなのだ。固唾を飲んで見守るのも無理はない。
祭壇の最奥に到着した。 そこには、純白の祭服に身を包んだ神官長、テレジアさんが待っていた。 彼女の背後には、巨大な「鏡」のような水盆が鎮座している。
「真理の鏡」。 直径1メートルほどのその盆には、聖水が満たされている。 水面は波ひとつなく、磨き抜かれた鏡のように、天井のステンドグラスを映し出していた。
「これより、第一王子ヒイロ=エヴェリンの『祝福の儀』を執り行います」
テレジアさんの透き通るような声が響く。 母上が俺を祭壇へと差し出す。 神官たちの手によって、俺を包んでいた豪奢な産着が取り払われていく。
(……おいおい、マジか)
35歳のおっさんの精神を持つ身としては、公衆の面前で全裸になるというのは羞恥プレイ以外の何物でもない。 だが、今の俺は生後一か月の赤ん坊だ。 これは精密検査だ。身体測定だ。そう自分に言い聞かせ、俺は「無」の境地に入る。
「神よ。この子の魂のありようを、お示しください」
テレジアさんが俺を抱き上げ、静かに水盆へと近づける。 水面が近づく。 俺の肌が、水に触れる。
(……!)
冷たいかと思った。 だが、違った。 それは、羊水の中に戻ったかのような、人肌の温かさだった。 そして同時に、指先から脊髄へと、微弱な電流が走るような感覚が駆け抜ける。
ドクン。
心臓が大きく跳ねた。 水に全身が浸かると、身体の輪郭が溶けていくような浮遊感に包まれた。 これは、ただの水じゃない。 世界という巨大なシステムに、有線ケーブルで接続されたような感覚。
(来る……!)
俺の本能が、何かの開示を予感した。
その時だ。
カッ!!
水盆の底から、光が噴き上がった。
「おおっ……!」
参列者からどよめきが上がる。 それは淡い燐光などではなかった。 祭壇から天井へ向けて、太い光の柱が突き抜ける。 天井に設置された反射鏡が白く染まるほどの、豊かな光量。 まともに直視すれば目が眩むほどの輝きが、神殿内を照らし出した。
テレジアさんが、測定器であろう魔道具を見つつ冷静かつ驚嘆を含んだ声で告げる。
「間違いありません。Sランク……『膨大』な魔力量です」
(……なるほど。これが『魔力量』の可視化か)
俺は光の中で、冷静に分析していた。 これだけの光量。周りの反応からして、かなり多い部類なのだろう。 前世のスマホで言えば、大容量バッテリーを搭載したハイエンドモデル。 まずは第一関門クリア。魔力切れの心配はなさそうだ。
だが、本番はここからだ。 光の柱が収束し、水面が激しく波打ち始める。 光の粒子が集まり、一つの「形」を成していく。
俺の魂に刻まれた「Word(存在の言葉)」。 この世界における俺のOS。 それが、鏡に映し出される。
文字が、浮かび上がった。
『Holy(聖)』
天井の巨大な鏡に、Wordが焼き付けられる。
(……ホーリー? 聖?)
その文字を見た瞬間、俺は思わず内心で首をかしげた。 清浄で、どこまでも尊く、そして絶対的な不可侵領域を感じさせる概念の具現化。 汚れを焼き尽くし、すべてをあるべき姿へと還すような、強烈な意志の力。
会場の空気が変わった。 それまでのざわめきが消え、誰もがその文字に圧倒され、跪きたくなるような衝動に駆られている気配が伝わってくる。
だが、当の本人である俺は、猛烈な違和感を覚えていた。
(俺が、Holy……?)
そんな馬鹿な。 俺は、そんな神聖な人間だとは思わんが……。
前世の俺は、典型的な日本人だ。 正月には神社に初詣に行ってお賽銭を投げ、結婚式ではブライダル会社が建てたチャペルでバイトの外国人牧師に祝福してもらって、クリスマスにはケーキを食べてプレゼントを渡して祝い、うちの葬式はたしか仏式。 宗教的な節操など欠片もないし、ラマダーンのような厳しい断食なんて絶対にやりたくないと思うような、俗物的な人間だ。
そんな俺の魂の根源が「聖」? どう考えてもミスマッチだ。 「聖」なんてWordは、今まさに目の前で涙を流して祈っている神官長のテレジアさんの方が、よっぽど当てはまるんじゃないか?
(システムエラーか? それとも、俺の知らない「聖」の定義があるのか?)
光がゆっくりと収まり、文字が水面に溶けていく。 俺はテレジアさんの手によって、水から引き上げられた。 産着に包まれながら、俺は周囲を見渡した。
全員が、静まり返っていた。 だが、それはショックで呆然としている静けさではない。
母上は、祈るように組んだ指が白くなるほど力を込め、瞳を潤ませながらも必死に叫び出したい衝動を堪えている。 父上も、口を真一文字に結び、震える肩をぎゅっと抑えつけていた。 アークランドのクラリッサ女王に至っては、獲物を見つけた猛獣のように瞳をぎらつかせ、今すぐ動き出したいのを全身の筋肉を硬直させて我慢しているのが分かった。 伝説の騎士ヴィヴィアナ殿だけが、我が意を得たりとばかりに、満足げな笑みを噛み殺しながら深く頷いていた。
全員が、今にも爆発しそうな歓喜と興奮を、神聖な儀式の場という理性だけで辛うじて抑え込んで物音を立てずにいるのだ。 その熱量は、物理的な圧力を伴って肌に突き刺さってくる。
静寂を破ったのは、テレジアさんの震える、しかし力強い宣言だった。
「……『Holy(聖)』。……神の愛し子たる証です」
その言葉が落ちた瞬間。 ドッ!! と、堰を切ったように祈りと歓声が爆発した。 涙を流して祈る者、抱き合って喜ぶ者。 狂騒に近い熱気が、神殿を揺るがす。
俺は母上の腕の中で、やれやれと息をついた。 俺の困惑などお構いなしに、周囲は勝手に「聖なる王子」としてのレッテルを貼り始めている。 これは、「期待」という名の重荷だ。
だが。
(……まあいい)
俺は思考を切り替えた。 違和感があろうがなかろうが、事実は確定した。 魔力は「膨大」。Wordは「Holy」。 それが俺の手札だ。
将棋や囲碁、オセロと同じだ。 良い手というのは、「自分の選択肢が増える手」のことだ。 逆に悪い手とは、「自分の選択肢が狭まる手」のこと。
魔力もWordも、「ない」よりは「ある」方が、取れる選択肢は確実に増える。 強力なWordがあるなら、それを使って身を守ることも、交渉のカードにすることもできる。 それが俺の柄に合っているかどうかは、使いながら考えればいいことだ。
(とりあえず、戦える手札になっている。何もできずに大貧民になるような手札ではない)
俺は天井のステンドグラスを見上げ、不敵に笑った。
「あーうー(勝負はこれからだ)」
神の祝福を受けたその日。 俺の、本当の戦いが始まった。
お待たせしました。
40話にしてヒイロの能力がついに表に出ました。
この『Holy(聖)』というWordがこの世界をどのように変えていくのでしょうか。




