第35話「騎士たちの夜想曲」
大陸歴 2791年 6月 / エヴェリン王国 王都リュミエール 騎士団訓練場 / ライラ・ウルフスベイン(エヴェリン王国 騎士団長)
夜気は冷たく、静まり返っている。 王宮の片隅にある騎士団訓練場には、ただ一つ、私が模擬剣を振る風切り音だけが響いていた。
「シッ! ……ハッ!」
汗が頬を伝い、床に落ちる。 明日は、ヒイロ様の「祝福の儀」。騎士団長として、会場の警備という重責を担う日だ。 本来ならば、明日に備えて身体を休めるべき時間だろう。 だが、私の身体の奥底で燻る「焦り」が、どうしてもそれを許さなかった。
昼間、ヒイロ様の寝室前で相見えた、アークランド王国の「女傑」たち。 女王クラリッサ・アークランドと、伝説の騎士団長ヴィヴィアナ・ド・ランサ。 彼女たちが放つ、隠そうともしない圧倒的な武の圧力。 騎士の国と呼ばれる国の頂点に立つ者たちが持つ、研ぎ澄まされた鋼のような存在感。
それに比べて、第一王女のアレクサンドラ様はまだ年若く、実力で言えば私の方が上だろう。 だが、彼女の瞳にはSランクの魔力を宿す者特有の、底知れないポテンシャルが輝いていた。 今はまだ雛鳥だが、いずれ化け物になる。
上には伝説的な怪物がいて、下からは才能ある若者が追い上げてくる。 その狭間で、私は「騎士団長」という看板に見合うだけの強さを、重みを持っているだろうか? その問いが頭を離れず、私は憑りつかれたように剣を振り続けていた。
「……こんな時間に、精が出るな。新米団長殿」
不意にかけられた声に、私は剣を止めた。 入り口に立っていたのは、北方の辺境伯、カイネ・スティールウィンド殿だ。 その傍らには、彼女の長女であるリアナ嬢も控えている。
「カイネ……先輩」
私は思わず、昔の呼び名で呼んでしまった。 慌てて居住まいを正す。
「い、いえ。辺境伯閣下。お見苦しいところを」
「よせ。ここでは『先輩』でいい」
カイネ先輩は眼鏡の位置を直しながら、苦笑して近づいてきた。 彼女は私が騎士団に入団した時の直属の上官であり、武術の師の一人でもある。 今は辺境伯として北を守っているが、私にとってはいつまでも頭の上がらない「先輩」だ。
「お前、また悪い癖が出ているぞ。一人で背負い込みすぎだ。剣の音が悲鳴を上げている」
図星を突かれ、私はうつむいた。 この人の前では、取り繕っても無駄だ。
「……焦っているんです」
私は正直に吐露した。
「昼間、ヴィヴィアナ・ド・ランサ殿やクラリッサ女王とお会いしました。……圧倒されました。ただ立っているだけで、肌が粟立つような『格』の違いを見せつけられた気がして」
私は模擬剣を強く握りしめた。
「私は団長になったばかりで、あの方々と肩を並べてヒイロ様や国を守れるのかと……自分の未熟さが歯がゆくて」
「馬鹿者」
トン、と軽く額を突かれた。 顔を上げると、カイネ先輩は優しく、だが力強く笑っていた。
「アークランドの連中は、騎士の国で何代も戦い抜いてきた化け物だ。比較して腐る必要はない。……だが、その焦燥を剣に乗せるのは良くないな。雑念がある剣は折れるぞ」
先輩は、壁に立てかけられていた模擬剣を手に取って眼鏡を外した。
「久しぶりに揉んでやる。構えろ、ライラ」
先輩の身体から、Sランクの魔力が陽炎のように立ち昇る。 その圧力は、昔と変わらず強大で、そして温かい。
「……はい! お願いします!」
私は迷いを振り払うように踏み込んだ。 速さには自信がある。一撃で懐に入る。 だが、ガィン! と重い音がして、私の剣は弾かれた。
「軽い! もっと腰を入れろ!」
先輩の剛剣が襲い掛かる。 重い。一撃一撃が岩のようだ。 だが、この重さが心地よい。私の迷いを、物理的に叩き潰してくれるようだ。
何度か打ち合い、息が上がってきた頃だった。 ふいに、首元に刃を突き付けられたような強い警戒感が体中に走った。 私と先輩は同時に動きを止め、入り口を振り返る。
そこには、月光を背に浴びて立つ、小柄な老婦人の姿があった。
「ほう……。鍛え上げられた騎士同士が剣を交える音は、どんな音楽よりも美しいですのう」
ヴィヴィアナ・ド・ランサ。 気配もなくそこに立っていた彼女は、楽しそうに目を細めた。
「よろしければ、私も混ぜてもらっても構いませんかな?」
彼女はそう言いながら、手近な模擬剣を拾い上げた。 私と先輩は顔を見合わせた。 伝説の騎士からの申し出。断る理由など、どこにもない。
「……光栄です。是非、お願いします!」
私が進み出ると、ヴィヴィアナ殿はゆらりと構えた。『槍の女帝』と呼ばれる彼女だが今は槍ではなく剣。リーチも勝手も違うはずだ。
だが、その構えには針の穴を通すほどの隙もない。一国の騎士団長としても偉大過ぎる先達の存在感に武者震いを感じる。
「参ります!」
私は魔力で身体能力を底上げし、一気に間合いを詰めた。 渾身の突き。
「ほっ」
軽い掛け声とともに、私の剣はいともたやすく逸らされた。 次の瞬間、首筋に冷たい感触。 寸止めされた模擬剣が、私の喉元に触れていた。
「……え?」
何が起きたのか分からなかった。 速い。そして、柔らかい。 こちらの力を利用し、流れるように急所を突く。
「迷いがあるのう、お嬢ちゃん」
ヴィヴィアナ殿は剣を引いた。
「団長という職責に押しつぶされそうか? だがな、剣を握る時はただの騎士じゃ。雑念を捨て、目の前の敵だけを見なさい」
「……はい!」
再び打ち合う。 翻弄され、転がされ、何度も床を舐める。 だが、不思議と恐怖は消えていた。 打ち合うたびに、自分の剣の無駄が削ぎ落とされ、研磨されていくような感覚。 彼女の剣圧が、言葉よりも雄弁に「剣の理」を教えてくれている。
「そこじゃ」
トン、と胸元を突かれ、私は大の字に倒れた。 完敗だ。けれど、視界は澄み渡っていた。
「……ありがとうございました」
「よい筋じゃ。もっと強くなる」
ヴィヴィアナ殿はニカっと笑い、息一つ乱さずカイネ先輩に向き直った。
「次は、そちらの猛将殿かな?」
「手加減は無用にお願いします」
カイネ先輩が前に出る。 そこからは、怪獣大決戦のような様相だった。 Sランクの魔力を乗せた先輩の剛剣と、ヴィヴィアナ殿の神域の技巧。 訓練場が揺れるほどの激闘の末、やはりヴィヴィアナ殿の切っ先が先輩の喉元で止まった。
「くっ……やはり、一本も取れませんか」
「何の。以前より重みが増しておるわい」
ヴィヴィアナ殿は満足げに頷き、ふと訓練場の二階にある明かり取りの窓を見上げた。
「覗き見するなら、近くに来なさい。そんな距離じゃ満足できんじゃろう?」
ギクリとして見上げると、窓枠から人影が飛び降りてきた。 スタッと着地したのは、アークランド第一王女、アレクサンドラ様だった。
「し、失礼しました! 剣戟の音が聞こえて、居ても立っても居られず……!」
王女はバツが悪そうに頭を下げる。
「カイネ殿、もしよければこの娘と手合わせしてやってくれんか? 魔力だけは一丁前だが、使い方が粗い。貴女の剛剣から学ぶことが多いはずじゃ」
「! ぜひ!! お願いします!」
アレクサンドラ王女が目を輝かせて近くの模擬剣を手に取る。
カイネ先輩も「王女殿下の稽古相手とは光栄だ」と笑って剣を構えた。
二人の立ち合いが始まる。 Sランク同士のぶつかり合いだが、経験の差は歴然だった。 アレクサンドラ様は素晴らしい才能を持っているが、カイネ先輩の老練な剣技の前では赤子のようだ。 いなされ、弾かれ、何度も転がされる。
「良い魔力の流し方だ! だが、振りが大きい!」
先輩の叱咤が飛ぶ。 私はリアナ嬢の隣に移動し、ヴィヴィアナ殿と共に戦況を見守った。
ふと、隣のリアナ嬢が小刻みに震えているのに気付いた。 彼女のWordは『Crossbow(弩)』遠距離特化の能力だし、本人の武技もまだまだ未熟だ。 目の前で繰り広げられる、魔力と才能と訓練量が支配する近接戦闘の世界。 自分には踏み込めない領域を見せつけられ、圧倒されているのだろう。
「……嬢ちゃん」
ヴィヴィアナ殿が、静かにリアナ嬢に声をかけた。
「剣や槍で戦うのが、騎士の全てではないぞ」
「え……」
「だがな、剣でも槍でも勝てない相手と戦わなければならないのが、騎士という生き物じゃ」
ヴィヴィアナ殿の視線は、戦う二人を見据えたままだった。
「お主にはお主の戦い方がある。諦めず、自分の強みを伸ばし続けなさい。それは必ず、将来お主が、我々のような化け物とも渡り合える力になる」
リアナ嬢の震えが止まる。 彼女は眼鏡の奥の瞳に光を取り戻し、力強く頷いた。
「……はい!」
私はその光景を見て、胸を打たれた。 ヴィヴィアナ・ド・ランサ。 彼女は単なる「最強の戦士」ではない。 目の前の戦いだけでなく、若者たちの適性を見抜き、先達として的確な助言を与え、導くことができる存在。 そして自分自身は、圧倒的な実力で表に立ち続け、背中で語る。
(……これが、団長か)
私が目指すべき姿。 強さだけに囚われず、騎士団全体を俯瞰し、導く者。 騎士団長になったばかりで、どうあるべきか迷っていた私に、一つの答えが見えた気がした。
「参りました!」
アレクサンドラ王女の声が響く。 カイネ先輩に剣を弾き飛ばされ、尻もちをついていた。 だが、その顔は晴れやかだ。
「完敗です! ……ですが、魔力の回し方、勉強になりました!」
「王女殿下も、若いのに素晴らしい技量です。……私たちの領地は接しております。よろしければ、今後もまた交流いたしましょう」
「はい! ぜひ!」
汗だくの二人が握手を交わす。 心地よい疲労感が、場を包んでいた。
「さて……」
ヴィヴィアナ殿が、パンと手を叩いた。
「明日に備えて寝ましょうかね。年を取ると夜が早くていかん」
「「「ありがとうございました。ヴィヴィアナ殿」」」
私たちが最敬礼で見送ると、彼女はひらひらと手を振って王女を連れて去っていった。 嵐のような、けれど実り多き夜だった。
「いい勉強になったな、ライラ」
カイネ先輩が、汗を拭いながら声をかけてくる。
「はい、先輩。……目が覚めました」
私は深く頭を下げた。 肩の力が抜け、視界がクリアになっている。
「明日の警備、完璧にこなしてみせます」
「ああ。期待しているぞ、団長殿」
先輩はニカッと笑い、リアナ嬢を連れて去っていった。
その後、私は冷水のシャワーを浴びながら、身体の芯で滾る情熱を感じていた。 悔しさも、迷いも、水と共に流れ落ちていく。 残ったのは、澄み渡った闘志だけだ。
(見ていてください、先輩。そしてヴィヴィアナ殿)
私は濡れた髪をかき上げ、鏡の中の自分を睨みつけた。 エヴェリン王国の騎士団長として、恥じない働きを。 覚悟は、決まった。
剣で語るシーンにロマンを感じます。そして優秀な先輩から指導を受けられるのも幸せですね。
OJTは面倒見の良いトップパフォーマーがいる時は最高の教育方法だと思います。
そのトップパフォーマーに付いて行くだけでいつの間にか見違えるほど優秀な人材になってくれます。




