第34話「女騎士たちの訪問」
大陸歴 2791年 6月 / エヴェリン王国 王都リュミエール ヒイロの寝室 / ヒイロ=エヴェリン
ベビーベッドの柵越しに見える重厚な両開きの扉が開いている。 その向こう側から漂ってくるプレッシャーは、尋常なものではなかった。
(……ゴジラとキングギドラが並んで立っているようなものだな)
俺は狸寝入りを装いながら、内心で冷や汗をかいた。 扉の外で警備に当たっているのは、我がエヴェリン王国の騎士団長ライラ・ウルフスベイン。 そしてもう一人は、隣国アークランド王国から来訪したと思われる老貴婦人だ。
俺にはその老婆が誰だかは分からない。 優雅で品の良さそうな、麻布か芦屋でアフタヌーンティーを飲んでるような高貴なお婆さんに見える。 だが、あの強気で鳴らすライラ騎士団長が、その老婆の隣で直立不動の姿勢を崩さず、額に冷や汗を浮かべてガチガチに緊張していたのだ。 まるで新任の小隊長が、将軍の隣に立たされているかのような緊張ぶり。 あの老婆、タダモノではない。
「……どうぞ、こちらへ」
侍女長エラーラの声と共に、部屋の中に客人が招かれた。 先に入ってきたのは、母上と宰相のリリア叔母上、そして父上。 その後ろから、圧倒的な存在感を放つ二人の女性が入室してきた。
「失礼するよ、アウローラ」
先頭に立つのは、大柄で良く鍛えられた体躯の女性だ。 妊娠した女性特有のお腹のふくらみがある。アークランド女王、クラリッサ・アークランド。俺にとっては母のいとこにあたる人物のようだ。
(……ほう)
俺は薄目を開けて、彼女を観察した。 母上が「月の光」のような優美な美しさだとすれば、彼女は「太陽の熱」だ。 母と同じ35歳と聞いているが、身重の体であっても背筋は真っ直ぐで、その歩き方一つ見ても体感が鍛えられているのが分かる。 いわゆる「アマゾネス」を連想させる、凛々しくも力強い美貌だ。
「ヒイロは起きているかな?」
「ええ、ちょうど目を覚ましたところよ」
母上に促され、クラリッサ叔母上がベッドを覗き込む。 武人の顔が、ふわりと崩れ、慈愛に満ちた母の顔になった。
「……これが、噂のヒイロか」
彼女の大きな手が、俺の視界を覆うように差し出されるかと思いきや、空中でピタリと止まった。 まるで、触れることさえ躊躇われる宝物を前にしたかのように。
「ああ、なんと愛らしい……。目元など、父上(俺の大叔父)の面影があるな」
その瞳が潤んでいるのが見て取れた。 聞けば、彼女は父君(エヴェリン王家出身)を深く敬愛していたらしい。俺という存在に、亡き父の面影を重ねているのだろう。
悪い気はしない。俺は営業用の、いや、親愛の情を込めたスマイルを彼女に向けた。
「あーうー(ようこそ、叔母上)」
「! ……笑った。私に笑いかけてくれたぞ、アウローラ!」
クラリッサ叔母上が嬉しそうに声を弾ませる。 ちょろい……いや、情に厚い方だ。
「アレクサンドラ、お前も挨拶なさい。従弟だぞ」
クラリッサ叔母上が背後の少女を促した。
「……は、はい。母上」
進み出てきたのは、15歳くらいの少女だ。 第一王女、アレクサンドラ。
(……デカいな)
俺の第一印象はそれに尽きた。 15歳にして、すでに身長は母上を超えているのではないか? 鍛え上げられた長身に、切れ長の瞳。手足も長く、体幹がしっかりしている。 前世で言えば、全国大会常連の女子剣道部の主将といった雰囲気だ。竹刀を持たせたら無双しそうな、真面目で実直そうな少女。
だが、その態度はどうだ。
「アークランド第一王女……アレクサンドラです……」
ガチガチに緊張している。 肩は強張っているし、視線は泳いでいる。 さっきまでのスポーツ万能優等生のような雰囲気はどこへやら、コレガ「赤ちゃんにどう接していいか分からない親戚のお姉ちゃん」状態か。
「アレクサンドラ、もっと近くへいらっしゃい」
母上が手招きをするが、アレクサンドラは恐縮して首を振る。
「い、いえ! 私のような武骨者が近づいては……」
「そんなことないわ。ほら、ほっぺ、触ってごらんなさい」
「えっ!? い、いいのですか!? 私ごときが!?」
「減るものでもなし。ほら」
母上に促され、アレクサンドラが恐る恐る俺に近づく。 その指先が、小刻みに震えている。
(おいおい、そんな体格をしておいて、赤ん坊一人に何をビビっているんだ)
「し、失礼します……」
彼女の指先が、俺の頬に触れた。 恐ろしくソフトタッチだ。豆腐を扱うよりも慎重な、羽毛が触れるような感触。
「……っ!!」
触れた瞬間、アレクサンドラが息を飲んだ。
「や、柔らかいです……! 温かい……!」
彼女は感動したように目を輝かせ、そしてすぐにパッと手を離した。
「だ、ダメです母上、アウローラ叔母様! 私が触れては、ヒイロ様が壊れてしまいそうで……怖いです!」
顔を真っ赤にして後ずさる従姉。
(……ふっ)
俺は心の中で笑った。 なんて不器用で、純粋な人なんだ。 恵まれた体格を持ちながら、赤ん坊一人にオロオロするそのギャップ。 よく訓練はしているが根が真面目すぎるのだろう。 ……悪くない。この従姉とは、いい関係が築けそうだ。
「心配しすぎだよ、アレクサンドラちゃん。見てごらん、ヒイロも嬉しそうじゃないか」
父上が助け船を出すと、アレクサンドラは「は、はい……!」と、なぜか直立不動で敬礼を返していた。
その時、クラリッサ叔母上の視線が、俺の枕元に留まった。
「ほう。……見事な細工だな。これが噂の黄金の香炉立か?」
彼女が指さしたのは、例の「黄金の香炉立」だ。 モントルヴァルの外交官イヴェットが持ち込み、今や俺の寝室の常備品となっている逸品。
「ええ。モントルヴァル公国からの贈り物よ」
母上が扇子を開き、少し自慢げに説明を始めた。
「技術も国宝級だけれど、南方のエヴェリンで虫よけに使われるローズマリーを意匠に組み込むなんて、細やかな心遣いでしょう? あちらの外交官が献上してくれたの」
「なるほど。ただの贅沢品ではなく、王子の健康を気遣った実用品というわけか。……モントルヴァル、侮れぬな」
クラリッサ叔母上が感心したように頷く。
(ああ、やはり誰が見ても良い出来なのだな……)
俺は天井を見上げた。 俺自身、美術品には目がない方だが、この香炉立の造形美と機能美には舌を巻いた。 これほどの品を用意できる外交官がいる国だ。モントルヴァルとは、ぜひとも仲良くしておきたいものだ。
「さて、長居をしてはヒイロも疲れるだろう」
一通りの歓談を終え、クラリッサ叔母上が切り上げた。 彼女は最後に、もう一度俺の顔を覗き込み、力強い瞳で語り掛けてきた。
「明日の『祝福の儀』、楽しみにしているぞ、ヒイロ」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ引き締まる。
「Wordがあろうとなかろうと、魔力がどうであろうと……お前は私たちの大切な家族だ。アークランドは、いつだってお前の味方だぞ」
「……ありがとうございます」
父上が深々と頭を下げる。
そうだ。明日だ。 明日の『祝福の儀』で、俺の全て――「Word」と「魔力量」が白日の下に晒される。 それは俺の人生の方向性を決定づける、最初の分岐点。
「では、また明日な」
クラリッサ叔母上と、何度も振り返りながら歩くアレクサンドラが退室していく。 扉が閉まり、再び静寂が戻った。
「さて、いよいよだね」
父上が俺の布団を掛け直してくれる。
俺は小さく拳を握りしめた。 準備はできている。 両親、姉たち、そして頼もしい親戚たち。 これだけのバックアップがあるんだ。
(さあ、来い。俺のスペック公開日。どんな結果が出ようと、この世界で生き抜いてやるさ)
俺は静かに目を閉じ、決戦の朝に備えて意識を深く沈めた。
子供の時に大人からかけられた温かい言葉って意外と覚えてますよね。
そして、その印象が、ずっと大きくなってからもその人に対する印象として残り続ける気がします。




