第33話「騎士の国の女王、来訪す」
大陸歴 2791年 6月 / エヴェリン王国 王都リュミエール近郊 / クラリッサ・アークランド(アークランド王国女王)
ガタゴトと、馬車が小石を踏む音がリズムよく響く。 王室専用馬車の窓から見える景色は、いつの間にか様変わりしていた。 我がアークランド王国の、赤土が露出した乾いた大地や、風が吹き抜ける荒涼とした草原はもう後ろだ。 国境を越え、要衝であるスティールウィンド辺境伯領を抜け、王都リュミエールへと近づくにつれ、車窓は瑞々しい緑と柔らかな風に満たされていく。
「……豊かな森だ。この湿り気を帯びた風の匂い、父上の香りを思い出すな」
私は膨らんだ腹部を無意識に撫でながら、独りごちた。 この国に来ると、どうしても父上のことを思い出してしまう。
私の父は、エヴェリン王国の王族だった。 先代女王エリシア様の弟君にあたる方で、政略結婚によって我がアークランド王国へ婿入りされたのだ。 質実剛健を旨とする騎士の国にやってきた、たおやかで文化的な「深窓の令息」。 本の読み聞かせや音楽を奏でることを愛する繊細な父上を、私の母――先代のアークランド女王は、それこそ狂わんばかりに溺愛していた。
今でも鮮明に覚えている。 たとえば、父上の誕生日。あの訓練場では鬼のように怖い母が、エヴェリンから早馬で取り寄せた「リュミエールの花束」を背中に隠し、まるで初恋を知ったばかりの少女のように頬を赤らめながら、父上に手渡していた姿を。
あるいは、稀な休日の午後。 父上が奏でる優美な横笛の音色に身を委ね、鎧を脱いだ母が父上の膝に頭を預けて、とろけるような安らかな顔でまどろんでいた光景を。
柱の陰からこっそりとその姿を覗き見ていた幼い私は、胸の奥がキュンと締め付けられるような、甘い憧れを感じたものだ。 「騎士王」とも呼ばれる厳めしい母を、あんなにも可愛らしい「ただの乙女」に変えてしまう父上。エヴェリンの男性が持つ包容力と愛の深さは、幼心にも魔法のように思えた。
母にとって父上は、愛する伴侶であると同時に、騎士として己の剣と生涯を捧げた「主」でもあったのだろう。 二人はいつも一緒だった。母の強さが父を守り、父の優しさが母の傷を癒やす。 それは、誰もが羨む理想の夫婦だった。
だが、 父上は49歳という若さで、病によりこの世を去ったのだ。 あの時の母の乱心ぶりは、今思い出しても胸が締め付けられる。 「あの方がいない世界に、何の意味があるというのだ!」 狂乱し、自らの喉に剣を突き立てて殉死しようとした母を、私や家臣たちが総出で必死に止めたのだ。
けれど、母の心までは癒せなかった。 あれほど壮健で、「騎士王」と謳われた母は、父上の死後、坂を転がり落ちるように一気に老い衰え、翌年、後を追うように亡くなった。 愛する主を失うことは、騎士にとって死に等しい。 私は、その30年に及ぶ幸せな夫婦生活の喜びとその凄絶な愛の結末の悲しさを、どちらもこの目で見て育ったのだ。
(今のアークランド貴族出身の夫に不満はないが……)
誠実で、私の背中を守ってくれる良い夫だ。 だが、エヴェリンから来た父上のように、触れれば壊れてしまいそうな儚さや、琴線に触れるような文化的な薫りはない。 だからこそ、今回エヴェリンで数十年ぶりに「王子」が産まれたと聞いた時、私は居ても立っても居られなくなってしまったのだ。
「……母上、お加減はいかがですか?」
隣に座る娘の声で、私は我に返った。 第一王女のアレクサンドラ。今年で15歳になる、私の長女だ。 まだあどけなさは残るものの、その体躯は私に似て恵まれており、すでに騎士としての風格を漂わせている。 彼女は「Word」こそ持たないが、魔力測定では「S(膨大)」を記録し、剣の腕も大人顔負けだ。 次期女王として申し分ない器だが、少々堅物で奥手すぎるのが玉に瑕か。
「ああ、問題ない。少し昔のことを思い出していただけだ」
私は短く答え、向かいの席に座る老婦人に視線を向けた。
「ヴィヴィアナ、もうすぐ王都だな」
「ほっほっ、左様でございますな」
ゆったりと頷いたのは、我が国の騎士団長、ヴィヴィアナ・ド・ランサ。 御年75歳。「槍の女帝」と恐れられる伝説の騎士だ。 老いてなおその背筋は槍のように真っ直ぐで、ひとたび戦場に出れば万軍を薙ぎ払う最強の武人。見た目は優雅な老貴婦人にしか見えないが、いまだに彼女に勝てる騎士はわが国には一人もいない。
「スティールウィンド家との合同演習以外でエヴェリンに来るのは久しぶりじゃわい。楽しみですのう」
「騎士団長ほどの重鎮を、私の我儘な旅の護衛に連れ出してすまないな」
私が詫びると、ヴィヴィアナは茶目っ気たっぷりに片目を瞑った。
「何の。身重の女王陛下が他国へ行かれるのです。武力的に守れる者は多くとも、政治的・外交的な判断も含めてお守りできるのは、私か副騎士団長くらいしかおりますまい」
「そうだな。……ロレーナにも声をかけたのだが」
「あの者は辞退しましたからのう」
副騎士団長のロレーナ・フォン・トキシン。彼女は私と同じ35歳。 彼女のWordは『Poison(毒)』。 「祝いの席に『毒』の女など、縁起が悪すぎます。私が参列しては、エヴェリンの方々に失礼にあたりますし、パーティが台無しになるかもしれませんから」と、本人が固辞したのだ。強いだけでなく気遣いもできる人なのだが、そのWordの危険性ゆえに損をしている。
「王都が見えてまいりました!」
アレクサンドラが窓の外を指さした。 光の都リュミエール。その城門の前には、出迎えの騎士団が整列しているのが見える。 その先頭に立つ小柄な人影を見て、ヴィヴィアナが口元を緩めた。
「ほっほっ、昔なじみの『海賊女』が迎えに来たようですな。彼女も元気そうで何よりじゃ」
エヴェリン王国副騎士団長、セラ・シャドウブレード。 エルフであるゆえにヴィヴィアナより遥かに若く見えるが、中身はヴィヴィアナ以上に歳を重ねた老練な女だ。昔、なぜ森にすむエルフを海賊女と呼ぶのかヴィヴィアナに聞いたことがある。セラ殿は幼少期にトルヴァード王国の海賊に誘拐されて長らく海賊として生活していたが、トルヴァード王国の滅亡時に脱出し、エヴェリン王国に移住してきて騎士団に所属したのだそうだ。
馬車が速度を緩める。 いよいよだ。 私の胸が、期待で高鳴る。
(事前に国内向けに行われたという『顔見世』……)
入ってくる情報によれば、参加した貴族たちは皆、ヒイロ王子の愛らしさと、赤ん坊とは思えぬ知性に首ったけだったという。 トルヴァードの優秀な外務大臣やフィオラ王国の大商人でさえ、骨抜きにされて帰っていったとか。
「父上と同じ血を引く男の子……か」
私は膨らんだお腹の、七番目の子を優しくなでた。 この子もエヴェリンの王子と良い縁を持てるかもしれない。 あるいは、隣にいる堅物のアレクサンドラにも、何か良い刺激になればいいのだが。
「さあ、参ろうか」
馬車の扉が開く。 私は騎士の国の女王として背筋を伸ばし、けれど、心の中では一人の「親戚の叔母」として、まだ見ぬ甥っ子に会える喜びに胸を震わせながら、エヴェリンの大地へと降り立った。
アークランドはエヴェリン王国の北西に接する騎士の国で、エヴェリン王国の重要な同盟国です。尚武の気風がある国で、『女は強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない』という価値観を持ってるこの世界における”女気”溢れる人達です。




