第30話「次なるマイルストーンに向けて」
大陸歴 2791年 6月 / エヴェリン王国 王都リュミエール / ヒイロ=エヴェリン
工業大臣ナムルーが魂を削って作り上げた特注ベビーベッドは、赤ん坊一人が寝るには広すぎるほどのサイズがある。 だが、今日のベッドはちょうどいい人口密度だった。
俺の隣には、もう一人の小さな天使が寝息を立てている。 数か月前に産まれた異母姉、ユリア・ド・ルクスだ。 神官長のテレジアさんが、公務の合間によくユリアを連れて遊びに来てくれるようになったのだ。
俺は自分の意思で動かせるようになってきた短い腕を伸ばし、ユリアの頬を指先でそっとつついた。
(やわらかい。赤ちゃんのほっぺの感触って最強だよなぁ……)
指が沈み込むような弾力と、温かな体温。 前世で自分の子供たちを寝かしつけていた時の記憶が蘇る。あの頃は仕事の疲れもこの感触で癒されたものだ。 ユリアは俺より数ヶ月先輩なだけあって、少しだけ体つきがしっかりしている。彼女は「Dream(夢)」というWordを持っているらしいが、今はどんな夢を見ているのだろうか。
「ふふ、二人とも仲良しね」
ベッドサイドから、母上の穏やかな声が聞こえる。 視線を向けると、そこにはいつもの首脳陣が集まっていた。 母上、父上、宰相のリリア叔母上、そして神官長のテレジアさん。 彼らは優雅に午後のティータイムを楽しんでいるように見えるが、その会話の内容は国の未来を左右する「経営戦略会議」だ。
「先日の顔見世……反響は予想以上でしたわね」
リリア叔母上が手帳を見ながら報告する。
「国内の貴族たちからの『王子推し』の熱量は凄まじいものです。関連消費も好調ですし、ヒイロへの献上品も止まりません」
(なるほど。ティーザーキャンペーンは大成功というわけか)
俺は狸寝入りを続けながら分析する。 先日の顔見世は、あくまで「お披露目」に過ぎない。俺という新製品のイメージ(ガワ)だけを見せて、期待値を煽るためのイベントだ。 その結果、エヴェリン王国王子の株価(期待値)はストップ高の状態にある。
「さて、次の予定ですが……」
リリア叔母上が話題を進める。
「いよいよ6月末、神殿にて『祝福の儀』を執り行います。これは宗教的な儀式ですので、参列者は国内の要人と親族のみに絞りましょう」
「ええ。そしてその翌月、7月に国外の賓客をお招きしての『王子紹介パーティ(国外向け)』を開催する……という流れでよろしいですね?」
母上の確認に、全員が頷く。
俺の脳内で、ガントチャートが組み立てられていく。
• 5月末: 国内向け顔見世 ⇒ 完了・大成功
• 6月末: 祝福の儀(スペック公開)
• 7月: 国外向けお披露目
(順調なロードマップだ。だが、綺麗すぎて怖いな。大きなロードマップの裏には中小のタスクが散在するものだが、そこも抑えられているのだろうか。コンサルが大日程だけ経営陣と握ってきて、中小タスクが現場任せで崩壊するプロジェクトが現代日本でもあった)
綺麗すぎるロードマップのプロジェクトには落とし穴があるものだ。問題が起きる前提で構えておこう。俺が警戒心を強めた時、テレジアさんがカップを置き、神官長としての真剣な表情で口を開いた。
「皆様、お忘れなく。……今度の『祝福の儀』は、顔見世とは意味合いが異なります」
場の空気がピリッと引き締まる。
「神の御前で、ヒイロ様の『Word(御名)』と『魔力量』が公にされるのです。つまり、これまでの『愛らしい王子』というイメージに加えて、数値化された『能力』が世界に露見することになります」
(……来たか)
俺はごくりと唾を飲み込んだ。 顔見世では、俺はただニコニコしていればよかった。 だが、祝福の儀は違う。俺が「SSR(超レア)」なのか、それとも「C」なのか。その性能評価が白日の下に晒されるのだ。
「その結果によって、7月の国際パーティの空気や、それまでの個別会談の申し込み状況が激変するでしょう」
テレジアさんの警告はもっともだ。 もし俺が強力なWordを持っていれば、各国の対応は「友好」から「取り込み」へと変わるだろう。逆に期待外れなら、「見切り売り」が始まるかもしれない。
「……ミラナが懸念していた、他国からの『婚姻要請』ですね」
リリア叔母上が眉をひそめる。
「ええ。今はまだ『可愛い王子』で済んでいるけれど、もし強力なWordや魔力を持っていたら……」
母上の声に不安が滲む。 かつて外務大臣のミラナが言っていた、ドラコニア帝国やエテルニア大帝国といった巨大資本(覇権国家)からの買収提案(政略結婚)。
(『可能性』じゃない。ビジネスの鉄則で言えば、競合他社は『100%仕掛けて来る』と想定して対策をすべきだ)
俺は冷静に分析する。 この世界において、希少な「男性」かつ「王族」。そこに「強力な能力」が加われば、それは相当な戦略資源だ。 一国を率いる女帝や女教皇たちが、指をくわえて見ているはずがない。
「どう断るか、どう守るか……。具体的な対策は、ヒイロの能力が判明してからでなければ立てられないね」
父上が困ったように頭をかいた。
そう、現時点では俺のスペックは不明だ。 父上の『Soil(土)』が遺伝するのか、それとも全く別の何かなのか。あるいは「なし」なのか。それに少ない魔力量も遺伝するのか。不確定要素が最需要個所を隠している状況だ。具体的な対策は立てられない。
「……今は考えすぎても仕方ありませんわ」
母上が空気を変えるように明るく言った。
「まずは、目の前の祝福の儀に向けて準備をしましょう。どんな結果であれ、ヒイロは私たちの愛しい息子に変わりはないのですから。……ねえ、ヒイロ?」
母上が覗き込んでくる。 その愛情深い瞳を見つめ返そうとした瞬間、俺の腹時計がけたたましくアラームを鳴らした。
「オギャー(腹減った!)」
シリアスな思考は、生理的欲求の前にあっけなく霧散した。 血糖値の低下。緊急事態だ。 つられて隣のユリアも「あー!」と泣き出した。どうやら姉弟そろって補給の時間のようだ。
「あらあら、二人ともお腹が空いたのね」
母上が苦笑しながら、手慣れた様子で俺を抱き上げる。 同時に、テレジアさんもユリアを優しく抱き上げた。
「では、失礼して」
二人の母は顔を見合わせて微笑むと、並んでソファに腰を下ろし、ゆったりとした衣服の胸元を寛げた。
(……ッ!)
俺の視界いっぱいに、母上(女王)とテレジアさん(神官長)の、白く豊かな果実が露わになる。 国のトップと宗教のトップによる、ダブル授乳。 35歳の理性が「待て、この絵面はあまりに神々しすぎるし背徳的だ」と叫ぶが、赤ん坊の本能は「メシだ!」と歓喜の声を上げる。
「さあ、お飲みなさい」
母上の温もりが口元に近づく。 俺は抗うことなく吸い付いた。温かなミルクが喉を通り、空腹と不安を溶かしていく。 隣を見れば、ユリアもテレジアさんの胸で幸せそうにミルクを飲んでいる。
父上とリリア叔母上は、その光景を微笑ましそうに見守っている。 同じ男(父上)を愛し、その子供を産み、こうして並んで授乳する。 前世の常識では考えられない光景だが、ここにあるのは確かな「家族の絆」と「平和」だった。
(……まあいい)
母上の腕の中で、俺は思考を切り替える。 スペック公開の日は近い。政治の荒波も迫っている。 だが、それまではこの温かい場所で、ただの赤ん坊として英気を養わせてもらおう。 来るべき『祝福の儀』の日に、最高のパフォーマンスを発揮するために。
中世の支配階級にとって婚姻は最も頭を悩ませたことの一つだと思います。
歴史を見ると男性側は少しでも有力な家から妻を貰おうとしていたので、有力な家の娘が余ることはほぼ無かったようですね。
男女の役割が逆転すると有力な家の男性は余ることがないと考察します。男女比が偏っているとさらに。




