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ヒイロ回顧録 ~男女比1:30の女系国家に王子として転生した元営業部長が、国をガチ経営していたら英雄になっていた件~  作者: 五十六


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第28話「香炉立に秘められた深意」

大陸歴 2791年 5月 / エヴェリン王国 王都リュミエール / ヒイロ=エヴェリン


祭りの後の静けさ、というのは心地よいものだ。 ナムルー大臣が作った特注ベビーベッドの中で、俺は心地よい疲労感に包まれていた。 今日の「顔見世」という名の俺のこの世界における初陣は大成功と言っていいだろう。


夜も更け、寝室にはいつものメンバーが集まっていた。 母上アウローラ父上エリオン、宰相のリリア叔母上、そして侍女長のエラーラ。 彼らもまた、長い一日を終えて安堵の息をついている。


「……ふぅ。何とか無事に終わりましたね」


リリア叔母上が、暖かい紅茶を口にしながら呟いた。


「ええ。ヒイロもよく頑張ってくれたわ」


母上が俺の頬を撫でる。俺は「あーうー(お疲れ様です)」と応えつつ、狸寝入りモードへと移行した。ここからは大人の反省会だ。情報収集の時間である。


「収穫は大きかったな。特に、北方のスティールウィンド家の長女リアナ嬢と、ウォーデン家の嫡男アルトリウス君。……あの二人の雰囲気、とても良かったと思わないかい?」


父上が楽しげに切り出した。


「ええ、私も見ましたわ。武門の名家同士、通じるものがあったのでしょう。帰りがけにはアルトリウス君がリアナ嬢の馬車に駆け寄って話しかけていました。あそこが結ばれれば、北方の守りと王都の守護がより強固になります。国益に叶うロマンスですわね」


リリア叔母上が政治的な評価を下す。なるほど、俺のパーティがきっかけで恋愛結婚の種が撒かれたわけか。悪くない。


「それに、トルヴァード連邦のアルーシャ殿も。……エヴェリンの男性陣の、特にエリオン様の笑顔に骨抜きにされていましたわね」


「からかわないでくれよ、リリア。……でも、彼女が熱烈なエヴェリン派になってくれたのは大きい。ドラコニア帝国への防波堤として、トルヴァードが機能してくれるなら安いものさ」


父上は苦笑しているが、その成果は計り知れない。 肉食系外交官の欲望を、国益というエネルギーに変換する。見事なマネジメントだ。


「そして……これね」


母上の視線が、ベッドサイドのテーブルに向けられた。 そこには、今日のMVPとも言える献上品――モントルヴァルの外交官イヴェットが持ってきた「国宝級の香炉立」が置かれている。 すでに使用されており、ほのかな香煙が揺らめいている。


「ナムルー大臣が『国宝級だ』と絶賛していた逸品だね」


「ええ。それにあの外交官……イヴェットと言ったかしら? 『遠慮なくガシガシ使ってくれ』と言っていたわね。その言葉に甘えて早速使わせてもらったけれど」


母上の言葉に、部屋の隅に控えていた侍女長のエラーラが一歩進み出た。 彼女の眼鏡の奥の瞳が、静かに光っている。


「……陛下、皆様。僭越ながら申し上げます」


エラーラが厳かな口調で切り出した。


「この香炉立は、単に技術が優れているだけではありません。これは、エヴェリン王国の文化と、赤子への配慮を骨の髄まで理解していなければ贈れない品です」


(ん? どういうことだ?)


俺は耳をそばだてた。あのテンパっていた新入社員のような外交官に、そこまでの深意があったのか?


「まず、意匠に使われている花――ローズマリーについてです」


エラーラが香炉立を指し示す。


「ローズマリーは、温暖な南方のエヴェリンでは庭先にも生える一般的な植物ですが、寒冷な北方のモントルヴァルには自生しておりません。あちらでは乾燥したものが食用ハーブとして流通する程度でしょう」


「そうね。わざわざ異国の植物をモチーフにするなんて、勉強熱心だわ」


「はい。ですが、それだけではありません。我が国において、この時期のローズマリーは『別の意味』を持ちます」


エラーラの言葉に、リリア叔母上がハッとした顔をした。


「……そうか、虫よけね」


「左様でございます」


エラーラが深く頷く。


「特に肌の弱い男児を毒虫から守るため、初夏から秋の終わりにかけてローズマリーのお香を焚くのは、エヴェリンの子育てにおける常識。……彼女もしくはモントルヴァルの工匠はそれを知っていて、あえてこの意匠を選んだと考えるべきです」


(……マジか。)


俺は驚いた。あの若手外交官、適当な花を選んだのではなく、徹底的な現地マーケティングを行った上でこのデザインを採用したというのか? 虫よけという実用性を持った上で自国の技術力を見せる香炉立という選択。UXユーザーエクスペリエンスを完璧に理解している。


さらにエラーラは続ける。


「そして、この香炉立を手に取ってみてください。……驚くほど軽いです」


父上が香炉立を持ち上げ、「本当だ。見た目の重厚感に反して、羽のように軽い」と目を丸くする。 金と銀の合金だ。普通ならずっしり重いはずだ。


「内部まで徹底的に金属を削ぎ落とし、極限まで薄く加工する技術。……それも王子誕生の贈り物であると考えるなら、これは、単なる軽量化ではありません」


エラーラは断言した。


「万が一、赤ちゃんが手をぶつけて倒してしまっても、この軽さなら怪我をしません。それでいて、足元の重心は低く設計されており、倒れにくい。……これは芸術品である以前に、赤子の安全を第一に考えた実用品の極みとして計算され尽くしています」


「おお……」


一同から感嘆の声が漏れる。


「『ガシガシ使ってください』という言葉は、この安全性への絶対的な自信の表れだったのでしょう。もしくは王子に使ってほしいと思って作った工匠の思いだったのかもしれません」


(……すげぇ)


俺は戦慄した。 材料費をケチるために金属を極限まで薄く延ばし、中身をスカスカにした……のではなく、「安全のための軽量化」だったのか。 あの時の彼女の必死な形相を思い出すに、もしかしたら「結果オーライ(怪我の功名)」の可能性もある。 だが、ビジネスにおいて重要なのはプロセスよりも結果だ。 ユーザーである俺たちが「使いやすい」「安全だ」「素晴らしいものだ」と感じたなら、それは正義なのだ。


「そうね、妊娠の公表はずっと前にしていたもの。もしかしたら、その時からずっと、生まれてくる子のことを考えて準備してくれていたのかしら……」


母上が納得したように語る。


「それに……」


エラーラが最後に、少しだけロマンチックな声音で付け加えた。


「これは私の考えすぎかもしれませんが……ローズマリーの花言葉をご存じですか?」


母上が小首をかしげる。


「花言葉?」


「はい。ローズマリーの花言葉は、『私を思い出して』 と 『変わらぬ愛』 でございます」


エラーラは、立ち昇る香煙を見つめながら語る。


「私たちはこの香りを焚くたびに、彼女とモントルヴァル公国のことを思い出すでしょう。そして、国を挙げて王子誕生を祝う『変わらぬ愛』を誓っている……そう読み取ることもできます」


「……っ!」


母上が胸の前で手を組んだ。


「なんて奥ゆかしくて、知的なメッセージなの……! ただ豪華なだけの贈り物とは、格が違うわ」


リリア叔母上も唸る。


「恐れ入りました。イヴェット・カンガ……。あのおどおどした態度は、能ある鷹が爪を隠していただけということか。どこまでも推測の域を出ないがモントルヴァル、底知れない国ね」


(おいおい、マジかよ……)


俺は心の中で突っ込まざるを得なかった。 あの新人が、そこまで計算していたのか? 北国にはない植物を選び、育児の風習に合わせ、ギリギリの軽量化を「安全設計」に昇華させ、さらに花言葉で外交メッセージを送る?


もし全て計算だとしたら、彼女はとんでもない「ボンドガール」だ。 だが本当にそうか?


(……まぁ、どちらにせよ、あの外交官は『持ってる』な)


ビジネスの世界でも、理屈を超えた「運」を持つ奴が最後に勝つことがある。 経営の神様と呼ばれた昭和を代表する経営者も、人材採用のときには『君は運がいいか?』と聞いて、『運がいい』と答えた人を採用していたという話が残っている。彼女が意図したかどうかなんて関係ない。 現に、エヴェリン王国のトップたちは彼女の仕事に感動し、モントルヴァルという国への評価を爆上げしているのだから。


「ふふ、素敵な香り」


母上が幸せそうに目を細める。 部屋には、清涼感のあるローズマリーの香りが満ちていた。虫よけになり、リラックス効果もあり、何より俺の安全を守ってくれる香り。


(モントルヴァル公国か……)


職人を尊び、こんなにも素晴らしい芸術品を作れる国。俺の中で、その国の優先順位がぐっと上がった。


「いつか行ってみたいな」


そんなことを考えながら、俺はローズマリーの香りに包まれて、深い眠りへと落ちていった。 夢の中で、あの必死な顔をした外交官に「グッジョブ」とサムズアップを送るつもりで。


香りって強烈に印象に残りますよね。友人宅に遊びに行ったときに、「OO君の家の香りだ」とか、お祖父ちゃん家に遊びに行って線香の香りや畳の香りを「お祖父ちゃん家の香りだ」とか感じたことある人は多いと思います。


このローズマリーの香りも、登場人物たちからヒイロの部屋の香りと感じられる日も来るかもしれません。

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