第13話「王子という存在の影響」
大陸歴 2791年 5月 / エヴェリン王国 王都リュミエール / ミラナ・ソラリス(外務大臣)
「あらあら、すごいことになってるわねぇ。これじゃあ執務どころじゃないんじゃない?」
私がリリアのいる宰相執務室の重厚な扉を開けると、そこは書類の海というよりは、宝の山に埋もれた倉庫のようになっていました。 部屋の隅から隅まで積み上げられた、色とりどりのリボンがかけられた箱、箱、箱。そして机の上を占拠する手紙の山。 その隙間で、宰相のリリアちゃんが眉間にしわを寄せながら羽根ペンを走らせています。
「……ミラナ様。冷やかしならお帰りください」
「冷やかしじゃないわよ。これでも心配して来たの。外務省の方にも、各国の大使から面会要請が殺到していて大変なんだから」
私は扇子で口元を隠して優雅に笑いながら、足の踏み場を探して部屋の中へ進みました。 昨日、「王子誕生」が公表されてからというもの、王宮はこの有様です。 けれど、この部屋にいるもう一人の人物――商業大臣のルシラさんは、この惨状を前にして目を「¥」の字に輝かせていました。
「何を仰いますか、ミラナ様! これは嬉しい悲鳴ですわ!」
ふっくらとした体型のルシラさんが、プレゼントの目録を片手に鼻息も荒く力説します。
「王子が産まれた国は必ず発展しますわ! 国内の貴族や豪商たちは、王子と関係を持つべく、熱心に働くでしょう。何せ、ここ数十年で最大の『優良物件』なのですから!」
彼女は侯爵家の当主であると同時に王国最大の不動産王である商魂たくましい大商人であり、王国の金庫番。その彼女がここまで興奮するのも無理はありません。
「もちろん、王配のエリオン様も素晴らしいお方です。ですが、あの方は『女王の王配』というしがらみがありますわ。おいそれと他の貴族が秋波を送る事も憚られますし、誰もかれもが種をいただくわけにはいきません」
ルシラさんは声を潜めることもなく、あっけらかんと言い放ちます。 まあ、この世界の常識ではありますが、改めて口にすると生々しい話です。流石に何人も子供を産んでいる肝っ玉母さんはこの手の話は平気ね。
「ですが、ヒイロ様は違います! まだ誰のものでもありません。しがらみなく、将来は誰とでも関係を持つことができます。その期待値がこのプレゼントの山であり、この期待は今後もしばらく続くことでしょう。これは極めて大きな商機ですわ!」
バチン、と彼女は目録を叩きました。
「ヒイロ様との繋がりを求めて、商人たちの投資意欲や富裕層の購買意欲は爆上がり中です。王子がどのような人物に育つとしても、王子がいるというだけで王都には人が集まり、国の生産力も向上します。ヒイロ様はそこに存在しているだけで、経済を回す太陽なのです!」
「ふふ、ルシラさんの言う通りね」
私は同意しつつ、自分の専門分野である外交の視点から補足します。
「外交も同じよ。ヒイロちゃんがパーティに出席するというだけで、参加者は倍増……いいえ、三倍増は堅いでしょうね。彼に近づくために、普段なら通らないような無理なお願いも、今なら通る可能性が高くなるわ」
(……ええ、まさに最強の外交カードよ)
私は心の中でほくそ笑みました。 これまでの外交交渉において、我が国は「安定しているが、強い交渉は難しい」と見られがちでした。 ですが、これからは違います。 「王子」という分かりやすい切り札を手に入れたことで、こちらが主導権を握れる場面が飛躍的に増えるでしょう。 ヒイロちゃんの笑顔一つ、視線一つが、条約の調印を左右する武器になるのです。
けれど、浮かれてばかりもいられません。 私は扇子を閉じ、表情を引き締めました。
「でもね、リリアちゃん。……注意すべきは、三大勢力の他の2つが、本気でヒイロちゃんを『王配』として迎えたいと言ってきた時ね」
私の言葉に、リリアちゃんの手が止まり、ルシラさんも表情を曇らせました。 このヴァリス大陸は現在、三つの巨大な勢力によって分割され、均衡を保っています。
一つは、我らがエヴェリン王国を中心とする「光の同盟(Alliance of Light)」。 多種族共生と調和を掲げ、フィオラ王国やティルナリア王国といったエルフや精霊族など人間以外の人も多く住む国々と連携する平和と調和を求める陣営です。
二つ目は、ドラコニア帝国を中心とする「炎盟(Covenant of Flame)」と呼ばれる国々の集合体。 力こそ正義を掲げ、圧倒的な武力で大きな国をいくつも攻めて支配下に置いた女帝の率いる軍事同盟。
そして三つ目は、西方の大国・エテルニア大帝国を中心とする「永遠条約圏(Eternal Treaty Sphere)」。 唯一神への信仰と、厳格な規律によって統制された宗教国家群。
「ドラコニアの女帝サラリナも、エテルニアの女教皇マルアラも……あの古狸たちが、ヒイロちゃんの価値を見逃すはずがないわ」
特にドラコニアは能力主義、エテルニアは教義による支配を好みます。 もし彼女たちが正式に「婚姻」を申し込んできたら? 大国の皇帝や教皇からの求婚を断るということは、即ち宣戦布告と同義になりかねません。
(ドラコニアの伝説的な女帝も相当なお年寄り。アナスタシアからの報告によると後を継ぐ人はまだ確定しておらず、第一王女、第二王女、第三王女がそれぞれ軍事力を有している非常に危険な状況。後継者争いが始まれば、ヒイロちゃんを利用しようとする勢力も出るでしょうし……エテルニアは宗教的な大義名分を掲げて強引に連れ去る可能性もある)
外交官としての私の脳内で、最悪のシミュレーションが駆け巡ります。 平和なゆりかごの中で眠るあの子は、生まれた瞬間から強力な狩人に狙われてしまう存在なのです。
「……ええ。わかっています」
リリアちゃんが重々しく頷きました。
「だからこそ、国内の足場を固め、ヒイロを守る体制を作らなければなりません。……彼を、他国の政治や戦争の道具になどさせませんわ」
その声には、宰相としての責任感と、叔母としての愛情が入り混じっていました。 空気が重くなりかけたところで、私はパンと手を打ち、ニッコリと微笑んでみせました。
「ま、心配しすぎても肌に悪いわ。そこは任せてちょうだい」
私は再び扇子を開き、優雅に仰ぎます。
「私の『Feather(羽)』のような軽やかな話術とコネで、ドラコニアやエテルニアからのあれこれはのらりくらりと躱してみせるわよ。……あんな可愛い子、あの危険な女たちには渡さないわ」
大人の女性の余裕と、ほんの少しの独占欲を込めて締めくくると、リリアちゃんもルシラさんも、ようやく安心したように笑みを返してくれました。
「その代わり、リリアちゃん。お願いがあるの」
私は扇子でリリアちゃんを指し示しました。
「国内と同盟諸国は、絶対に味方に付いてくれるように早々に動いておいてほしいのよ。もっと具体的に言えば……祝福の儀の前に、国内向けに顔見世の場を作ってほしいのよ」
「祝福の儀の前に、ですか?」
リリアちゃんが怪訝そうな顔をします。通常、王族のお披露目は生後一か月後に行われる神殿での儀式とセットで、顔見世のパーティをやるにしても祝福の儀のあとに行われることが普通だからです。
「ええ。だって「祝福の儀」の後だと、彼そのものへの愛情よりも、Wordがどうだとか魔力量がどうだという定量的な話が会話のメインになってしまうわ」
私は人差し指を立てて、力説しました。
「あなたの娘たちも、ヒイロちゃんの可愛らしさにノックアウトされたんでしょう? それと同じことを、国内の有力者たちにもさせるのよ。顔見世の場を作るだけで、理屈抜きの仲間が増えるわ」
私はウインクを飛ばします。
「もちろん、早めの青田買いで関係を持とうとしてくる不埒な輩もいるでしょうけど、国外とのことを考えると、そういう『ヒイロちゃん個人に惚れこんだ人たち』とか『こっちが先に関わりを持っていたんだぞって人たち』こそが、いざという時に最強の味方になってくれるのよ」
私の提案に、真っ先に反応したのはルシラさんでした。
「素晴らしいですわ、ミラナ様! 大賛成です!」
彼女は目録を放り出して、身を乗り出しました。
「商業ギルドの有力者や大商人も参加させたいですわ! 彼らは新しいもの、輝くものが大好きです。ヒイロ様の愛らしさを直接目にすれば、財布の紐も緩むというもの。国内経済の活性化にも繋がります!」
リリアちゃんもしばし考え込み、やがて納得したように頷きました。
「……一理あるわね。Wordの有無で値踏みされる前に、「エヴェリン王国の王子」という存在そのものを愛させてしまう。それが、国内を一枚岩にする最速の手立てかもしれません」
彼女は手元の書類をまとめ、立ち上がりました。
「善は急げです。早速、この案を姉様とエリオン様に説明してきます。お二人の賛同が得られれば、すぐに準備に取り掛かりましょう」
「ええ、頼んだわよ」
リリアちゃんが颯爽と部屋を出ていくのを見送りながら、私は満足げに扇子を閉じました。
さて、忙しくなるわよ。 可愛いあの子が健やかに育つ時間を稼ぐためにも、私は私の戦場へと向かうことにしましょう。
個人的な感覚ですが、「定性的な納得感」や「具体的なユースケース」を基に進めるプロジェクトは成功しやすいです。逆に、理想的な目標やTobe像だけがあって、生産性がOO時間改善~とか、コストがOO円カットできて~みたいな「定量的な数字」を基に進めるプロジェクトは遅延したり現場の動きが悪かったりして失敗することが多々あります。
具体的なイメージが湧くプロジェクトに対して、迅速に投資して進めることが成功の秘訣なんでしょうが、投資対効果(ROI)を計算させることに時間を使わせる上位者がまだまだいることは悲しいことです。
エヴェリン王国の上層部は良いことだと思ったらやってくれる人たちで描きます。机上の空論の投資対効果(ROI)なんて求めない素敵な人たちです。




