第7話 転生したら音声テープだった
静けさの中に、変化があります。
今日も一つの“時間”を刻みに来てくれて、ありがとう。
カチリ。
暗闇の中で、何かが動いた。
機械の音。
金属が噛み合う音。
バネが弾け、歯車が回り、スイッチが入る。
誰かの指が、ボタンを押した。
ヒス音が立ち上る。
ザザザ……
微かな、連続する摩擦音。
空白の音。
何もない時間の音。
そして――
ザザ……ザ……
磁気が震える。
自分の体が、回り始める。
リールが軋み、テープが送られる。
褐色のテープが、ゆっくりと巻き取られていく。
自分は、音声テープだった。
再生ヘッドが触れる。
磁気の粒子が並び、波を作る。
その波が、電気信号に変わり、スピーカーを震わせる。
そして――
声になる。
誰かの声。
遠い、遠い声。
だが、確かに人の声。
「……こんにちは」
流れ出す。
自分の中から、声が溢れ出す。
それは自分の声ではない。
だが、自分の体を通して響いている。
磁気テープの表面を滑る再生ヘッド。
その接触が、過去を呼び起こす。
声は続く。
途切れ途切れに。
ノイズ混じりに。
「今日は……晴れて……いる」
「公園に……行った」
「……母が……笑っていた」
「久しぶりに……」
「……ありがとう」
断片。
記憶の欠片。
言葉と言葉の間に、空白がある。
録音されなかった時間。
沈黙。
だが、それも記録の一部だった。
声は、懐かしい。
温かい。
生きていた頃の声。
誰かが、自分に語りかけていた頃の声。
自分は、その声を記録している。
磁気という形で。
見えない波として。
酸化鉄の粒子の配列として。
そして今、再生されている。
リールが回る。
カラカラと、乾いた音を立てて。
テープが送られる。
左から右へ。
磁気が読み取られる。
声が蘇る。
過去が、今、呼吸をしている。
「……ありがとう」
その言葉が流れた瞬間、自分は理解した。
この声は、手帳に文字を書いていた人のものだ。
書く代わりに、語った人。
ペンの代わりに、声で記録した人。
同じ人。
同じ時間。
ただ、形が違うだけ。
文字は紙に刻まれ、
声は磁気に刻まれる。
どちらも、時間を留める方法だった。
どちらも、存在の痕跡だった。
テープは進む。
声は続く。
言葉が紡がれる。
「……雨が降った」
「傘を忘れた」
「びしょ濡れになって……笑った」
小さな出来事。
些細な記憶。
だが、それが人生だった。
大きな出来事ではなく、
積み重ねられた日常が、
時間を作っていた。
自分の中を、その日々が流れていく。
磁気の波として。
音の連なりとして。
再生は続く。
何度も、何度も。
誰かがボタンを押すたび、自分は回り始める。
そして、同じ声が流れる。
「……こんにちは」
「今日は……晴れて……いる」
「……母が……笑っていた」
繰り返し。
記憶の反復。
時間の輪廻。
同じ言葉が、何度も再生される。
同じ瞬間が、何度も蘇る。
だが、それは単なる反復ではなかった。
聴く者が変われば、意味も変わる。
時代が変われば、響きも変わる。
自分は、ただ記録を再生しているだけ。
だが、その再生が、新しい記憶を生んでいた。
だが、気づく。
再生のたび、音が変わっている。
微かに。
少しずつ。
ノイズが増える。
ザリ、という擦過音。
ピチ、という断続音。
声が歪む。
高音が削れ、低音が濁る。
磁気粒子が擦れ、配列が乱れ、波形が崩れていく。
劣化。
再生ヘッドが触れるたび、
磁気が削られる。
テープが擦れるたび、
表面が損なわれる。
自分の体が、削られている。
過去が、少しずつ消えている。
「……こんに……ちは」
「……晴れ……て……」
途切れる。歪む。
音が飛び、声が揺れる。
言葉が溶ける。
それは、時間の傷だった。
完璧な保存など、存在しない。
どんな記録も、いつか劣化する。
だが――
それでも、声は響く。
歪んでも。途切れても。
ノイズに埋もれても。
声は、残る。
「……ありが……とう」
その言葉が、また流れる。
だが今度は、少し違う。
ザリ、という雑音が混じる。
音程が揺れる。
それでも、言葉は聞こえる。
劣化は、終わりではない。
変化だ。
変容だ。
進化、ですらある。
過去の声が、現在の音になる。
記録された瞬間の純粋さは失われても、
今、この瞬間に再生される音には、
新しい呼吸がある。
時間が刻んだ呼吸が。
ノイズも、音だ。
歪みも、響きだ。
それらは時間が刻んだ痕跡であり、
生きた証だった。
記録が、時間と共に生きてきた証拠だった。
完璧な音は、死んでいる。
変化しない記録は、凍りついている。
だが、劣化する音は、生きている。
時間と共に呼吸し、
時代と共に変わり、
聴く者と共に在る。
リールが回る。
テープが送られる。
自分は、何度でも再生される。
同じ声。
同じ言葉。
だが、毎回少しずつ違う。
それが、記憶の呼吸だった。
ある日、再生が止まる。
カチ、という音と共に。
リールが止まり、磁気が静止する。
沈黙。完全な、静寂。
だが、自分の中にはまだ余韻が残っている。
磁気の配列。刻まれた波形。声の残響。
止まっても、消えない。
静寂の中で、波は眠っている。
次に再生される日を待って。
誰かがまた、ボタンを押すかもしれない。
そのとき、声はまた蘇る。
少し歪んで。
少しノイズ混じりで。
だが、確かに響く。
「……こんにちは」
その声は、もう完璧ではない。
原音ではない。
時間に削られ、
再生に磨耗し、
劣化した音。
だが、だからこそ、生きている。
だからこそ、呼吸している。
過去は、変わらないものではない。
思い出すたび、少しずつ形を変える。
記憶は、再生のたび、新しくなる。
蘇るたび、違う色を帯びる。
それが、記憶の本質だった。
固定されたデータではなく、
生きた呼吸だった。
自分は音声テープだった。
過去を記録する者ではなく、
過去を呼吸させる者だった。
リールが止まっても、磁気は残る。
声が歪んでも、言葉は届く。
再生は、復活だ。
劣化は、進化だ。
時間は、繰り返すことで新しい意味を得る。
カチリ。
また、誰かがボタンを押す。
リールが回り始める。
磁気が震える。
ザザ……という空白の音。
そして――
「……こんにちは」
声が流れる。
今日も。明日も。
やがて音が消える日まで。
だが、その日が来ても、
波の痕跡は残る。
磁気の記憶は、消えない。
声は消えても、響きは残る。
音は止まっても、波は続く。
――それが、記憶の呼吸だった
お読みいただき、ありがとうございます。
次の章でも、また別の“流れ”が見えてくるかもしれません。




