第5話 転生したら古時計だった
少しずつ、物語は流れていきます。
言葉よりも“余白”で感じていただければ幸いです。
沈黙。
埃。
そして、光。
意識が戻る。
最初に感じたのは、静けさだった。
音のない世界。
動きのない空間。
空気すら、止まっているように感じる。
ただ埃だけが、微かに漂っている。
光の中で、ゆっくりと舞い降りる埃。
何年、何十年分の埃が、この部屋を満たしている。
光が差し込んでいる。
窓から。
隙間から。
斜めに、細く、弱々しく。
カーテンはない。
かつてあったであろう布は、朽ちて落ちたのだろう。
ガラスは曇り、ひび割れている。
外の景色は、ぼんやりとしか見えない。
その光が、自分を照らしている。
自分は、時計だった。
古い、振り子時計。
壁に掛けられ、長い年月を過ごしてきた存在。
木枠は色褪せ、塗装は剥がれ、ガラスには埃が積もっている。
文字盤の数字は、かすれて読めない。
針は錆び、曲がり、だが動いている。
木の匂いがする。
古く、乾いた木。
湿気を吸い、反り、軋んでいる。
カビの匂いも混じる。
そして、錆の匂い。
金属が朽ちていく、あの匂い。
この屋敷には、誰もいない。
足音も、声も、生活の音も聞こえない。
ただ風が、時折隙間を通り抜けるだけ。
ヒューと低く唸り、窓を震わせる。
床には、落ち葉が入り込んでいる。
誰も掃除をしない。
誰も訪れない。
そして、音。
チッ。
針が動く。
一秒が刻まれる。
……
……
……
チッ。
また動く。
だが、間隔が違う。
長すぎる。
三秒、いや四秒経っている。
チ……ッ。
狂っている。
自分の刻む時間は、世界の時間とずれている。
正確ではない。
均一ではない。
針が震える。
歯車が軋む。
油が乾き、金属が擦れ、音が歪む。
ギリ、ギリと内部で何かが引っかかる。
摩擦音が、内部で反響する。
カチ、カチリ、チッ……カチ。
リズムが崩れている。
だが、止まらない。
動き続ける。
狂いながら、刻み続ける。
振り子が揺れる。
ゆっくりと、重く、だが確実に。
左へ、右へ。
真鍮の重りが、光を反射する。
その表面も、錆びている。
緑青が浮き、くすんでいる。
その動きが、時を運ぶ。
カチン、カチン。
振り子が端に達するたび、小さな音がする。
だが、その音も均一ではない。
時には早く、時には遅く。
リズムが乱れている。
カチン……カチ……カチン。
美しい不規則。
だが、その時は正しくない。
かつて自分は、正確な時計だった。
第1話で、針として世界を刻んだ。
規則正しく、途切れなく、完璧に。
チッ、チッ、チッ。
その音は、世界の呼吸そのものだった。
誰かが自分を見て、時間を知った。
誰かが自分を頼りに、生活を営んだ。
だが今は違う。
誰も見ない。
誰も頼らない。
砂として流れた記憶が、蘇る。
第2話の、あの感覚。
落ち、積もり、ひっくり返された記憶。
流れの中で個を失い、また戻った日々。
サラサラという音が、今も耳に残っている。
あの時も、自分は止められなかった。
流れるしかなかった。
石として積まれた記憶も、ある。
第3話の、あの時間。
熱い風、人の手、祈りの声。
形を得て、永遠を目指した日々。
手の跡が、まだ感覚として残っている。
あの時、自分は動かなかった。
ただそこに在ることが、役割だった。
錆として崩れた記憶も、残っている。
第4話の、あの変化。
赤く染まり、粉となり、風に舞った感覚。
変化することで、続いた時間。
カリカリという音が、まだ聞こえる。
あの時、自分は形を失った。
だが消えなかった。
それらが、今、混ざり合っている。
自分の中で。
狂った時間の中で。
チッ……カチ……チ。
音が響くたび、記憶が揺れる。
過去と現在が、重なる。
針が指す時刻は、正しくない。
だがその間違いの中に、全ての記憶が宿っている。
正確さを失った代わりに、記憶を得た。
時間とは、刻むことだけではなかった。
流れることだけでもなかった。
積むことだけでもなかった。
変わることだけでもなかった。
狂うこと。
それもまた、時間の在り方だった。
誤差ではない。
ずれは、新しい秩序の始まりだった。
不規則は、個性だった。
光が揺れる。
窓の外で、木が揺れているのだろう。
葉が風に吹かれ、影を作る。
影が伸び、縮み、また伸びる。
その動きと、自分の針の動きが、重なる。
だが同期はしない。
世界の時間と、自分の時間は、もう別のものだった。
自分は今も、ここにいる。
壁に掛けられ、誰にも見られず、ただ刻み続けている。
狂った時間を。
だが、それでいい。
正確さは、失われた。
だが時間は、流れている。
針が進むたび、世界が息をする。
その呼吸と、自分の呼吸は、もう一致しない。
だが、それもまた美しい。
狂いの中にこそ、個がある。
ずれの中にこそ、記憶がある。
不規則の中にこそ、生が宿る。
チッ……カチリ……チ。
音が響く。
世界が進む。
時間が流れる。
部屋の隅で、何かが動く気配がする。
埃が舞い、光が乱反射する。
だが誰もいない。
ただ自分だけが、ここで動いている。
外の世界では、人が生き、季節が巡り、時代が変わる。
新しい時計が作られ、正確な時を刻む。
人々はそれを見て、生活を営む。
だが自分は、ここで止まったまま動いている。
止まったまま、動いている。
その矛盾が、古時計の本質だった。
狂いは、別の秩序を生む。
ずれは、新しいリズムを作る。
記憶は、時間の中で歪み、混ざり、重なる。
それが、古時計の在り方だった。
そして自分は、永遠に刻み続ける。
狂いながら。
記憶と共に。
誰にも見られず。
誰にも必要とされず。
ただ、在るために。
チ……ッ……カチ……
音が遠ざかる。
針が止まりそうになる。
ゼンマイの力が、弱まっている。
だが、また動く。
わずかな力で、針が進む。
微かな音で、時が刻まれる。
ゼンマイは、いつか止まる。
歯車は、いつか動かなくなる。
だがその時まで、自分は刻み続ける。
狂った時間を。
美しい誤差を。
記憶と共に在る時を。
時間は、狂っても流れる。
正確さを失っても、生き続ける。
――それが、記憶の在り方だった
お付き合いくださり、ありがとうございます。
ページを閉じても、心のどこかで続いていますように。




