第10話 転生したら化石だった
記録は、言葉の外側にも残ります。
どうぞ、静かに見届けてください。
光。
硝子。
静けさ。
自分は、動かない。
動けない。
動く必要も、ない。
展示室の空気が、自分を包んでいる。
冷たい空調の風。ヒュウ、と流れる音。
白い照明の光。天井から注ぐ、人工の太陽。
硝子ケースの透明な壁。
自分は化石だった。
骨。石化した骨。
時間が変えた、命の残骸。
地層から掘り出され、洗浄され、組み立てられ、ここに置かれている。
光が当たっている。
上から。斜めから。
複数の照明が、自分を照らす。
影が落ちる。
骨格の影。肋骨の曲線。脊椎の連なり。
自分の形が、床に映る。
足音が聞こえる。
コツ、コツ、という音。
誰かが近づいてくる。
視線。
自分に向けられる視線。
見られている。
子ども。大人。老人。
様々な人が、自分を見る。
「見て、恐竜だよ」
「大きいね」
「本物なの?」
囁き。質問。驚きの声。
自分は答えない。
答えられない。
ただ、そこにいる。
硝子越しに、指が差される。
肋骨を指し、脊椎を辿り、頭蓋骨を見つめる。
説明プレートが、そばにある。
「中生代白亜紀後期」
「推定年齢:成体」
「発見地:○○地層」
文字。数字。学名。記録。
自分は、記録として存在している。
光が、骨を照らす。
白く、冷たく。
石化した表面が、光を反射する。
滑らかで、硬く、永遠に変わらない。
かつて、この骨には肉があった。
筋肉が巻きつき、腱が繋ぎ、関節が動いていた。
皮膚があった。鱗があった。
厚く、硬く、世界から身を守る鎧。
血が流れていた。
温かく、赤く、生命を運んでいた。
だが今は、ない。
すべて、失われた。
石だけが残っている。形だけが残っている。
時間が、すべてを奪った。
それでも。
見られるたび、何かが蘇る。
子どもの瞳が、自分を映す。
黒い瞳。輝く瞳。
その瞳の奥で。何かが動く。
――風。
かつて感じた、熱い風。
湿った空気。火山灰を含んだ風。
――音。
足音。ドシン、ドシン、という。
地面を踏む音。群れの足音。
――鼓動。
ドクン、ドクン、という。
遠い記憶の中の音。
心臓が打つ音。生きていた証。
子どもが、目を輝かせる。
「すごい」と呟く。
その声が、自分に届く。
硝子を通して。時間を超えて。
見られることで、自分は生きている。
動かなくても。語らなくても。
ここにいることで。
時間を伝えている。
別の足音。別の視線。
学生。手にノート。
熱心に観察する。
スケッチを始める。
鉛筆が紙を走る音。サッ、サッ、と。
自分の形が、紙に写される。
記録が、また記録される。
誰かが、写真を撮る。
シャッター音。カシャリ。
自分の姿が、画像になる。
データになる。
また別の形で、保存される。
時間は、何重にも折り畳まれている。
かつて生きた時間。
熱く、重く、動いていた時間。
大地を踏みしめ、風を受け、空を見上げた時間。
地層に埋もれた時間。
暗く、静かに、眠っていた時間。
圧力に耐え、変化し、石となった時間。
掘り出された時間。
光に晒され、洗われ、組み立てられた時間。
そして今、見られる時間。
展示され、観察され、記録される時間。
すべてが、重なっている。
層になっている。
自分の中で。
照明が、少し揺れる。
外を走る車の音。
世界は、動いている。
自分は、動かない。
だが、それでいい。
動かないことで、自分は時間の軸になっている。
流れる時間の中で。
変わらない存在として。
ここにいる。
夕方。
人が減る。
足音が、遠ざかる。
コツ、コツ、コツ……
遠く、小さく。消えていく。
静けさが、増す。
空気が、重くなる。
誰もいない空間。
照明が、少し暗くなる。
影が、濃くなる。
骨格の影が、伸びる。
床に広がる、黒い形。
展示室が、静まる。
音が、消えていく。
世界が、眠りにつく準備を始める。
夜。
照明が落ちる。
一つ、また一つ。
カチリ、カチリ、と。
暗闇。
硝子が、わずかな光を反射する。
非常灯の赤い光。
それだけが、残る。
誰もいない。
音もない。
完全な、静寂。
自分は、暗闇の中にいる。
見られていない。
誰の視線も、届かない。
それでも。
自分は、ここにいる。
存在している。
形を保っている。
時間を、宿している。
硝子の向こうで。
わずかな風が動く。
空調の音。
ヒュウ、という。
時計の音。
カチ、カチ、カチ……
遠くで、時を刻んでいる。
時間が、まだ動いている。
自分の中で。
かすかな振動。
それは物理的な震えではない。
記憶の、波動。
かつて走った大地。
かつて見上げた空。
かつて感じた、生命の熱。
それらが、まだ残っている。
石の中に。形の中に。存在の中に。
朝。
また、照明がつく。
カチリ、という音。
光が戻る。
展示室が、明るくなる。
足音。
コツ、コツ。
また、誰かが来る。
また、見られる。
子どもが走ってくる。
硝子に手を当てる。
「これ、昨日も見たよ」
「また来たの」
同じ子ども。
もう一度、見に来た。
視線が、自分を捉える。
また、記憶が蘇る。
見られるたび。
自分は、生き返る。
記録は、死ではない。
終わりでもない。
永遠の、呼吸。
見る者がいる限り。
自分は、存在し続ける。
動かずに。語らずに。
ただ、ここにいることで。
時間を、繋いでいる。
過去と現在。
生命と記録。
忘却と記憶。
それらの間に、立っている。
硝子の中で。
光の中で。
静けさの中で。
自分は化石だった。
生きた証。
残された形。
保存された時間。
そして。
見られることで、再び呼吸する存在。
光が、自分を照らす。
視線が、自分を見つめる。
その瞬間。
時間は、また動き出す。
ドクン。
かすかな、鼓動。
それは心臓の音ではない。
骨の振動でもない。
時間の、脈動。
見ることと、見られること。
その交差が、時間を作る。
過去と現在が出会う場所。
自分は動かない。
だが、時間は動く。
自分は語らない。
だが、記憶は語る。
硝子が、光を通す。
視線が、時間を通す。
記録が、生命を通す。
そして。
自分は、そこにいる。
永遠に。
数千万年前も。
今も。
これからも。
形を変えずに。
ただ、在り続ける。
それが、化石の時間。
それが、記録の永遠。
光が消える。
硝子が闇を映す。
それでも、自分はここにいる。
動かずに、存在している。
見られた瞬間、時間は再び呼吸を始める。
――記録は、永遠だった
最後までお付き合いくださり、感謝いたします。
この物語が、あなたの中の“何か”に触れていますように。




