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―転生の果てⅢ―  作者: MOON RAKER 503


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プロローグ

お読みいただき、ありがとうございます。

本作は『転生の果て』第三章の始まりです。


静かに、少しずつ。

また新しい時間を、共に歩んでいければと思います。


時間が、速い。


オレは今日もそう思いながら、カウンセリングルームの椅子に座っていた。社会人三年目。臨床心理士として、日々患者と向き合う。


「先生、私……時間が足りないんです」


目の前の女性が、震える声で言う。


三十代半ば。仕事と家庭の両立に追われ、自分の時間を見失っている。


オレは頷き、静かに聞く。


彼女の時間は、止まっている。


過去に囚われ、未来を恐れ、今を生きられない。


オレの仕事は、その時間を動かすことだ。


言葉を選び、問いを重ね、心の扉を開いていく。


だが――オレ自身の時間は、速すぎた。


子どもの頃、一日は永遠だった。


朝が来て、遊んで、夕暮れを見て、夜が来る。


その一つ一つが、鮮明で、濃密で、長かった。


夏休みは果てしなく、一年は途方もなく長かった。


今は違う。


朝が来たと思ったら、もう夜だ。


一週間が一瞬で過ぎ、一ヶ月があっという間に消える。


季節が流れ、年が変わり、気づけば三年が経っていた。


感動が減り、驚きが薄れ、世界がただ流れていく。


かつて、オレは”視る力”を持っていた。


それは遠い昔――いや、別の生だったかもしれない。


曖昧な記憶の中で、オレは世界を深く見つめていた。


色の意味、音の重さ、光の温度。


全てが言葉になり、心に刻まれていた。


次に、オレは”感じ取る力”を得た。


それもまた、遠い記憶。


他者の痛みが、自分の痛みとして伝わってきた。


共感ではなく、同化。


境界が溶け、心が繋がっていた。


今、その力は微かに残るだけだ。


患者の言葉を聴き、心の動きを読み取ることはできる。


表情の変化、声の震え、視線の揺れ。


そこから、言葉にならない感情を(すく)い上げる。


だが、オレ自身の時間は置き去りのままだ。


理解できても、救えない。


他人を支えても、自分は流されていく。


セッションが終わり、オレは一人になった。


窓の外、街が夕焼けに染まっている。


また一日が、終わろうとしていた。


速い。


あまりにも速い。


オレは深く息をつき、椅子から立ち上がった。


休日の朝、オレは作業台に向かっていた。


古い懐中時計を修理している。


銀色の蓋に細かな傷。三時十五分で止まった針。


ルーペを覗き込み、ピンセットで歯車を取り出す。


錆びついた部品を磨き、油を差し、一つ一つ組み直していく。


この作業をしている時だけ、時間がゆっくり流れる。


針の動き、歯車の噛み合い、ゼンマイの巻き。


全てが手の中にあり、全てが制御できる。


時間を操作している錯覚。


止まった針を、再び動かす喜び。


最後のネジを締め、ゼンマイを巻く。


カチリ。


小さな音が響き、針が動き出した。


時計は再び、時を刻み始めた。


オレは時計をポケットに入れ、外へ出た。


川沿いの道を歩く。


春の風が頬を撫で、桜の花びらが舞っている。


だが、その美しさも、どこか遠い。


感じているはずなのに、心に届かない。


オレは川辺に立ち、水面を見つめた。


水が流れている。


ゆっくりと、途切れることなく。


一滴一滴が集まり、大きな流れになる。


時間も、こうして流れているのだろうか。


止められず、戻せず、ただ前へ進んでいく。


オレの人生も、この川のように過ぎていく。


掴もうとしても、指の間から(こぼ)れ落ちていく。


そう思った瞬間――


ポケットから、何かが滑り落ちた。


時計だ。


銀色の懐中時計が、空中で回転し、光を反射しながら水面へと落ちていく。


オレは反射的に手を伸ばした。


体が前に傾く。


足元の石が崩れる。


バランスを失い――


落ちた。


水が、オレを呑み込んだ。


冷たい。


暗い。


音が遠い。


流れが、オレを引っ張る。


もがいても、浮かばない。


川底が見えない。


光が揺れている。


水面が、遠ざかっていく。


呼吸ができない。


肺が苦しい。


だが――


不思議と、恐怖はなかった。


ただ、流れに身を任せている。


抵抗する気力も、生きようとする意志も、静かに溶けていく。


水音が、鼓動に変わる。


チッ、チッ、チッ。


針の音だ。


沈んだ時計が、水の中で鳴っている。


いや――違う。


オレ自身が、刻んでいる。


体が溶けていく。


意識が薄れていく。


境界が消えていく。


オレと水の区別がつかなくなる。


流れることと、在ることが同じになる。


光が揺れる。


音が響く。


全てが一つになっていく。


痛みも、苦しみも、もうない。


ただ、流れている。


時間として。


水として。


音として。


カチ、カチ、カチ。


針の音が、世界を満たす。


それがオレの鼓動なのか、時計の音なのか、もうわからない。


全てが混ざり合い、形を失っていく。


患者の声が遠くで聞こえる。


「時間が足りないんです」


違う、とオレは思う。


時間は、いつもそこにある。


ただ、感じ取れなくなっただけだ。


視る力も、感じ取る力も、失ったわけではない。


流れの中に溶け込んでいただけだ。


意識が、静かに沈んでいく。


最後に感じたのは――


流れることの、安らぎだった。


時間に呑まれること。


それは終わりではなく、始まりだった。


光が収束し、音が止まる。


世界が、再び動き出す。


オレは――


流れていた。


いや、刻まれていた。


時間そのものとして。


存在の証として。


転生が、また始まった。

ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

『転生の果てⅢ』は、

11月2日(日)20:00より第1話を公開予定です。


どうぞ、次の転生もお付き合いいただければ幸いです。

またお会いしましょう。


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