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第5話 誓いの口付け

 ソリストの婚礼から2年後、シルキーが16歳の誕生日を迎えた日に、バイエル皇子の婚礼の儀が執り行われた。


 出席する貴族の人数こそ皇太子の婚礼に比べて少なかったが、庶民達の間で有名な「白の姫君」が嫁ぐという大事件に、花嫁を見ようと国民達がこぞって皇都ヴィオラに駆けつけた。


 シルキーは式の最中、ニコリともしなかった。

 花嫁の白いドレスを着た『白の姫君』はひときわ神秘的で、女神のようであったと後に人々は語った。


 しかし、その女神の胸中は。

(許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない)

 あらゆる方向への怒りと嫉妬で荒れ狂っていた。


 誓いの口付けの時、バイエルがシルキーの唇に触れる直前でためらったのが分かった。

(怯んだ)

 仕方ない。だって彼は臆病な弟皇子だ。何でも卒なくこなす兄皇子ではない。


 仕方ない。

(世話が焼けるんだから!)

 シルキーはこの愛などと程遠い馬鹿げた式を早く終わらせたくて、踵を上げてバイエルに口付けた。


「二人を夫婦と認める———」

 その声と共に歓声に包まれた。

 

 シルキーはその時、バイエルの顔が赤くなっているのに気付いてしまった。

(な、何よ。何でそんなに恥ずかしがってるの?)

 もっと堂々と、何でもないように振る舞ってほしい。


(私まで恥ずかしくなっちゃうじゃない!)

 心の中がくすぐったいような、バイエルに顔を見られたくないような、おかしな気持ちだった。


 婚礼の儀が終わると皇都は人でごった返し、皇都と大きな街道でつながっているファゴットへの馬車が足りず、集まった民達が都を出るのに一週間かかる有り様だった。


「バイエル達は僕らより民に愛されてるね」とソリストが苦笑していた。


 やがて。

 義兄夫婦に皇子フーガが産まれると、帝国中が暖かい雰囲気に包まれた。

 彼の治世への期待は、否応なく高まっていった。



 何もかもが上手くいっているように見えた。


 結婚してからの約3年間、バイエルがシルキーに一度も触れようとしなかったことを除いて。


 始めはシルキーも、結婚生活なんてこんなものかと思っていた。

 毎晩同じ部屋の同じベッドの両端で眠り、目覚める頃にはバイエルはもう居ない。


 公務で一緒に行動する時以外は、二人に与えられた屋敷の中で、たまにすれ違う程度の仲だ。

 愛を囁きあうどころか、普段から会話という会話もない。


 眠りにつく時間も別々で、シルキーは長い間、バイエルが自分より早くベッドで就寝している所を見なかった。

 夜、ふと気がつくとベッドの反対側の端のほうが膨らんでいて、かすかに寝息が聞こえてくる。


 婚礼を挙げてからずっと続くこの「不思議な同居人」との日々に慣れてきた頃。

「バイエル殿下と仲良くしていますか?」という母の手紙に「仲良くしなきゃいけないの?」と返した所、アルザス公爵家から大量の本が送られてきた。


 そのどれもが華やかな体裁で、そのどれもが、殿方を落とす手練手管を描いた「いきすぎた恋愛小説」だった。

 シルキーはタイトルだけをパッと見て、その本の山を小部屋に封印してしまった。



   ☆☆☆              



 騒がしくなった外の気配に眉をひそめ、バイエルは執事を呼んだ。

「奥様がお城の壁を登っておられます」と老執事から報告を受けた時、バイエルは軽い眩暈を感じた。


「皆でお止めしているのですが、お聞きにならないのです」

「好きにさせておけ」

 老執事はこの言葉に動揺したが、筆頭執事のプライドで眉を上げるだけに留めることができたようだった。


「後で妻と話す。落ちた時に受け止める者達と必要な道具だけ残して、他は普段の仕事に戻れ」

 そうしてその夜、バイエルは珍しくシルキーと共に夕食を取った。


 シルキーが食べ終わり席を立った時に、バイエルは昼間のことを尋ねた。

 するとその白い瞳を不機嫌にひそめ、

「何故登ったか? 登りたい衝動にかられたからよ」

 いけしゃあしゃあと白の姫君(御歳18)はのたまった。


 その顔には大勢の人間に心配をかけたという反省の色は全くない。

「私これでも我慢してきたんだから」

 そう言ってシルキーがツンっとそっぽを向くと、腰のリボンが尻尾のように揺れた。


「夜着姿で壁をよじ登るのが趣味だと?」

 バイエルの声に苛立ちが混じる。

 シルキーは、その長い睫にふち取られた大きな瞳を見開いてバイエルを見る。

「面白いから、そういう事にしておくわ」


「家の者達が困っている姿が見えないのか」

「貴方には」

 シルキーは鋭く声を上げる。

「分からないでしょうね。私と違って、何かと周りにチクチクと責められる立場ではないもの」


 周囲が妻に何か言ったのだろうか?

 シルキーはバイエルを見据えて続ける。

「私に興味がないのなら、さっさと外で愛人でも子供でも作ったら? 皇子殿下の子供なら、誰でも喜んで産んでくれるんじゃないの?」


 あまりにも投げやりな言葉に、バイエルは怒りを感じる。

「分かっていないのはお前の方だろう……!」

「……離してくださる?」

 気付くと、シルキーの腕をつかんでいた。


 バイエルが離そうか迷っていると。


 バシン!!

 と、バイエルの手首に痛みが走る。シルキーが取り出した扇でバイエルの手をはたき落としていた。

「ごめんあそばせ? 勝手に身体に触られるのは我慢できないの」


 バイエルの中で、懐かしいイメージがちらついた。

 ちょうど出会ってまもない頃の白く小さな獣が、差し出したバイエルの手に渾身のパンチをくらわせたことがあった。


 軽く頭を振り、そのイメージを振り払う。

(どうかしてる)

「……とにかく、屋敷の壁を登るのは許さない」

 バイエルとシルキーは間近でにらみ合った。


 後にバイエルは酷く後悔する。

 もし、この時シルキーの話をよく聞き、彼女に優しい言葉の一つでもかけていれば、ソリストとシルキーが薔薇の温室で密かに会うこともなかったのでは、と。

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