第47話 「おかえり」
覚えているのは、灼かれるような肩の痛み。
世界が赤く染まって何も見えなくなった。
守らなければいけないと思った。
誰かを傷つけようとする、邪な思いから。
きっとみんな、誰かの大事な人なのだろうから。必要とされている人だから。
私にとってのあの人のように。
戦場に居る全ての人が、誰かにとっては何ものにも換えられない、大切な存在であるのだろうから。
誰も命を奪われてはならない。
守らなければ。
守るために闘わなければ。
たとえこの身が使い物にならなくなっても。
彼は絶対、帰ってくる。
このヴィオラを守りに、もうすぐ帰ってくる。
それまでは自分が彼の代わりに。
皆を守らなければ。
彼が……
彼らが守ろうとしているこの国の人々を、その命を、全力で、力尽きるまで守らなければ———
「シルキー……!」
その声が聞こえた時、喜びが胸に湧き上がった。
(バイエル)
けれどどこを見ても世界は赤く昏く沈んでいて、彼の姿が見えない。
武器を奪われ、空気がひときわ張り詰める場所に飛び込んだ時、シルキーは無我夢中で目の前の人間に噛みついた。
闘わなければ誰も守れず、自分が殺されるだけだ。
(いま、殺されるのは嫌)
シルキーは今更、自分の胸の内にある後悔に気付いた。
まだ彼に大事なことを伝えてない。
自分の気持ちを、ちゃんと言えていない。
(最後に会うまでは)
気持ちを明かせば、バイエルは戸惑うだろうか。
意地悪に微笑むだろうか。
(会いたい)
そのために、生き残るために手段は選べない。
(バイエル、どこ)
しかし。
「シルキー……」
耳元近くで生まれたのは、自分が探し求めた———ずっと待っていた声だった。
「今帰った……。一緒に家に帰ろう」
シルキーはハッとした。
噛みついていた誰かの身体から、驚いて口を離す。
腕。肩。首。
シルキーはその人物の身体を触り、最後に首と認識した所に鼻を寄せた。
「バイエルのにおいだ……」
しかし、しがみついた人物からは戸惑いのような感情が伝わってくる。
(まさか、人違い?)
何しろ目が見えない。自信が持てない。
「バイエル。生きてるのよね? 本物のバイエルよね?」
顔を触って確かめようとしたら、優しく抱きしめられた。
頬をなぞる指。
(これは)
まさか。
(だって彼は、人前では)
次の瞬間、唇に触れた柔らかい感触は、婚礼の儀の誓いの口付けを思い出させた。
(バイエル……!?)
彼だ。
物静かで臆病で、でも勇敢で激しいところもある、自分の片割れ。
彼が無事で、自分のいる場所に帰ってきた。
じんわりと瞳に涙が滲んでくる。
(……信じてた)
シルキーは満身創痍の状態で破顔した。
「おかえり、バイエル!」
夫の頬に自分の頬をこすりつけて、自分が死ぬ前に言っておきたかった台詞を囁く。
「私ね、バイエルのことが好き」
照れを隠すためにひそやかに笑うような、そんな彼の気配がした。
☆☆☆
反乱軍との戦いの最中、『白の姫君』とも、『ハズレくじを引いた方の妃殿下』とも、『白の戦乙女』とも、『戦いの女神』とも呼ばれたシルキーだが、このクーデター鎮圧時の笑顔は、そのどれの物でも無い、夫の無事の帰還を純粋に喜ぶ一人の妻の笑顔だった。
彼ら第二皇子夫妻の近くには、鮭の握り飯をバスケットに山程詰めて駆けつけた老執事が居り、彼はハンカチを手に涙していたと言う。
皇都ヴィオラの街を夕陽が彩る中、バイエルとシルキーは二人で第二皇子邸に帰り着いた。
全身に怪我を負ったシルキーを、バイエルはずっと抱えて離さなかった。




