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ノスタルジア〜白猫に惑う律動、紅薔薇に捧ぐ輪舞曲〜(新版)  作者: 藤咲紫亜


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第46話 「ただいま」

 太陽が西に傾き始めた頃。

 バイエルがヴィオラの大門近くまで馬を走らせたとき、“彼女”はどこからともなく突然現れた。


 目の前に降り立った存在を、バイエルは信じがたい気持ちで見つめていた。


「何者だ!!」

 バイエル率いる騎士が叫んで剣を抜いたが、瞬く間に少女のように小柄な見た目のその人物に斬り伏せられる。


「皆、攻撃するな!!」

 バイエルの声に、剣を抜いていた騎士達がその動きを止める。


 バイエルは馬を降り、彼女の———自分の妻の前に立った。


(血塗れだ)

 彼女のドレスや四肢を汚す、返り血と思われる夥しい血に、バイエルの肌はゾクリと粟立った。

 首元には自分が彼女に贈った赤い花飾りが咲いている。


 バイエルが目の前にいるのに、シルキーは反応しない。

 獣じみた闘気を纏っているのに、遍く全ての物を冷たく睨み見下ろすような、静かで厳かな表情。


 白銀の瞳は頭部から流れた血が入り、赤く濁っていた。

 桃色の唇からも血が流れている。


 その血を見て、バイエルは心臓が嫌な音を立てて鳴るのを感じた。

———猫の白い前脚が見える。ふらつきながら、その猫はバイエルの元へ寄ってくる。


「……っ」

 バイエルは後退った。

 呼吸が乱れる。恐怖に襲われる。


(また)


 地面が大きく揺れるような感覚になる。

(喪うのか)


「バイエル!!」


 耳に届いた兄皇子の声に、バイエルはハッとした。

 目の前にいるのは自分の妃、シルキーだ。


(怯むな)

 自身を鼓舞してシルキーの方に一歩踏み出した時、カチャ、と、鞘に収めてあるバイエルの剣が音を立てた。


「シル……」

 バイエルの声はそこで途切れる。

 シルキーは抜き身の剣でバイエルに斬りかかってきた。

「ぅあああああっ!!」

 言葉にならぬ彼女の叫び声は、雄々しくも痛々しい。


 咄嗟にかわしたバイエルはシルキーの瞳を見て、その瞳の焦点が合っていないことに気付く。

 彼女はバイエルの姿を捉えていない。


(見えていないのか?)

 バイエルは大きく後ろに跳んだ。

 シルキーはよろめきながらも剣を振るう。


(シルキーに剣の心得は無いはずだ)

 それなのに、一振り一振りの速さが尋常じゃないし、目が見えていないはずなのにまるでバイエルの動きが見えているかのように方向や距離も正確だ。


 彼女の趣味である壁登りや走り込みと天性の才能が生み出した強さだろう。


 刃を出さず鞘で受けることを何度か、バイエルはついにシルキーの振るう剣の柄を、彼女の手ごと掴んだ。


 その時、シルキーの細い肩からのおびただしい流血に気付き、バイエルはゾッとした。

(返り血じゃない)

 その血は彼女のドレスの前半分を赤く染めあげている。


 手足の傷からも血が新たに流れ出る。

(痛みと失血で我を失くしている)


 バイエルは怒りとも悲しみともつかない激しい感情に襲われた。

 このまま彼女を抱きしめて、大声をあげて泣いてしまいたい。

 彼女をここまで傷つけた者達を。

(一人残らず、この手で)


「バイエル、ダメだ!」

 ソリストの声が響くのが速いか、シルキーの瞳が、研ぎ澄まされた剣のように白銀に閃いた。


 だん! とシルキーが地面を蹴ると、彼女の身体は宙に浮かび上がる。そしてそのまま空中でのけぞるように身を翻した。

 

 バイエルの手から抜け出そうと素早く身をひねるシルキーだったが、バイエルの方がそれを許さなかった。

 シルキーの身体を引き寄せるように腕をひっぱり、顔を近づけてバイエルは呼ぶ。


「シルキー……!!」

 ピクリとシルキーの瞼が震える。

 そして遠く何かを探すように視線をさまよわせた。


(耳が聴こえていない)

 その反応から、バイエルは彼女の聴覚が視覚同様に非常に弱ってしまっていることを察した。


 掴んだ剣をそのまま引っ張ると、シルキーはバイエルに強烈な蹴りを入れてきた。

(深い傷を負っているのに、まだこんなに動けるのか)


 受け身を取って距離も取ったが、バイエルは背中をしたたかに打って思わず咳き込む。

 しかし、シルキーから剣を奪うことはできた。

 今の彼女は丸腰だ。


 ボタボタと、シルキーのドレスから地面へと血が滴る。

(シルキーの身体が保たない)


 シルキーは再びバイエルに向かって跳んだ。

 バイエルは二本の剣を地面に捨て、両手を広げる。


「バイエル……!!」

 兄の呼ぶ声が聞こえる。

 周りの兵士達のざわめきが大きくなる。


 『逃げろ』『殿下』と、叫ぶ声が聞こえたが、バイエルは自分めがけて跳んでくるシルキーしか目に入らなかった。


 白銀の髪に光が踊る。

 血と汗と泥で汚れた華奢な身体。闘志に輝く白銀の瞳。

 闘う彼女は苛烈で、恐ろしげであって、そして。


(———綺麗だ)


 シルキーはバイエルに身体を丸めるように飛び掛かると、その左腕に噛み付いた。


「……っ!!」


 痛みのあまり声が出そうになるのを歯を食いしばって堪える。


「……シルキー……」

 バイエルは息を吐いて腕を噛みちぎられそうな痛みに耐えながら、白銀の髪にもう片方の手を伸ばした。


 乱れたその髪を梳くように撫でると、その耳元に唇を寄せ、一音一音をはっきり彼女に聞こえるように語りかける。


「今帰った……。一緒に家に帰ろう」

 びくり、とバイエルが受け止めた小さな身体が震えた。


 シルキーのギラギラと鋭い瞳の光が揺れ、みるみる和らぐ。バイエルの腕を噛んでいた歯も、その力が抜けて離れた。


「いい子だ」

 バイエルの声に、シルキーはバイエルの鎖骨辺りに顔を埋めた。


 遠く二人を見守る人々から見たら再会の抱擁にも見えただろうが、バイエルはシルキーが何をしているのかすぐに分かり、ギョッと身じろぎした。


「シルキー……」

「バイエルのにおいだ……」


 ぎゅっとシルキーがしがみついてくる。

 バイエルは思わず呟いた。

「お前は人を匂いでかぎ分けるのか」

(野生味が過ぎる)

 視覚と聴覚が弱ったシルキーは、嗅覚を使ってバイエルかどうか確かめたらしい。


「バイエル。生きてるのよね? 本物のバイエルよね?」

 バイエルはシルキーを優しく抱きしめた。

 目も耳も役に立たない状態の彼女に、どうしたら自分だと伝わるのだろう。


 血で汚れた小さな白い頬を、バイエルはなぞる。

 桃色の唇の端からも血が流れていたが、それも今はもうどうでも良かった。


 シルキーは大きな怪我を負っても闘い抜いて、自分の腕の中に帰ってきた。

(それだけでいい)


 引き寄せられるようにバイエルが唇を重ねると、彼女は大きく目を見開いた。

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