第34話 アデル・ド・ヴァンス
小高い丘の上の屋敷の玄関の扉を、バイエルは荒々しく開いた。
「これはバイエル殿下。お一人ですか?」
灰色の髪の青年アデルは奥の階段を降りてくると、いつもどおりの人懐っこい笑顔でバイエルを出迎えた。
まるで家に招待していた友人を出迎えるかのような雰囲気だ。
「ああ。妹を返してもらいにきた」
「残念ながら、フィーネ様はこの屋敷には居ませんよ」
困った顔をするアデルを、バイエルはじっと探るように見つめた。
「吐かせる方法ならいくらでもある。……が、一つ確かめておきたいことがある」
言葉を選ぶような間の後。
「ロンド家の奥方の子供は、生きていたそうだ」
バイエルの言葉に、アデルは面白そうに少しだけ眉を上げた。
「21年前、ロンド家の奥方は体調不調で部屋に籠もりがちになり、今では完全に部屋から出てこなくなってしまった。ロンド家当主の叔父は、部屋に籠もる前の奥方に妊娠の兆候があったと言っていた。恐らく月が満ちる前に子供を流産し、罪の意識から部屋に閉じこもってしまったのだろうと叔父は言ってるが、真実は少し違う」
バイエルの脳裏に、オリヴィアと名乗っていた女性、クロエの姿が蘇った。
☆☆☆
バイエルはクロエとの最後の会話を思い出した。
二つ質問をする、とバイエルは前置きして、クロエに尋ねた。
「ロンド家の奥方の子供は、本当に死んだのか?」
クロエは途端に美しい顔を恐怖の形に引きつらせ、頭を抱えてうずくまった。
「どう……して、そんなことを……」
「答えろ」
バイエルは彼女の動揺を許さずに追及する。
「お願い……やめて。思い出したくない……!」
「……生きていたんだな」
クロエは目を極限まで見開き、口元を押さえてがくがくと震えていた。
「……薬を、母、が、奥さ……に……でも、あの時は何の薬か知らなかった……! あれ、が……お腹の子供を、殺す、薬だったなんて……」
「でも子供は死ななかった」
「奥、様は……何となく、分かってたのかもしれない、薬の作用で、意識は半分混濁してた……けど……薬を飲むのを、嫌がる、って、母が……」
クロエの母親は、きっとロンド家の奥方の傍に仕えていたのだろう。
クロエはまるで聖者の前で懺悔をするように、身を小さくして嗚咽を漏らした。
「二つ目の質問だ。生まれた子供をどこへやった?」
バイエルの声は冷たく、罪人を裁くような響きを持っていた。
クロエはびくりと身体を震わせ、おびえる子供のような目でバイエルを見た。
「……子供は、月足らずで、死にかけてた……医師も立ち、会わなかった……この、子供には、別の使い道が……ある、って、モロウ、が……だから……お、奥様には、『死んだ』って言って、誰にも、見られないように……屋敷から連れ出した……」
バイエルの双眸が責めるように細められた。
「お前が連れ出したように聞こえるな」
「あたしが……連れ、出した……布でくるんで、籠に入れて……な、泣けない……くらい、弱ってたから、誰にも、ばれなかった……」
「どこにやったのかをまだ聞いてないが」
「馬車が! 馬車が待ってた。それに乗って、どこかに」
「どこだ」
「分からないよ! あたしはただ、言われた通りに……なんとか、って、男爵の家に……あ、あぁ、薔薇が沢山咲いてた。白い薔薇ばかり沢山」
クロエは頭を抱え、もだえ苦しむように身をよじった。
「でも、その先は知らない! 子供は死んだかもしれないし、運がよければ生きてるかもしれない……あた、しは……! 許して、許して……!」
懇願するように訴える彼女に、バイエルは何の感情も宿していない声で言った。
「お前が許してほしい相手は、俺じゃないだろう」
心の中でバイエルは、罪の意識に苦しみ続けている彼女の純粋さが、敵の黒幕にとって『弱さ』でしかないのだろうと思った。
だから大事な情報を彼女に教えていないのだ。
「奥方の子供は生きている。子供が男子なら」
彼女はハッと顔をあげた。バイエルは彼女の顔は見ずに、独り言のように呟いた。
「ヴァンス男爵家に、ロンド家の奥方と同じ髪と瞳の色を持つ一人息子が居る。歳は21」




