第20話 偽りの忠誠
「フィーネ様ー」
庭園で薔薇を眺めていたフィーネに 灰色の髪の青年が近づく。
フィーネは赤い髪を揺らして振り返り、揺れる藍色の瞳でアデルを見た。
「どうして来たの」
「貴女に会いたくて、抜け出してきちゃいましたー」
と、邪気の無い笑顔で答えるアデル。
「護衛が居たのよ」
アデルがフィーネに近づける訳がないのだ。
フィーネの護衛をしていた騎士達に何かしない限りは。
フィーネは青ざめていたが、それでも震えそうになる声を必死で隠し、毅然としてアデルと対峙していた。
アデルは少しだけ困ったように笑ったあと、いつもの軽い雰囲気でフィーネに話しかけた。
「薔薇がお好きなんですね。何色が一番好きなんですか?」
「……赤」
「なるほど、貴女に添えると、紅薔薇以外の薔薇は見劣りする恥ずかしさに枯れてしまうかもしれませんね」
平然とした顔で呟くアデル。
(よくそんな台詞を)
この男自身は恥ずかしさで枯れないのか、とフィーネは思った。
「ところで僕は白薔薇が好きなんですけどー」
「無駄話はもういいわ」
フィーネはアデルの顔先に閉じた扇子を向けると、自分を奮い立たせるように彼をきつく睨んだ。
「貴方の狙いは?」
アデルはクス、と今までフィーネに向けたことのない、大人びた笑顔を見せる。
「理解がお早い皇女殿下で、臣民としては喜ばしい限りです」
灰色の髪の青年は、ゆっくりと裏口のほうへ手を向ける。
「フィーネ様のための館をご用意いたしました。ヴェン・フェルージュ宮殿には及びませんが、未来の『女帝陛下』に御満足いただけるよう、臣下一同努めて参る所存です」
ひざまずき、臣下の礼を取るアデルに、フィーネは唇をかみしめた。
この扇子でアデルの皮の厚い面を思いっきり殴ればすっきりするだろうか。
いいえ……と思い直し、
「真実、私の臣下だと言うのなら誓いなさい」
と、わざと尊大な口調で命じる。
フィーネはもはやプライドだけを支えにアデルの灰色の瞳を見返していた。
「お父様やお母様……お兄様達。絶対に誰も傷つけないで」
アデルはそれも見越していたかのように、笑顔を崩さぬまま言葉を紡いだ。
「誓いましょう、我が君」
伸ばされた青年のてのひらに、フィーネは自分の手を重ねる。
不快でしかないはずの、偽物の臣下の礼。
それなのになぜだろう。
彼が祈るように瞳を閉じて自分の手の甲に口付けると、痺れるような甘い痛みが全身に広がった。
☆☆☆
扉が激しい音を立てて開かれる音とほぼ同時だった。
「シルキー!!」
寝台の中でうつらうつらしていたシルキーは、バイエルの叫ぶ声にばちりと跳ねるように目覚めた。
(何なの何なの!?)
バイエルは焦った様子で寝台に近づくと、サイドテーブルに置かれたコップの水とチョーカーをちらりと見て、目を白黒させているシルキーの両肩を強く掴んだ。
「……飲んだのか」
「え?」
水のことを訊かれていると気付いたシルキーは、こくりと頷いた。
途端、バイエルが息を震わせてシルキーから手を離す。
「ただの水よ」
「ただの水じゃない」
苦虫を噛み潰したような顔でバイエルは拳を握り締めた。
「薬が入っている」
「くす……り……?」
薬。
一拍の後に理解が追いつき、シルキーはバイエルの腕にしがみついた。
「何の薬……!?」
バイエルが苦しげな表情のまま口をつぐむと、シルキーは不安の余り顔を歪めた。
何を飲まされたというのだ。
「教えてくれないの? どうして!?」
ぐい、と手を引かれたと思った次の瞬間、シルキーはバイエルに抱きしめられていた。
呼吸もできないほど強く。
「生きていてくれたらいい」
泣きそうな声で囁かれた言葉に、シルキーはますます訳が分からなくなった。
何か返そうにも肺が圧迫されて声が出ない。
混乱と動揺で、心臓が爆発してしまうんじゃないかというくらい暴れている。
放して、と言いかけた時、誰かが走ってくるような音が聞こえ、シルキーはバイエルから解放された。
短いノックの後、「バイエル」と聞き慣れた声が扉の向こうから聞こえた。
シルキーが夜着の上に上着を羽織ったのを確認して、バイエルは扉を開ける。
「非常事態だ」
扉の向こうに現れたソリストは硬い表情で続けた。
「フィーネがアデルにさらわれた」
シルキーは凍りついたように動けなくなった。
何も考えられない。
だが、こういう状態を俗に何ていうんだったっけ……と頭の隅で現実逃避をする余裕が、この時はまだかろうじて彼女に残されていた。




