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第1話 落ちた白猫

 大理石でできた宮殿は陽の光を受けて白く鈍く輝いていた。


 宮殿から見通せる庭には、色とりどりの花が計算しつくされた配置で、計算しつくされた美しさで咲き誇っていた。


 アルザス公爵家は、この広大な大陸を治めるオルヴェル帝国の皇帝や皇族との婚姻を何度も結んできた由緒正しい家柄だ。


 そんなアルザス公爵家の“白の宮殿”に住む公爵令嬢は、生まれながらに白銀に輝く髪と瞳、血管まで透き通ってしまうのではと思わせる真っ白な肌、出会うすべての人間を虜にするたぐいまれな美貌を、計算しつくされたように持っていた。


 公爵令嬢を目にした大人達は、白の宮殿に生まれた「白の姫君」を「神の粋なはからい」とも呼んだが、彼女の存在が真実、神の計算によるものであるなら、神にも計算できないものがあるという事なのだろう。


 アルザス公爵家には、今日も侍女達の叫び声がこだまする。


「おおおお嬢様!」

「危のうございます!」

「降りてきてくださいまし!!」

 白の姫君が、どこから降りろと言われているのかと言えば。


 白の宮殿のすぐ横には、空を穿つように建てられた、同じく白い塔がある。


 大人の男が10人がかりで手を伸ばせば、一周届きそうなくらいの塔の外壁だが、その白い外壁、屋敷の3階に届きそうな高さに、白い人型のものが貼りついていた。


 今も右、左、と、ヤモリのごとく手足を休まず動かして、着実に上へ上へと登っている人物こそ、白の姫君と呼ばれる少女———シルキー公爵令嬢だった。


 ひときわ強い風が吹いた。


 少女の紙のように細く薄い身体が、壁から浮くようにバランスを崩す。

「お嬢様……!!」

 侍女達の悲鳴が、2度目の強い風の耳を打つ音にかき消される。


 受け止めようと下で待ちかまえていた使用人の男衆は、彼女の落下予測地点が強風によってだいぶズレてしまうことに気づき、青くなった。


 だれもが悲劇を予想したその時。


「おっと」


 と、妙にのんきな柔らかい声が地面近くで生まれた。

 淡い金色の髪の青年が、白い少女を軽々と抱えていた。


「ご挨拶にうかがったのですが、まさか上から降って来られるとは思いませんでした。お怪我は?」

 青年は藍色の瞳をほそめて言った。


「ご心配ありがとう。私は平気」

 少女は意外にも、しっかりとした声で返した。


 青年は少女をゆっくり地面に立たせると、その手を取って口づけた。

「申し遅れました。私はソリスト。シルキー様ですね?」

 少女が軽く目を見開く。

 その頬は、ほのかに赤くなった。


 無理もない。


 微笑んだ青年の眼差しには、春の日差しのように全てを溶かす優しさがあり、まわりを包みこむような穏やかな雰囲気の中にも華やかな魅力があった。


 彼の従者らしき少年が近づき、無言で白いハンカチを出すと、ソリストがつかまなかったほうのシルキーの指を包んだ。


「血が」

 低く囁くように告げると、少年はうつむいたままシルキーから離れた。

 ソリストはその様子を見て、困ったように微笑んだ。


「挨拶もせずに……。ごめんねシルキー。彼はバイエル。恥ずかしがり屋だけどとても良い子なんだよ」

「いいえ、かまいません」

 シルキーはソリストをじっと見つめたまま、うわごとのように呟いた。


 その時の白の姫君には、ソリスト以外見えていなかった。


 名門中の名門貴族、アルザス公爵家。

 その本家に生まれた白の姫君、シルキー・ド・アルザスは、生まれた時から皇太子妃の座が約束された者として「お妃教育」を受けていた。


 いずれはこの帝国の皇太子様に嫁いで国母になるのですよ、と言い聞かされて育ったシルキーは、ソリストという名を聞いてすぐに分かった。

 彼は自分の夫になる人なのだと。


 おとぎ話の王子様のように、彼は姫である自分を迎えに来たのだ。

 それから何をするにも、彼の姿がシルキーの頭に浮かんだ。


 頬に影を落とすほどの長いまつげ。切れ長で愛情深そうな双眸。

 その瞳の藍の深さ。形のよい鼻に、耳心地の良い低い声。

 すらりと高い背に、太陽を受けてまぶしく輝く淡い金色の髪。


 落ちてきた自分を軽々と受け止めた、そのたくましい両腕。

 決して太くはない、引き締まった、男性の腕だった。


 ああ、なんて素敵な人なのだろう。

 近い将来、私は沢山の人に囲まれ、彼と愛を誓うのだ。


 ……それが何かの手違いで、ソリストではなく、その弟———シルキー公爵令嬢がてっきりソリストの従者とばかりに思っていたバイエル皇子が婚約者に決まった時、彼女の落胆と戸惑いはかなりのものだったという。

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