第17話 欲しいもの
結婚記念日の晩餐会に集まってくれた男性貴族達と二人の皇子達は、朝まで遊戯に興じることになった。
女性達は先に自分の屋敷に帰ることもできるし、第二皇子邸の寝室を借りて泊まることもできる。
シルキーも眠気に逆らおうとはせず、自分の寝室に向かっていた。
人の気配を感じない廊下を歩いている時、ふいにその腕を掴まれ振り返ると、夫が相変わらず静かな眼差しで見下ろしていた。
「何?」
いつもより早く打ち始める鼓動を隠してシルキーは尋ねる。
バイエルは何か言いたげに口をわずかに開いたが、すぐに引き結んだ。
シルキーの赤くなった首元に落ちているバイエルの視線。
先程フィーネに「触りすぎ」と注意を受けたことを思い出して、シルキーは叱られる心の準備をした。
しかし彼は身構えたシルキーと目を合わせると、ふ、と吐息を漏らすように笑った。
「気になるならはずしていい」
不意打ちだった。
端整な顔に刷かれたそれは、呆れたような、困ったような笑いだった。
藍色の瞳が細められたその一瞬、彼の周囲が急にまぶしく見えた。
腕を放して颯爽と自分を追い越していく夫。
初めて彼がシルキーの真正面から見せた笑顔に、完全に思考能力を奪われていた。
(そうじゃなくて!)
シルキーはハッと我にかえる。
「バイエル!」
シルキーは意を決して夫を呼び止めた。
バイエルは足を止めて振り返る。
「私のために、首飾りを用意してくれてありがとう、嬉しい」
シルキーはバイエルに歩み寄った。
さっきから頬が熱い気がする。
「いや……この前、手荒に触れたことを許してほしい」
目を合わせられずに床を見ていたら、少しの躊躇うようなバイエルの声が降ってきた。
バイエルが酒を飲んだ夜のことを謝られたのだと気付く。
(気にしてたの?)
目線を上げると、バイエルは穏やかにシルキーを見下ろしていた。
(人目が……無い)
バイエルがシルキーをそうやって見つめるのは、二人きりの時だけ。
今はここに夫と二人きり、と意識した時、シルキーは自分が欲しているものに気付いた。
「欲しいもの、今、思いついた」
欲しいものがあれば言ってほしいと、この晩餐会が始まる前にバイエルはシルキーに尋ねていた。
「ここでくれる?」
バイエルはわずかに首を傾げた。
シルキーは真っ赤になった。欲しいのに、それが言い出せない。
(一度やったことなのに、恥ずかしい)
「………ここに」
シルキーはさんざん迷った末に、自分の唇に触れた。
「く、口付けて……」
バイエルの顔を直視できずに床を見ていたシルキーだが、腕にそっと触れられて顔を上げた。
バイエルは、シルキーの頬を撫でた。
その時、ふっと空気が揺らぐ。
バイエルが微かに笑ったのだ。
「顔が硬い」
そう言われてシルキーが拗ねたように顔を背けると、ぐい、と顎を上向かせられた。
金色の髪が視界に広がる。
「……!」
掠めるように口付けられたことに気付いたのは、バイエルが既に身体を離した後だった。
「おやすみ」
そう言ったバイエルの目元は、ほのかに赤く染まっていた。
シルキーは時が止まったように立ち尽くし、言葉を返すことができなかった。
自分の心臓の音だけが、耳の奥に痛く切なく響いていた。