第15話 渡された想い
バイエルとシルキーの結婚記念日の晩餐会は、出席者への挨拶が済み、各々が好きな人間と談笑する時間になった。
シルキーは皇帝や皇后も居る広間から逃げ出すという失態を何とか免れた。
意地でもバイエルと目を合わせないという方法を使って。
バイエルと見つめあってしまえば、きっと心臓が暴れ出して挨拶どころではなかった。
「お義姉様、どこか身体の具合でも?」
一番に声を掛けてきたのは義妹のフィーネだった。
大きな巻き薔薇が正面にあしらわれた黄色いドレスがまぶしい。
クルクルと巻いた赤毛が、肩の上で揺れたり跳ねたりしていた。
「いいえ。なんでもないの」
と言いながら、シルキーは無意識に首のチョーカーに触っていた。
気付いたフィーネが、少し目を見張る。
「お義姉様が首元に飾り物をするのは珍しいですわね」
「そう?」
それで気になるのだろうか、とシルキーは思った。
首の辺りが非常に落ち着かない。痒いと言うより、ソワソワする。
「殿下がくれたの。……多分、今日が記念日だから」
「まぁ」
フィーネは藍色の瞳と小さな口を丸くして、シルキーの首元に咲く赤い花をまじまじと見た。
「薔薇……にしては花弁が多い気もしますし、花びらに丸みも厚みもありませんわ。それにこのひだは……」
「フィーネ様、バイエル殿下は……何かあったの?」
シルキーの問いに、フィーネは不思議そうな顔をする。
「何か、とは?」
「こんなものを贈ってくるなんて、まだ信じられなくて」
「あら、お義姉様。バイエル兄様だって、ソリスト兄様と同じ親から生まれたんですもの。紳士として、このくらいはしていただかないと」
(『花を贈れ』と言ったのは、私だけれど)
フィーネは心の中で感心した。
ああ言われて、ただの花ではなく花の装飾品を贈ったのは、次兄にしては素晴らしい機転だ。
「それに、『魚のほうがよかったか』とか言ってたし……」
シルキーのボソボソという呟きが聞こえていなかったフィーネは、思いついたように声をあげた。
「カーネーションですわ!」
「カーネーション?」とシルキー。
フィーネは何かに気付いたように、パチリと瞬きをした。
「お義姉様。赤いカーネーションの花言葉をご存知?」
「いいえ」
「『真実の愛』『愛情』『情熱』……という紅薔薇に似た花言葉と、あと、赤いカーネーションにしかない花言葉が、確か……」
フィーネは目線を一瞬だけ斜め上にさまよわせた後、確かめるように
「『貴方の愛を信じる』」
と言った。
シルキーは思わず、ソリストの傍に居る夫を見つめた。
彼はこのチョーカーを渡す時、何と言っただろうか。
———『……お前が何を隠していようと、俺は詮索しない。だから……』
だから……何だったのだろうかと、シルキーは考えた。
信じてほしいという想いから自分は一生懸命に言葉を重ねた。
あの時バイエルは、何を言われてもほとんど反応しなかった。
それは、『何を聞いても信じられない』という意思表示ではなく。
『信じているから、もう何も言わなくていい』という意味だったのだろうか。
シルキーはがっくりと肩を落とした。
それならそうと言ってほしい。
でも、彼の言葉を待たずに遮ったのは自分だ。
(どうしてあんなに……)
嫌だと思ってしまったのだろう。
バイエルから、義兄との間に人に言えない何かがあったと思われるのが耐えられなかった。
嫌だった。
(失望されるのが———嫌われるのが)
シルキーはため息をつく。
(嫌われるも何も、彼は、だって、私のことなんか最初から気にも留めてない)
婚礼の儀の時、自分に口付けられて赤くなった彼の頬。
夜中、睡魔に負けた自分の髪を撫でていた彼の、優しげな瞳。
自分のために彼が用意してくれた花のチョーカー。
そのどれもが言葉よりも雄弁で。
(気にも、留めてない……はず)
シルキーのささくれだった気持ちを柔らかく包んでくれるような気がした。
知人らしき人物と言葉を交わすバイエルの姿は、すらりとしていて優美だ。
笑顔は無いが、表情からは真面目で実直な性格が感じられる。
(あの人が、私の……夫)
「あぁ、お義姉様っ」
フィーネに手首を握られ、シルキーはハッとした。
「触りすぎですわ。首が赤くなってます」
「ごめんなさい。気をつける」
いつの間にかバイエルに見惚れていたことに、シルキーは自分で驚いた。
(あとでプレゼントの御礼を、言わなくちゃ)
バイエルに話しかける話題があることを、シルキーは何故だかとてもこそばゆく感じた。