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第14話 嵐を生む扇子

 バイエル酒乱事件から数週間後。

 落ち着きを取り戻した第二皇子邸にて、シルキーは晩餐会の支度をしていた。

 今夜は自分達の三年目の結婚記念日の宴だ。


 去年も一昨年も、同じように結婚記念日を祝って晩餐会が開かれたが、まるで自分達が主役の宴だとは思えなかった。

 何の根拠もない、自分達夫婦の仲を褒めそやす言葉、子もすぐに生まれるだろうという無責任な言葉。


 出席者達の口にする話はどこか遠く、知らない夫婦の話題に思えた。

 皇族が参加しなければいけない宴は数あれど、一番どういう顔をすれば良いのか分からない席だ。


(ドレスを着る前に壁登りをしておけばよかった)


 これから開かれる宴を考えるにつけ、白の姫君の後悔は募っていく。

 コルセットで締め付けられていることもあいまって、息苦しさに耐えられずに、ふう、と浅いため息をついた時だった。


 せっせと周りでシルキーの着付けをしていた召使い達が、着替えの途中だというのに慌てた様子で部屋から次々に出て行く。

 鏡に映っている扉から現れた正装の夫に、シルキーは少々不快そうに眉根を寄せた。


 今更ながら自分の夫は、見てくれだけは良いのだ。

 蜜のような金色の髪。瞳の色と同じ藍色の布で仕立てられた正装は、彼の魅力を存分に引き出している。


 が、しかし。

 着替えの最中の妻を突然訪ねてくるような無粋な行為が株を下げているのだと自覚していない。


 かろうじてドレスに袖を通した後だから良かったものの、これがコルセット姿なら間違いなく夫に蹴りでも入れていた所だ。


「まだ着替えが済んでないわ。外でお待ちになってくださる?」

「シルキー」

 バイエルはシルキーの言葉をさらりと流すと、つかつかと彼女に歩み寄って、その細い首に手をかけた。


 不穏な予感に、自分達が映りこんだ鏡を見つめたまま叫び声をあげそうになったシルキーは、だが、首の後ろでカチャカチャと何事かをし始めた夫に目を白黒させた。


 よくよく見ると、鎖骨の間に樹脂でできたらしい赤い花のモチーフがあった。

 花弁に守られるように、中心で小さなピンク色の宝石が輝いている。


 小さな沢山のパールであしらわれた二連のネック部分が首の周りにぴたりと沿う、精巧な造りのチョーカーだった。

 振り向こうとしたシルキーだが、バイエルに肩をそっと押さえられたので、鏡ごしに彼を見ることにした。


 小柄なシルキーの背は、バイエルの肩にも届かない。

 バイエルは、どこか遠くを見るような瞳でシルキーのうなじ辺りを見ていた。

 シルキーが居心地が悪くなるほどの長い沈黙の後、バイエルは諦めたように口を開いた。


「……お前が、何を隠していようと」

 二人の視線が鏡の上で絡まる。

「俺は詮索しない。だから……」

 バイエルはそこで口をつぐんだ。

「ちょっと待って」


 シルキーはバイエルの手を振りほどいて、今度こそ振り向いた。

「私が何を隠してると仰るの?」

 夫の戸惑ったような瞳と出会った瞬間、シルキーは分かった———何もかも。


「お義兄様……お義兄様とのこと?」

 バイエルはシルキーの問いには答えず身をひるがえし、部屋から出ていこうとする。


「違うわ!」

 シルキーの声は、悲鳴のように高く響いた。

「私は何も隠してない! 隠しているのは貴方のほうよ!」

 シルキーはすばやくバイエルの正面に回りこむと、後ろ手に扉を閉めた。


 近頃多忙な夫とちゃんと話をするタイミングは、今しかない気がした。

 バイエルはシルキーの睨むような眼差しを静かな表情で受け止めていた。


「お義兄様とは何もなかった。お話をしただけよ。そういえば、頭を掴まれたり凄く近くで見つめあったりもしたけど、それだけ。お義兄様が何であんなことをしたのか、私にも分からない」


「…………」


「信じてくれないなら何を話してたかも言うわ! お義兄様は貴方の昔話をしてくださった! 離宮で可愛がっていた猫が死んでしまったことがあって、それで酷く心を痛めてたって!」


 バイエルは眉をぴくりと震わせた。

 だがそれきりで反応を示さないので、シルキーはだんだん泣きたくなってきた。

 誰のためにこんなに声を張り上げていると思っているのだ。


 今も胸がズキズキと痛みだして、苦しいのに。

 誰のせいだと。

「何でも訊いてみなさいよ、答えられない質問なんかないから!」


 バイエルは手を伸ばして、シルキーの首を飾るチョーカーの花に触れた。

「新鮮な魚のほうがよかったか」

「は」

「欲しいものは?」

 唐突な質問に、シルキーは口を開けたまま反応ができなかった。


「不満があるなら壁を登ったり庭を何周も全力疾走する前に俺に話してほしい。話を聞くだけならできる。欲しいものがあるなら、言ってほしい」


 シルキーは、子供の頃からイライラするたびにガシガシと塔の壁を登り、ある時は尻に火がついた人間のごとく庭を走り、またある時は無我夢中で体術の稽古に勤しんだ。


 おかげさまで、シルキーは足腰と腕っぷしだけは強い自信がある。

 それはともかく、それらの行為が不満によるものだというバイエルの推測は、かなり鋭い。


 正確には『ストレス』で、その原因は、ほとんど実家からの「あれ」だったのだが。

(そうだ)


「欲しいものならあるわ」

 夫がどんな顔をするのか知りたいし、言ってみるだけなら許されるだろうとシルキーは思った。

「子供よ」


 赤面するのか、呆れるのか、困惑するのか、聞かなかった振りをするのか。

 シルキーは様々な夫の反応を予想していたが、結果はそのどれでもなかった。


 バイエルはただじっと、落ち着いた表情でシルキーの瞳の奥を見つめてきた。

「じょ、冗談よ……! 笑う所でしょ!」

 結局気恥ずかしさに耐えられなかったのはシルキーの方で、試すつもりが試された形になってしまった。


 バイエルは、頬を染めてそっぽを向いたシルキーの白い髪を一房すくいあげると、それに軽くキスを落とし、妻の耳に顔を近づけるように少し身をかがめて低い声で囁いた。


「似合っている」

 屋敷中に轟音がとどろき、地面が揺れた。気がした。


 身体の内側で何かが弾けた……いや、何かが派手に爆発したような感覚がして、シルキーは立ち尽くした。

「広間で待っている」と短く言い残して部屋から去る夫に感謝さえした。


 今顔を見られたら、色々と駄目な気がする。

 心臓の音がバクバクとうるさくて、聴覚が働かない。

 へなへなとその場に座り込んで、シルキーは必死で混乱のきわみにある心を落ち着けようとした。


 結婚記念日の宴では、夫婦が共に皇族や貴族達に挨拶して回る。

 形式的に横に居るだけだった夫。


 例えるなら『貴方専用の扇子を用意しました。この先、肌身離さず持ち歩きなさい』と言われて渡された扇子のような存在だった。

 これまでもこれからも、扇子以上でもなく扇子以下でもなく、執着もせず、ただ言われるままに身に付けて。


 扇子相手にときめくことなんて、ありえないと思っていたのに。

 今、『扇子』と目があったら、奇声をあげて逃げ出してしまうかもしれない。


 そんな事態は全力で避けたかった。

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