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第12話 皇宮に咲く紅薔薇

 咲かない花だった。

 蕾のまま、花びらが一枚、また一枚、なくなっていった。

 それでも、花であった名残を惜しむように、一枚だけ散らずに残っていた。


 最後の花びらは、願いと言う名の誓いを受け入れる代償として、舞い落ちていった。


『誰が否定をしても、君だけはバイエルのそばで、あの子の自信になってあげてほしい』

「はい……ソリスト様」


 どうしてあの時、『彼』は顔を歪めたのか。

 自室の寝台で目が覚めてしばらく、シルキーは夢うつつの世界で考えていた。

 謎は解けなかった。


 バイエル……夫は。

 シルキーはハッと息を呑んだ。

 寝ぼけていた頭が一気に冴えた。

 昨晩、バイエルは見知らぬ女性を隣にはべらせて酒を飲んでいた。


 胸の中がかき乱される感覚に襲われ、シルキーは寝台の中でぎゅっと小さく丸まる。

 苦しい。

 心を落ち着けようと大きく深呼吸すると、吐くと同時に助けを求めるように声が漏れた。


『私のことなどお気になさらず、お好きな女性の元へどうぞ!』

 そう言ったのも。

『貴方がもし他の女性に走ったとしても気にしない』

 そう言ったのも。

『私に興味がないのなら、さっさと外で愛人でも子供でも作ったら?』

 そう言ったのも。


 全部自分ではないか。

 彼はその通りにしただけだ。

 自分が彼に対して怒りを感じるのは滅茶苦茶だ。理屈が通らない。

 この怒りは、自分にこそ向けるべきものだ。


 あの美女とバイエルは、何度も逢ってきた仲なのだろうか。

 親しげに、慣れたような仕草でバイエルに触り、口付けをしようとした彼女。その時バイエルは彼女の方を静かに見つめていて、嫌がる素振りも見せなかった。


 思い出すだけでもムカムカしてくる光景だ。

———『失いたくない大切な存在こそ、バイエルは、あえて見ないようにする。触れることを躊躇う』


(あれ?)

 シルキーは大事な点を見落としていた。

(でも、もし、百歩譲ってそうだとしても)

 なぜ私に「来るな」と言ったの。

 なぜそれでいて、彼女を。


 じわりじわりと広がる悲しみや胸の痛みは、したたる雫をふと思い出して冷めていった。

 間近で蝋燭の灯りに照らしてみて気付いた彼の姿。


(なんで、ずぶ濡れだったのかしら……)



   ☆☆☆



「あぁ、お義姉様!」

 レースが可愛らしく揺れる水色のボンネットの少女が、部屋から出てきたシルキーに気付いて走り寄ってくる。


 父親譲りの燃えるような赤い髪。大きな藍色の瞳はいつもはくりくりとして愛嬌があるのだが、今日はどこか不安げに揺れていた。

 ソリストとバイエルの妹、フィーネ皇女だ。

 昨日の宴でも会ったが、この屋敷に顔を出すのは珍しい。


「フィーネ様。どうしたの?」

「バイエル兄様が、お倒れになったと聞いて」

「……ふぁ?」

 思わず間の抜けた声が出てしまった。


 倒れた?

 それがフィーネの耳に届いて、彼女がここに駆けつけるまでの時間を考える。

 そういえば昨晩は疲れていた上に変な寝方をしたせいか、だいぶ眠ってしまっていたようだ。


 今が何時なのか分からないが、日が随分高い位置まで上っている。

「まさかお義姉様、ご存知ないの……?」

「実は、今起きたばかりなの。殿下はどこに?」


 フィーネは、キッと少し遠くに立っている老執事をにらんだ。

「お待ちになって。今吐かせますわ」

 


   ☆☆☆



 バイエルが寝ていたのは、第二皇子邸の中にある、客人のために用意された部屋の中の一室だった。

 フィーネは寝台の傍の椅子に座ると、呆れた顔でバイエルを見た。

「昨日は深酒をなさったそうですね。しかも、ずぶ濡れで帰ってそのまま寝たとか」


 倒れないほうがおかしいですわ、とフィーネは言った。

 二日酔いでぐったりと寝台に横たわる青年は、服は着替えていたが、髪はひどく乱れていた。


「で、どうしてお義姉様は入室禁止ですの?」

「……………」

「まさかお兄様、お酒の勢いで浮気なんて……」

「……………」

「したんですの?」やや声が冷たい。


「……………いや」

 じゃあなんで、と尋ねようとした妹は、兄に「フィーネ」と呼ばれて口をつぐんだ。

「女性には、何を贈ればいい」

「はい?」


 フィーネの方は見ないまま、バイエルは淡々と、自問するように言葉を口にした。

「酷いことを言ったし……したような気がするんだ。花か、やっぱり」


 フィーネはバイエルと同じ藍色の瞳を見開き、愛らしく唇をつきだすようにして答えた。

「あらお兄様。喜ぶものなんて人によりますわ。お義姉様がほしいと思うものにしなくては」

「…………」


 まったくアイデアが浮かばない様子の兄に、妹は苛立ったように息をつく。

「お義姉様、何かをほしいと言ったことはありませんの?」


「…………」

「お兄様がお義姉様に似合いそうだと思うものは?」

「爪とぎ器」

「爪とぎ? 爪やすりでなくて?」

 バイエルは不自然にそこで長く沈黙した後、うなるように言った。


「違うな、マタタビか……」

「花が一番だと思いますわ」

 フィーネは次兄を夫に持つシルキーに心から同情した。

 どうしてあの女性殺しの長兄の傍に居ながら、次兄はこうもトンチンカンなのか。


「バイエル兄様は、もう少しソリスト兄様を見習った方がいいと思いますわ」

 バイエルはその言葉にため息をついた。

(あら?)

 いつもなら「そうだな」の一言くらいあるのに、反応が違う。


「ソリスト兄様と何かありまして?」

「………何もない」

 分かりやすく怪しい。

 何かあったことは確かなようだ。

 フィーネはそれ以上追及せず、話題を変えることにした。


「贈り物をするのは、しないよりは良いと思いますけど」

 フィーネはバイエルの目を見て微笑んだ。


「物だけでなく、気持ちを言葉でしっかり伝えなければね、お兄様。お兄様が何を考えているかなど、お義姉様には知りようがありませんもの。ひょっとするとお義姉様は、ご自分がバイエル兄様に嫌われていると思ってるかもしれませんわ」

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