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また来たんですが!?

 あんなことがあったというのに。


 翌日の今日は朝から慌ただしくて、気づけば夕方。カウンターで手を動かしながら、私はすっかり「昨日の騎士様」のことなど忘れてしまっていた。


 午前中は、紙細工の職人さんとの打ち合わせが入っていた。昨日エマさんと話したことをきっかけに、出産祝いや結婚祝いなど、贈り物に添えるカードを新しく作ろうと思い立ったのだ。


 結婚祝い用には、繊細な花模様を紙の上に細かく切り抜いてもらう。重ねた紙がレースのように浮かび上がり、そこに金のインクで文字を載せれば、どこか神聖な雰囲気になるはずだ。


 出産祝いのほうは、見た瞬間ふっと笑みがこぼれるような、柔らかい動物たちを描いたカードに。紙の色は、淡いピンクとブルーの2種類を用意してもらうことにした。


 どちらもまだ仕上がりは見ていないけれど、きっと素敵なものになる。


 エマさんの姪御さんの出産祝いに間に合えばいいな……。そんなことを思いながら、私は仕分け用の便箋を黙々とカウンターに並べていく。


 だからこそ──カランと鈴の音が響き、笑顔の金髪騎士が入り口に現れたときには、思わず手が滑って便箋を落としてしまった。


 ふわりと風に乗った一枚が、カウンターを越えて、床にパサリと舞い落ちる。


(……ま、また来た!?)


 驚きと動揺で固まった私をよそに、騎士様はまっすぐ歩み寄り、足元に落ちた便箋をそっと拾い上げた。そして、軽く微笑みながら、それを私の方へ差し出す。


「こんにちは、ミアさん!」


 昨日と変わらない、ぴかぴかの無邪気な笑顔が、まっすぐこちらを向いている。


 あまりに自然な仕草と笑顔に、思わず「こんにちは」と返しそうになって、あわてて言葉を飲み込む。


「あの……ありがとう……ございます」


 とりあえず、便箋を拾って貰ったお礼を口にしてみたものの、頭の中はハテナでいっぱいだった。


(……あの断り方、そこまで曖昧だった!?)


 昨日、確かに私は言ったはずだ。「あなたにこれっぽっちも気持ちはありません」って。仕事で書いた手紙のことで、恋を語られても困ります、と。


 あれで伝わらないなんてこと、ある……?


「昨日のこと、ずっと考えてました」


 カウンター越しに、騎士様はまっすぐこちらを見つめて言った。その顔は真剣で、昨日より少しだけ落ち着いて見える。 


「ミアさんは、僕のことを知らない。だから気持ちなんて湧かないのは当然だって……言われて、気づきました」


「……そうですね」


 思わず、営業スマイルのようなものが浮かんでしまう。だが彼はそれに気づく気配もなく、懐から何かを取り出した。


「だから、これ。読んでください!」


 差し出されたのは、一通の手紙。淡いアイボリーの封筒に、角ばった字で「ミアさんへ」と書かれている。


「……」


「僕のこと、知ってもらいたくて。手紙を書きました」


 ぴしっと差し出される封筒。

 でも、私はそっと首を横に振った。


「受け取れません」


 その言葉に、騎士様の手がふっと止まる。


「昨日も言いましたが、ここはお店です。私情で手紙を受け取るようなことはできません」


「……あ、はい……」


 みるみるうちに、彼の表情がしぼんでいく。耳と尻尾が垂れた子犬、再び。

 さっきまで、今にもぶんぶん振れそうなくらい元気だったのに。なんとも単純……じゃなかった、わかりやすい。


「そうですよね……わかってます。わかってるんですけど……」


 小さくつぶやいたあと、彼は手紙を胸に戻し、ポケットの奥にしまい込んだ。


 そのとき、彼の視線がちらりとカウンターの上をかすめ、ほんの一瞬だけ、彼の目に光が戻ったような気がしたけど。きっと気のせいだろう。


「……じゃあ、今日は帰りますね」


 小さく頭を下げて、彼は踵を返す。ドアに向かう背中は、昨日よりは少しだけ、しょんぼり度が控えめな気もする。


「カラン」


 扉の鈴が、小さく鳴った。

 


     * * *

     


 その夜。屋敷に戻ると、サラが、いつものようにお茶の支度をしてくれていた。


「おかえりなさいませ、ミリアンヌ様。今日はいかがでしたか?」


 この問いかけは、もはや日々の儀式のようなものだ。


 たいていは「疲れたわ」とか「今日はインクがよく売れたわ」といった当たり障りのない返事で済むし、たまにエマさんの話や、印象に残ったお客様のことを話すこともある。


 けれど昨日ばかりは、さすがにそうはいかなかった。


 初対面の騎士様が突然現れて、「あなたが好きです」だなんて、そんな出来事が他にあろうはずもない。サラが本気で目を丸くしたのは、店を開いて以来、あれが初めてだった。


 まさか、その「記録」をたった一日で塗り替えることになるとは、さすがに私も思っていなかった。


「……また、あの騎士様が来たのですか?」


 ティーポットを置く手が、ぴたりと止まり、サラがあんぐりと口を開けている。

 私はため息まじりにうなずいた。


「ええ。しかも今日は、恋文を持って」


「恋文……って、手渡しで?」


「そう」


「二日連続で告白ですか!? え、なにそれ新手の愛情表現!? それとも、記憶喪失でもしてるんですか、その方」


 冗談なのか本気なのかわからないテンションでまくし立てるサラを見て、思わずふっと笑ってしまう。


「違うわ。……ちゃんと、昨日のことは覚えてたみたい」


「……となると、まさかのポジティブ男、決定ですね」


 サラが静かに呟き、紅茶を注ぎながら、しみじみとした目になる。


「ほんと、どこまでも前向きというか……。正直、今日も来るとは思わなかったわ」


「それはこっちのセリフです」


 あのぴかぴかの笑顔が脳裏にちらついて、思わずもう一度、ため息がこぼれる。


「それで……どうされたんですか? さすがに、今日は受け取ったんですか?」


「受け取ってないわ。はっきりお断りした」


「なるほど。やっぱり、さすがミリアンヌ様」


 サラはうんうんと頷いて、満足げに微笑んだ。けれど、そのすぐあとで、ふと真顔に戻る。


「……でも、ひとつだけ。これは本当に申し上げておきます」


「……なに?」 


「その騎士様のこと、ジュリアン様には絶対に知られないほうがいいです」


「……やっぱり?」


「ええ。もしあの方の耳に『騎士団所属の男が、ミリアンヌ様に言い寄っている』なんて情報が入ったら——」 


 サラはぴたりと手を止め、真顔で言い切った。 


「その男、翌日には行方不明になります」


「こわっ」


 思わず声が裏返る、


「……冗談です。でもそれくらいのことは、本当にやりかねませんよ。あの方なら。翌日から店の前に張り付いて、犯人探しを始めるに決まってます」


 わかってる。私の兄、ジュリアン・クローデルは、優秀で冷静沈着な近衛騎士団の副団長。けれど、妹のこととなると、その冷静さは風のようにどこかへ飛んでいく。


「店に来た、その騎士様の身の安全のためにも、ジュリアン様には黙っておく方がいいですね」


「……そうね。お兄様に張り込まれたりしたら、私の正体だっていつバレるか……お店を続けるのが難しくなりそうだわ」


 うん。これは絶対にお兄様には内緒にしなければ。そう心に誓って、温かい紅茶をコクリと一口飲んだ。そのとき。


「……ん? 俺の話?」


 ふいに背後から聞こえた声に、ティーカップを持つ手がギクリと止まる。


 振り返ると、いつの間にか扉が開いていて、そこには黒い騎士服を纏ったジュリアンが立っていた。


「お兄様……!」


 私とサラは、一瞬だけ目を見合わせて、思わず同時に息をのむ。


「あ、サラ、俺にも紅茶くれる?」


 ジュリアンは何も知らない風に微笑んで、いつも通りの声色でそう言った。


「……かしこまりました」


 サラはわずかに肩を落とし、気の抜けたような返事を返す。


 ジュリアンの視線はすでに、窓の向こうに向けられていた。どうやら、本当に何も聞かれていなかったらしい。


(もうっ……心臓に悪いわ)

 

  

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