もちろん、お断りです。
「あ、あの……」
なんとか喉の奥から声を絞り出す。
「どなた……ですか?」
可能性は低いけれど、もしかすると何かの間違いで、たまたま来店したお客様……という可能性もゼロではない。
極力丁寧に、でも不信感は隠しきれない声で問いかけた。……つもりだったのに、実際には思いきり裏返っていた。冷静を装うのにも、限界がある。
するとその騎士様は、私が口を開いたこと自体が嬉しかったかのように、またぱあっと顔を輝かせた。
「わっ、すみません! 自己紹介がまだでしたね! 僕はレイです。年は十八です!」
ひと呼吸置いて、ぐっと前のめりになり、
「騎士団に所属してます! 階級は……あ、そういうのは今は関係ないですね! とにかく、今日ここに来たのは、あなたに気持ちを伝えるためです!」
きらきらした目が、まっすぐにこちらを射抜いてくる。その顔に、迷いも戸惑いも、かけらもない。あるのは、ただただまっすぐな「好意」だけ。
……いや、ほんとに、誰?
私は一度目を閉じ、大きく深呼吸をした。そして、ぐっと息を飲み込み、意を決してまた目を開ける。
疲れが見せた幻覚だった──なんて都合のいい展開は起こらず、そこにはやっぱり、きらっきらの騎士様がにこにこ顔で立っている。
(はぁ……どうにもこうにも、この現実を受け入れるしかないようね)
私は大きくため息をついて、覚悟を決めたように彼に問いかける。
「……あの、すみません。私、あなたのことを知らないのですが。どなたかとお間違えでは?」
「あっ、はい! でも僕は知ってます! これ、覚えてますか!?」
そう言って、彼は懐から一通の手紙を取り出した。
差し出された便箋に、思わず目が留まる。淡い水色に、インクのにじみを活かしたデザイン。角は少し丸まり、折り目はややくたびれていて。……何度も、読み返した跡がある。
(え、これ……)
見覚えが、あった。それは、数ヶ月前に代筆を頼まれた、恋文だった。お相手は「爽やかな雰囲気の青年」というざっくりした情報だけだったけれど、それに合わせて、私は便箋を選び、言葉を練り、香りを添えて仕上げた。
(まさか、本当に……届いてたんだ)
書いた手紙が、ちゃんと手元に届いていて。しかも、こんなふうに、大事そうに持ち歩いてくれている人がいたなんて。胸の奥が、じんわりと熱くなる。
けれど──
(って、今は感動してる場合じゃない!)
心の中で自分にツッコミを入れる。だってこの人、たしかさっき……「好きです」とか言ってたよね? 付き合ってください、とか。
(え、あの依頼の子じゃなくて……こっち!?)
いろいろな思考がいっぺんに押し寄せてきて、軽く混乱しかける私をよそに、彼は目を輝かせながら、カウンター越しに身を乗り出してきた。
「この手紙、僕にとって本当に大切なんです。……何度読んでも、心があったかくなって。あのときの気持ちを、ずっと覚えていられる気がして」
うっとりとした笑顔で、手紙を胸に抱える騎士様。
(……なんか、すごく、まずい展開な気がする)
「それで……この手紙を渡した子とは、その後どうなったんですか?」
少しだけ迷ってから、私は恐る恐る尋ねてみた。すると騎士様は、目の色をほんの少しだけ曇らせた。
「付き合ったんです。すぐに」
「……えっ」
「この手紙を読んで、すごく感動して……。こんなに綺麗な字で、こんなに想いのこもった文を書ける子なら、きっと心も素敵な子に違いないって」
そこまで言ったところで、彼はほんの一拍、言葉を切る。表情は笑っていたけれど、その目は、どこか遠くを見ていた。
「でも、なんか……違ったんです」
「……」
「もちろん、悪い子じゃなかったんです。でも、話してるうちに、どうしてもあの手紙を書いた子とは思えなくて。僕、わかっちゃったんです。あの文章には、もっと……なんていうか、あたたかくて、やさしくて、まっすぐで……言葉を大切にする人の気持ちがこもってたって」
「…………」
「だから、問い詰めました。そしたら……やっぱり、彼女は代筆をお願いしたって。あなたに」
(…………やっぱり、まずい)
ごまかしようのない展開が、目の前で繰り広げられていた。
「つまり……僕が恋したのは、この手紙を書いた、あなたなんです!!」
ぱあっと笑顔を咲かせた騎士様の目が、まっすぐに私を射抜く。
(……なんでそうなるのよ!?)
* * *
「へえ〜。それで、どうしたんですか? ミリアンヌ様は」
店から帰ってきた私のそばかすメイクを優しく拭き取りながら、サラが尋ねた。
「もちろん、すぐにお断りしたわよ。『あれは仕事で書いたものです。私はあなたにこれっぽっちも気持ちはありません』って」
断るのが申し訳ないなんて思うほど、私は相手のことを知らない。
「ふふ。そうですよね。で、その騎士様の反応は?」
「……萎れてたわ」
「は?」
「もう、ガックリと垂れた耳と尻尾が見えそうなくらい……ね。『そうですかぁ……わかりました』って目をうるうるさせて、そのままくるっと踵を返して、トボトボ帰って行ったわ」
「……」
サラは一瞬だけ手を止めて、その騎士様の姿を想像していたようだった。そして、すぐに耐えきれない様子で吹き出す。
「……ほんと罪作りなお嬢様ですね」
「罪つくりなのは、私じゃなくて、手紙よ」
あの、しゅんとした後ろ姿を思い出して、私はまたため息をついた。
「ま、そこまでハッキリとお断りしたなら、よっぽどのポジティブ男でもない限り、もう来ることはないでしょうね」
そう言いながら、仕上げに温かいタオルを私の顔に当ててくれる。
「はい、終わりましたよ」
サラの声に目を開けると、鏡の中の私と目が合った。そばかすも三つ編みも消え、すっかり伯爵令嬢ミリアンヌに戻った私と。
(……ほんと、すごい一日だったわ。まったく)