過去からの声
過去からの声
調査は、困難を極めた。「コーポ・ソレイユ」「201号室」「騒音」「怪奇現象」といったキーワードを、ありとあらゆる組み合わせで、過去のログを執念深く検索し続けたが、有力な情報は、何一つ見つからなかった。
調査が行き詰まったその時、ふと、不動産屋の佐藤との最初の電話のやり取りが、脳裏をよぎった。 『そういえば、その前の前に入ってた専門学校の学生さんも、夜中に音楽の音がうるさいって苦情はありましたけどねえ』 あの時は何気なく聞き流していた一言。音楽。専門学校の学生。
(もしかして…)
美咲は、調査の角度を変えた。アパートの周辺地域、特に若者が集まりそうな場所に焦点を絞り、地図とSNSの位置情報を照らし合わせていく。すると、アパートから徒歩十五分ほどの場所に、音響や映像系の専門学校が集中しているエリアがあることに気づいた。佐藤が言っていた学生は、そこの生徒だったのかもしれない。
(もう、これしか方法がない…)
藁にもすがる思いで、美咲は数週間ぶりに化粧をし、外に出る準備をした。向かう先は、専門学校周辺の古本屋街だった。
久しぶりに外に出ると、太陽の光が目に痛かった。道行く人々の視線が、全て自分に突き刺さるように感じる。誰もが、自分の憔悴しきった顔を見て、噂話をしているのではないか。そんな被害妄想に囚われながら、彼女は足早に目的地へと向かった。
古本屋の、黴と古い紙の匂いが混じった空気の中で、彼女は何時間も専門書の棚を漁った。音響、映像、デザイン。ありとあらゆるジャンルの本を手に取ったが、手がかりは見つからない。諦めかけたその時、複数の古本屋を巡る中で、一軒だけ、妙に気になる店があった。他の店とは違い、そこだけがやけに薄暗く、空気が淀んでいるように感じられた。無意識に、足がそちらへ向く。 店の奥、ほとんど誰も手に取らないであろう専門雑誌のコーナー。そこに積まれた段ボール箱を見た時、不意に(トクン)と心臓が一つ強く脈打った。まるで、その箱に呼ばれるように、彼女は無意識に手を伸ばしていた。そして、その中から一冊の古い音響専門誌を見つけ出した。それは、マイナーな、専門家向けの雑誌だった。パラパラとめくっていくと、読者投稿欄の片隅に、小さな記事が載っているのを見つけた。
『ペンネーム:Mika@DTM。最近、不可解なノイズに悩まされています。機材の故障かと思いましたが、どうも違う。特定の周波数、特に人間が不安を覚えると言われる19Hzあたりの超低周波が、部屋の壁から発生しているようなのです。まるで誰かが意図的に、こちらの精神状態を不安定にさせようとしているかのように。これは、音響心理学における一種の攻撃ではないかとさえ思えてきます』
これだ。美咲の心臓が、大きく脈打った。 この記事の最後に、こう追記されていた。
『追伸:この現象、どうやら音だけではないようです。部屋の家具の位置が、毎日、ミリ単位でズレている気がします。誰かが、私のいない間に…?』
彼女はその場で本を買い求め、震える足でアパートへと戻った。アパートのドアを開けた瞬間、彼女は気づいてしまった。雑誌から、微かに、しかし決して消えることのない「あの部屋と同じ、湿った土の匂い」がすることに。そしてその時から、彼女自身の身体や衣服からも、常にその匂いが消えなくなってしまった。まるで、呪いの刻印のように。