繭の孵化(ふか)
第九章:閉鎖空間
1 繭の孵化
ガチャン。 冷たい金属の感触。 背後で、玄関のドアに内側から鍵がかかる音がした。続いて、チェーンが滑り、ガチャリとロックされる音も。 美咲は、弾かれたように振り返った。 誰もいない。 震える手でドアノブを回す。開かない。 鍵は、内側から、誰かの手によって、確かに閉ざされていた。
(なんで?)
お前は、もう、どこへも行けない。
(窓だ。窓からなら)
リビングの窓に駆け寄る。 カーテンを、引きちぎるようにして開けた。 そして、息を呑んだ。
「……あ……?」
声にならない、乾いた空気が喉から漏れた。 そこにあるはずの景色が、なかった。 隣のアパートの壁も、遠くに見えるはずの電線も、灰色の空も。 何もない。
ただ、目の前に、 まるで固まった土砂のように、ざらついた質感の、コンクリートの壁があった。 窓ガラスの、数センチ向こう側。 まるで、この部屋が、 巨大な土の墓であり、コンクリートの棺桶でもある、この箱の中に、完全に埋め込まれてしまったかのような。 窓ガラスに額を押し付ける。冷たい。硬い。 その向こうは、光の一切を拒絶する、のっぺりとした、無限の灰色。
「あ……ああ……あああああ……」
閉じ込められた。 完全に。 物理的に。 この、呪われた箱の中に。 この、土地という名の、巨大な胃袋の中に。
壁から、音がする。 ケタケタケタケタケタケタケタケタ。 笑い声だ。無数の顔の染みが、ぐにゃり、ぐにゃりと蠢いて、口を歪めて笑っている。
『あなたの『目』があれば』
どこからか、声が聞こえた。 女の子の声。 鈴原ミカの声。
『もっと簡単』
やめて。 やめてやめてやめてやめて。
耳を塞ぐ。でも、聞こえる。 頭の中に、直接響いてくる。 湿った土の匂いと、甘い芳香剤の匂いが、混じり合って、脳を麻痺させる。 床が、ぬるりとした粘液を分泌している。足首が、沈んでいく。
逃げられない。 どこにも。 私は、消化されるのを待つだけの、餌。