最後の調査
最後の調査
孤立無援。 彼女は、部屋の中で改めて全ての異常を頭の中で整理した。
「壁の向こうの音」「湿った土の匂い」「散歩コースで見た、あの古い石碑」「そして、何度も見る、自分が土の中に埋められる悪夢…」。
これらのバラバラだったピースが、彼女の頭の中で一つの恐ろしい可能性を示唆し始めていた。
(この土地そのものが、原因だとしたら…)
その仮説を検証するために。 全ての選択肢を潰された末の、論理的な最終手段として。 彼女は、地域の歴史を調べに、図書館の郷土資料室へと向かった。
図書館の冷たく乾燥した空気は、まとわりつくような部屋の湿気から、一時的に美咲を解放してくれた。彼女は、郷土資料室の隅の席で、この地域の古い地図と住宅地図を何枚も広げ、新しいものと照らし合わせていく。この「コーポ・ソレイユ」が建っている土地が、かつて何であったのかを、執念で遡っていった。
そして、一つの事実を発見する。 この一帯は、五十年前、集中豪雨による大規模な土砂崩れが発生した場所だったのだ。古い新聞の縮刷版には、当時の痛ましい写真が掲載されていた。山の斜面がごっそりと崩れ落ち、麓にあった数軒の家屋が、一瞬にして土砂に飲み込まれている。死者・行方不明者、多数。
記事の片隅に、生き埋めになった人々の「寂しさ」を悼む、という一文があった。助けを呼ぶ声も届かず、暗い土の中で、孤独に息絶えていった人々。
(やっぱり…)
湿った土の匂い。 壁の向こうから聞こえる、掻きむしるような音。 そして、あの悪夢。
美咲の中で、仮説が確信に変わりつつあった。 この土地には、五十年前の死者たちの、強い「寂しさ」が、怨念となって渦巻いているのだ。 しかし、それだけでは説明がつかない。なぜ、これほどまでに執拗に、知的に、自分を追い詰めるのか。 彼女は調査の手を止めなかった。「本当にこの土地が原因なら、他にも何かあるはずだ」と考え、調査対象を「現代に近い、より個人的な記録」へとシフトさせた。 図書館の地域資料検索端末で、「郷土史」「都市伝説」「この街のいわく」といったキーワードで検索をかける。すると、一人の郷土史研究家が自己出版で発行している、古い小冊子(ZINE)の存在がヒットした。
カウンターでその冊子を受け取り、ページをめくる。その中に、「コーポ・ソレイユの土地の『いわく』」と題された短い章を見つけた。 そこには、こう記されていた。
「—五十年前の土砂災害跡地に建てられたあのアパートには、奇妙な噂が絶えない。不動産屋の記録では『自己都合による退去』とされているが、近隣住民の間では『夜逃げ同然でいなくなった』『精神を病んで実家に連れ戻された』といった話が、過去数十年で幾度となく囁かれている。もちろん、これらは公的な記録には残らない、ただの街の記憶である—」
この第三者による、噂レベルだが具体的な記録。それが、彼女の仮説を、揺るぎない確信へと変えた。
絶望と、それでも物語の背景にあった悲劇を知ることができたという、歪んだ安堵感。 その両方を胸に抱きながら、彼女はふらつく足で、再びあの呪われた部屋へと戻っていった。