デジタルの足跡
第六章:破滅への探求
1 デジタルの足跡
拓也との断絶は、美咲を調査へとさらに深く没入させた。もはや、彼女を理解してくれる人間は、この世にいない。いるとすれば、それは、自分と同じ不可解な恐怖を味わった、『ミカ』だけだ。 彼女は生きているのだろうか?だとしたら、ここから無事に逃げ延びたということだ。その可能性に、美咲は必死にすがりついた。
現象が止み、安堵した美咲は、フリーランスとして再起すべく、保留にしていたクライアントへの返信メールを書き、新しいデザインの仕事に着手しようとした。しかし、一晩明けてPCを起動した彼女を待っていたのは、新たな絶望だった。 制作中だったデザインファイルを開くと、そこにあるはずのデータが、見るも無惨に破壊されていたのだ。美しいグラデーションは土砂のようなノイズで塗りつぶされ、整理されていたはずのレイヤー名は、意味不明の文字化けを起こしていた。それは、彼女の聖域である「仕事(創造の領域)」への、明確な侵犯だった。これ以上、この部屋にいては、自分の存在そのものが破壊される。その耐え難い恐怖が、彼女の思考から、安堵や希望といった感情をすべて消し去った。
SNSの情報だけでは、本名を特定するには至らなかった。美咲は、Webデザイナーとしてのスキルを駆使し、より深い調査を開始した。ターゲットは、ミカが通っていた専門学校のウェブサイト。現在のサイトではなく、インターネットの過去の情報を保存している『ウェブアーカイブ』サービスを使って、ミカが在籍していた時期の、古いウェブサイトの残骸を掘り起こしていった。 何時間にもわたる地道な作業の末、彼女はついに、数年前の「卒業制作展」の出展者リストのページを発見した。そこには、出展された作品の紹介と共に、作者のプロフィールが掲載されていた。
『作品名:深淵の残響 / サウンドデザイン:Mika@DTM(鈴原ミカ)』
本名が、確定した。
その名前で再度ニュース検索をかけると、以前は見つけられなかった、より詳細な地方ニュースの記事がヒットした。
『音響コンクール落選を苦に?専門学校生、鈴原ミカさん行方不明に』
記事によると、彼女は、将来を嘱望されていたサウンドデザイナーの卵だったが、全国規模の大きなコンクールで落選した直後から、家族や友人とも連絡が取れなくなり、警察に行方不明者届が出されている、とのことだった。記事の日付は、彼女のSNSの最後の投稿から、約一週間後のものだった。
(行方不明…。次は、私…?)
その考えが頭をよぎった瞬間、偽りの安息は完全に終わりを告げた。音が聞こえるとか、匂いがするとかいった、もはやそんな悠長な話ではない。ミカは消えた。次は自分が消される。その絶対的な確信が、彼女の思考から恐怖や論理を消し去った。
(確かめなければ)
生き残るために、この壁の向こうにある「何か」を、自分の手で暴き出す以外に道はない。 美咲は、静かに立ち上がると、迷いのない足取りでクローゼットへ向かい、カッターナイフを手に取った。