決別の引き金
コーポ・ソレイユ
第一部:楽園の瑕瑾
第一章:東京からの逃亡
1 決別の引き金
東京という街は、巨大な捕食者だ。 夢を餌に若者を集め、その活力を吸い尽くしては、煤けた抜け殻を吐き出す。相田美咲、三十二歳。彼女もまた、その顎に捕らえられ、数年間もがき続けた末に、今まさに吐き出されようとしている一人だった。
渋谷のスクランブル交差点を見下ろす、ガラス張りのオフィス。そこが彼女の戦場だった。ウェブデザインの最前線。時代の寵児たちが集うその場所で、美咲はアシスタントデザイナーとしてキャリアをスタートさせ、六年という歳月を費やしてチーフの肩書を手に入れた。最新のトレンドが生まれる現場に身を置く高揚感。自分の作ったデザインが世に出て、何十万という人々の目に触れる達成感。それらは確かに存在した。
しかし、その光は、深夜まで煌々と灯るオフィスの蛍光灯と、網膜を焼き付けるPCモニターのブルーライトによって生み出されていた。影の部分は、日に日に色濃く、彼女の心身を蝕んでいった。
締め切り前の三日間、仮眠室のソファで眠り、エナジードリンクを静脈注射のように体に流し込む生活は、もはや日常だった。同期入社の仲間が一人、また一人と倒れ、あるいは去っていく中で、美咲は「タフだね」と評価された。それは褒め言葉ではなく、壊れずに使い続けられる部品に対する品質保証のような響きを持っていた。
クライアントの曖昧な指示に振り回されるのは、この業界の常だ。
「もっとこう、シュッとした感じで」「キラキラ感を足して、でも安っぽくなく」「エモいのがいいんだよね、エモいの」。
そんな雲を掴むような言葉を、具体的なデザインに翻訳するのが彼女の仕事だった。一晩かけて作り上げた数十パターンのデザイン案を、翌朝の会議で上司の「なんか違うんだよな」の一言で全てゴミ箱に捨てられる理不尽。その一言には何の論理的根拠もなく、ただその時の気分、あるいはさらにその上にいる重役の鶴の一声だけが支配している。抗議しようものなら、「プロなら、言われる前にこっちの意図を汲めよ。エスパーじゃないんだからとか言うなよ?空気を読むのがコミュニケーション能力だろ?」と、精神論で殴られるだけだった。
朝。ぎゅう詰めの満員電車で、見知らぬ他人の湿った呼気に顔を埋め、息を殺しながら運ばれていく。それは、通勤というよりは、巨大な生き物の消化器官を通過していく感覚に近かった。会社に着けば、同僚たちの間には常に張り詰めた緊張が走り、成功は嫉妬を、失敗は嘲笑を生んだ。隣の席の同期は、ストレスからか、常に貧乏ゆすりを止められなくなっていた。カタカタカタ、と机を揺らす微細な振動が、美咲の苛立ちを増幅させた。向かいの席の先輩は、円形脱毛症を隠すために、真夏でも蒸れそうなニット帽を手放さなかった。誰もが疲弊し、心をすり減らし、互いを気遣う余裕など、どこにもなかった。美咲は、いつしか、他人の顔色を窺うことが、呼吸をすることと同じくらい自然な行為になっていた。
特に記憶に焼き付いているのは、ある地方の伝統工芸をPRするウェブサイトのプロジェクトだった。過疎化が進むその村の、最後の希望とも言える事業。美咲は、その仕事に久しぶりに情熱を注いだ。東京でのキャリアに行き詰まりを感じていた彼女にとって、それは起死回生のチャンスに思えた。何度も自腹で現地へ足を運び、職人たちに話を聞いた。朴訥だが実直な彼らの、震える手で語られる技術への誇り、後継者不足への嘆き。その全てを、デザインに落とし込もうと必死だった。
深夜まで残業を繰り返し、週末も返上した。クライアントである自治体の担当者とも良好な関係を築き、ようやく完成にこぎつけた。デザインは、和紙のテクスチャをベースに、職人の手仕事を思わせる繊細なラインと、その土地の美しい四季の写真を組み合わせた、静謐で品格のあるものだった。自治体の担当者も、職人たちも、涙を流して喜んでくれた。
「ありがとう、これで村が少しでも元気になれば…」
しかし、最終プレゼンの直前、東京から視察に来た中央省庁の役人の鶴の一声で、コンセプトはあっさりと覆された。
「いやー、これじゃダメだね。古臭いよ。もっと都会的で、ポップな感じにしないと。ターゲットは若者なんだからさ。なんかこう、アニメキャラとか使って、インバウンド狙いでいこうよ」
美咲の数ヶ月にわたる努力と情熱は、「古臭い」「垢抜けない」という言葉のもとに、「無駄」だと断じられた。会議室の隅で、彼女はただ、唇を噛みしめることしかできなかった。目の前で、自分が作り上げたデザインが、まるで素人の落書きのように、真っ赤なペンで修正されていく。その光景は、網膜に焼き付いて離れなかった。結局、サイトは美咲の意図とは全く違う、どこにでもあるような、けばけばしいキャラクターが踊るものに作り替えられた。
その頃からだろうか。体のあちこちに、明確な不調のサインが現れ始めたのは。常に続く緊張性の頭痛。電車に乗るたびに襲ってくる動悸。何を食べても、まるで砂を噛んでいるかのように、味がしない。朝、洗面所の鏡に映る自分の顔は、生気がなく、まるで知らない他人のように見えた。目の下の隈は、どんな高級なコンシーラーでも隠しきれないほどだった。
友人からの食事の誘いも、「ごめん、今、締め切り前で…」と断りのメッセージを返すことが習慣になっていた。最初は心配してくれていた友人たちも、度重なる断りに、やがて何も誘ってこなくなった。SNSのタイムラインを眺めれば、友人たちが結婚式やホームパーティーで楽しそうに集まっている写真が流れてくる。そこに、自分の姿はない。彼女の孤独は、新しい住処を見つけるずっと前から、すでにこの東京で、静かに、しかし確実に萌芽していたのだ。
フリーランスとして独立する直前、彼女はポートフォリオを整理していて、あるプロジェクトの成果報告書を無感情に眺めていた。それは、大手通販サイトの購入ボタンのデザイン改修。彼女は、ボタンの色をわずかに変え、影の付け方を調整し、「限定」という文字の隣に小さなタイマーのアイコンを配置した。ただそれだけで、クリック率は15%も上昇し、サイトの売上に大きく貢献した。報告書には「ユーザー心理を巧みに分析し、コンバージョンへと導いた優れたデザイン」と賞賛の言葉が並んでいた。
しかし、美咲はそれを「人の心を操り、無意識のうちに特定の行動へ誘導する技術」だと理解していた。それはデザイナーとしての優秀さの証明であると同時に、ある種の業のようなものだと感じていた。自分は、画面の向こうの見えない人々を、巧みにコントロールしている。その自覚が、ガラスの破片のように心のどこかに突き刺さっていた。自分の仕事は、本当に誰かを幸せにしているのだろうか。それとも、ただ資本主義の歯車を効率よく回すための、潤滑油にすぎないのではないか。
会社を辞め、フリーランスになることを決意させた決定的な引き金は、ある雨の日の朝の出来事だった。 ホームで電車を待っていると、突然、世界から音が消えた。人々のざわめきも、駅のアナウンスも、雨音すらも聞こえない。ただ、目の前の線路が、ゆっくりと自分を吸い込んでいくような、強い引力を感じた。一歩、足を踏み出しかけて、背後から誰かに腕を強く掴まれた。
「危ないですよ!」
見知らぬサラリーマンの焦った顔。その時、初めて我に返った。自分は、今、死のうとしていたのか。無意識のうちに。 その日の午後、彼女は上司に辞表を叩きつけた。
「もう、無理です」
涙も出なかった。ただ、空っぽの器から、乾いた言葉がこぼれ落ちただけだった。上司は、「まあ、お前も限界か。次のヤツ、探さないとな」と、まるで壊れた備品を交換するかのように、あっさりとそれを受理した。