聖霊 その5
家に着いた私たち。共働きの両親はすでにいない。冷蔵庫から麦茶の容器とコップを3つ持って、お兄ちゃんの部屋に向かった。
お兄ちゃんはパソコンを立ち上げ何か操作を始めたので、私が3人分の麦茶を入れる。
重さはないが、私にくっついてるむいかさんにコップを差し出してみる。
しかし白い手はコップに触れる事ができない。ゼスチャーで”ごめん”と”ありがとう”を繰り返しているむいかさん。
本当に、なんで話せないんだろう。昨日もっと聞いておけば良かったな。
「繋がったぞ」
むいかさんと頑張ってコミュニケーションをとっていると、お兄ちゃんがパソコンを指差しながら私たちを見た。
画面にはお兄ちゃんと同じ歳くらいの、見知らぬ2人が映っている。
私は画面に向かって軽くお辞儀をしてから、お兄ちゃんに目を向けた。
「昨日連絡しといたんだ。こんな事もあるかなって思ってさ」
『こんにちは〜。雷太の妹さんだよな。美卯ちゃん、だっけ』
八重歯を見せてにこやかに微笑む人は、画面の左側で手を振っている。私も手を振り返す方が良いのか迷ったが、相手が先にやめてしまったので機会を失ってしまった。
「初めまして。えっと、お兄ちゃんのお友達ですか?」
『友達っていうよりは、仲間、かな。見えたり、聞こえたりする人達の仲間って言えば分かるかな?君のお兄さんが繋いでくれたんだ。今は9人くらいのコミュニティーだけど、まだ少し増えそうだよ』
今度は右側の人が答える。小学校の時に好きだった人に、ちょっとだけ似てると思った。
私は口角が上がりそうになるのを誤魔化すために、わざと目を見開いてお兄ちゃんに顔を向ける。
「そんな事、してたんだ」
「うん。でもさ、本物は少ないんだよ。いろんな人と話したけどさ、本物はこの人達だけだった」
「本物って?」
「本当に見える人って事」
『大倭と将生って呼んでね。高校2年、彼女募集中でーす』
八重歯の人がそう言った。右の人は大倭さんかな、将生さんかな?
「うちの妹以外でお願いしますね、大倭さん」
右側が将生さんかと、私は心の中で何度か名前を繰り返した。
『それで、今日は美卯ちゃんの肩に憑いてる怨霊の相談かな。なんか画面越しだからかな、白く見えるね』
その右側の将生さんが口を開く。
「将生さん、本当に見えるんですね。あ、怨霊じゃないんです、この人。それに白く見えるのは画面のせいじゃありません」
私は画面の右側に体ごと向けて言った。
『じゃあ、ただの白い人?』
左側から大倭さんの質問。私は体を正面に向けて首を振る。
「白い人も黒い人も煙が立ち登ってますよね?あれって、煙というよりは何かが剥がれていってると思うんです。でも、むいかさんは体から剥がれたモノが戻ってきて、それが循環してるみたいなんです」
『それって怨霊じゃないの?むいかさんってのは彼女の名前だね。色は確かに見たことないけど、それだけじゃなんとも言えないね。あ、怨霊じゃないって本人が主張しているとか?』
将生さんの言葉に、むいかさん側に捻っていた体を正面に向ける。だが、なんと返答して良いものか思いつかない。
「実は彼女、俺の同級生なんです。美卯によると、どこかで殺されたみたいなんですけど……」
えっ、と言って2人は画面の向こうで固まった。
当然の反応だけど、ここで引き下がるわけにはいかない。何かヒントが欲しいけど、どこまで詳細に説明したら良いんだろう。説明するには抵抗のある部分が多すぎるし、むいかさんも言って欲しくない事があるだろう。声で遮ることが出ないので、画面を見ながらむいかさんの反応を同時に確認するには、どうすれば良いのだろう。私が考え込んでいると、画面から大倭さんの声。
『雷太、箱根だっけ』
「あ、はい、そうです」
大倭さんは、将生さんと目を見合わすと、頷き合ってこちらを見る。
『今からそっち行った方がいいと思うんだけど、どう?』
次いで将生さんが、金のカードを見せながら言う。
『ちょっと、俺達が知るどの事例にも該当しない。直接見て色々確認したい。それに、もしかするとこれが役立つかもしれないし』
何か特別なカードなのだろうか。
「それなら、俺達が……」
お兄ちゃんが何かを言いかけたが、将生さんは首を振ると、手を掲げてそれを静止した。
『体験した事を、その現場で見たい。それに、大倭と会いに行こうかって話してたんだ。高校卒業したら引っ越すから、静岡に居るうちにってね』
引っ越す。
その言葉に傷付いた自分がいた。
もし仲良くなっても、会えなくなるのかと思うと気分が沈む。そんな私を他所に、待ち合わせ時間や場所が決まっていく。
静岡からは電車で2時間くらいのようだ。すぐに出発するにしても準備や移動時間を考慮して、4時間後に待ち合わせる事にした。
画面から2人が消えた後、お兄ちゃんはキーボードに向かって何か入力をし、紙を1枚プリントして、それを私に見せる。
はい、いいえ、良い、悪い、!、?、あいうえお、かきくけこ……
「あ、むいかさんと話すため?」
「そう。お前が言い辛い事と、菖蒲が言い辛い事どっちもあるような気がしてさ。さっきの2人には、できるだけ情報を渡して、解決のヒントをもらいたいけど、言える事と言えない事を先に整理しとかないと」
おぉ、と称賛の眼差しを兄に向けた。
「お前に憑いてるけど、俺の同級生だからな。まずはこれを確認したいんだ」
50音の印字された紙を、私の前に置いたお兄ちゃんは、むいかさんに目を向けて聞いた。
「菖蒲は全部思い出したのか?その……お前を殺したの、親じゃないよな?」
”いいえ”
”悪い”
”お” ”と” ”こ”
「じゃあ、犯人の名前は?」
”?”
「覚えてないのか?」
”はい”
「うーん」
お兄ちゃんは腕組みしながら唸り、もう一度むいかさんに顔を向けた。
「親には伝えたほうがいいか?」
指を紙に向けようとした、むいかさんの動きが止まる。迷っているようだ。
「覚えてないからか?」
”し” ”よ” ”う” ”こ”
「あ、証拠がない!確かに」
私はそう叫びながらお兄ちゃんを見た。
またしてもお兄ちゃんはうなり、腕を組み直し、首を傾けて私を見た。
「そうか……それなら美卯の見た映像が最大のヒントになるのか。じゃあ美卯、お前は部屋に戻って出かける用意してこい。終わったら、この紙で菖蒲と話して来てくれ。お前の見た映像、本人に伝える事はできるだろ?」
「あ、それなら、多分」
そう答えると兄ちゃんは頷いて、組んでいた腕を解く。床に置いた紙を私に差し出しながら、真剣な眼差しで言った。
「さっきも言ったけど、情報はできるだけ伝えたい。だから、2人でよく話し合ってくれ。俺は他の同級生にそれとなく探りを入れてみる」
お願いと言いかけて、ふと映像の一部が頭を横切る。
「同級生に犯人はいないと思うから、彼氏とか友達関係とかそっちを重点的にお願い」
「……わかった。じゃあ、3時間後には家を出るからそのつもりでな」
うん、と頷いて、お兄ちゃんの部屋を出た。