聖霊 その4
「顔は分からない。なんか、感情だけ覚えてる」
「どうやって殺されたのかも、見えたのか?」
「うん。でも……言いたくない」
「そうか……」
お兄ちゃんは何かを察してくれたみたいに、それ以上を私に要求してこなかった。
「よし、それじゃあ、仲間に相談しよう。でも、菖蒲をどうしようか」
仲間って学校の友達だろうか。それがどれくらい解決策をくれるのか不明だが、むいかさんをこのままにしていたら、消えてしまうような気がして不安だった。
「なんとか、連れて帰れないかな」
「連れて帰ってどうするんだよ」
「どうって……。ここにいたら、この鎖の人が戻ってきて酷いことするかもしれないでしょ」
「なるほど。だけど、どうやって連れ出すんだ」
「お兄ちゃんのアイデアでなんとか!」
私が懇願するように言うと、お兄ちゃんは箒を掲げた。
「アイデアってこれしかないけどな。ま、お前の箒神への祈り、頼りにしてるぞ」
箒の柄を持って振り上げると、むいかさんの横の鎖を払うようにした。
すると、鎖の一部が消えてふわっと揺れる。
「あ!」
驚いてそれを見ている間に、鎖はするすると再生してに元に戻る。
「あぁ……」
がっかりした私と違って、お兄ちゃんは手応えを感じていた。
「やっぱり思った通りだ。美卯、俺が鎖を弱めるから、お前は菖蒲を引っ張れ」
「わ、わかった」
私はむいかさんの手を握ってみる。白い人に触るのはこれが始めてだが、フワリとした感触があった。掴みどころが難しいが、感覚を微調整したら引くことくらいはできそうだ。
「むいかさん、痛くない?」
何度も頷くむいかさんを見て、私はお兄ちゃんに顔を向ける。
「いいよ、お兄ちゃん」
ふわふわの中心でぐっと力を入れると、お兄ちゃんが箒で鎖を掃き始める。むいかさんには触れないように、右横からぐるりと背後へ周り、1周を駆けるようにして再生スピードを確認しながら動いている。
私はその間ずっと力を入れて引っ張り、むいかさんも痛そうな顔をしていたが、唇を引き結んで耐えているようだった。やっぱり痛いんだなと思ったが、ここで止めるわけにはいかない。
力加減を間違えるとすり抜けそうで、すごく集中が必要だった。
むいかさんの左側に到達しそうになり、逆周りに掃くお兄ちゃん。右に左にと、徐々にスピードを上げていくと、掃く動きが勝ってきて、3往復目で、むいかさんの体がぐらりと動いた。
「行けそう。もうちょっとで、外れそう。お兄ちゃん!」
「引け!」
その言葉を合図に、思いっきり引っ張った。
タイミングが良かったのか、むいかさんの体が宙に投げ出されたように感じ、その直後、肩に大きな衝撃があった。
「い、いたたた」
背後に倒れ込んでいた私は、地面で擦れた右腕をさすりながら体を起こす。木には鎖だけが残っていて、むいかさんの姿はない。
「うまく、いったか、美卯」
左肩がずっしり重い。木の後ろでぜえぜえいってるお兄ちゃんに返事をしようと、左肩に目を向けた。
「む、むいか、さん!」
私の肩に寄り添うように……いや、むいかさんの体が私の肩にくっついている。それと同時に、自分から何かが抜け出る感覚。これは危険だと思ったら、体の中心に自然と力が入った。何かが抜けていくのを阻止した感じ。なんだろうと思っていると、むいかさんの項垂れていた顔が上がり、私と目が合った。
「どうした?」
荒い息の混じった声。
お兄ちゃんが木の後ろの方から、声だけで聞いてくる。だけど、どう答えていいのか分からない。
むいかさんと触れていても、変な映像は流れてこない。さっき、何かが抜け出たように感じたことだけはちょっと不安だけど。
重さもすでに感じない。
これは、うまくいったって事なのかな?
「むいかさん、しゃべれる?」
口は動くが声は聞こえない。
「声は無理かぁ……」
「美卯!」
木の後ろから出てきたお兄ちゃんは、私の名を叫んだあと、絶句している。
「なんか、私に憑依したみたい。憑依っていうのが正しいのか分からないけど」
なんて事ないと見せたくて、えへへと言いながら前髪をいじってみる。
「取り憑かれてるのを憑依っていうならそうなんだろうけど……なんかさっきと違うな」
何が違うのだろう。首を傾げてお兄ちゃんを見たが、視界の端で何かが上下しているのに気がついて横を見た。
むいかさんは、ゼスチャーで何度も何度も誤っている。さっきまで元気がなかったのに、動きもわりと機敏だ。
「あ、そうか。完全に白くなったのか」
お兄ちゃんに言われて、私も気がついた。斑だったところがなくなっている。
「白いからか、むいかさんは怖くないね」
頷いたお兄ちゃんは、むいかさんに手を伸ばして言う。
「そうか……ま、俺は同級生だし、知ってる奴だから、かな……」
むいかさんは差し出された手を不思議そうに見ている。
「むしろ、生前のほうが近寄り難かったかも。なぁ、握れるか?」
お兄ちゃんがそう言うと、むいかさんの手が伸びた。
「触れた……なんか、変な感じだな。たいして話した事もないのに、こんな状態で握手してるなんてな」
むいかさんは頷いて、悲しそうに微笑んだ。
「うーん、俺には映像とか見えないな」
お兄ちゃんはそう言うとむいかさんの手を離して、私のほうを見る。
「とりあえず家帰るか。声が出なくても、文字があれば指さして会話できるだろ?それに仲間にも連絡とらないと」
私は頷いたが、お兄ちゃんが持ったままの箒を差して聞いた。
「帰るのは賛成だけど、この箒の事説明してよ」
なんであんな事ができたのか不思議だった。
「ああ、これ?」
箒神がどうとか言っていたのが、今になって気になってきた。
「美卯が何か込めてたんじゃないの?俺は箒に祈ったりしないし」
なんの事か分からない。祈っている本人が知らないなんて事があるのだろうか?
「感謝の気持ちを箒に語りかけてるだけだよ。でも、だからってどうしてあんな事が出来るって思ったの?」
あぁ、と言ったお兄ちゃんは、箒を上に持ち上げて説明してくれた。
「ちょっと前にさ、箒で掃除してる時に、黒いのが飛び出してきたんだよ。びっくりして思わず振り払ったら、ふぁーって消えたんだよな。俺はそんなコトできないし、これのおかげだろ?ちなみにその時は再生もしなかったぞ」
知らなかった。私の祈りが原因かどうか分からないけど、お兄ちゃんがそれを知らなかったら、まだ境内の裏で途方にくれていただろう。
「お兄ちゃんに祓える力が芽生えたんじゃないの?」
「いや、どうだろうな。自分の力を使ったような気もしないから、美卯の祈りの結晶みたいなもんかと思ってた」
あ〜と声に出しながら考えるが、さっぱり分からない。
「よく分からないけど、役に立って良かった。祈っとくもんだね」
「だな」
お兄ちゃんは笑って用具入れに向かい、私もついて行って一緒に片付けた。
木の扉を閉めると、用具入れに深々と礼をして神社を後にした。