聖霊 その25
礼さんから連絡があったのは、その1週間後だった。
むいかさんの体は、国道から少しだけ外れた場所にある、小さな沼地に沈められていた。
寝袋に入れられ、荷物用のビニールテープでぐるぐる巻きにされて、錘と一緒に沈められていたそうだ。
礼さんが立会えるようかけあってくれたが、警察の意向で私がそこに行くことはできなかった。誰がどこに立っているのかも分からないような遠くで、眺めているしかない。むいかさんが自分の体と対面できたのかすら、私にはわからない距離だったが、礼さんから青い小箱を見せられてがっかりした。
体に戻れなかったんだ。そして私が未熟なせいで、話すこともできない。
落ち込んでいるなら励ましてあげたかったのに、それが出来ない自分に気分が下がる。
それからさらに1週間後。
礼さんは突然家にやってきて、お兄ちゃんを呼び出すとこう言った。
「雷太、ちょっと妹借りるぞ」
たまたま一緒に玄関まで来た私は、突然の事に断る事もできずに家を出た。
お兄ちゃんは当然のように付いてきて、礼さんにあれこれ質問していて楽しそうだ。
私はというと、なんの説明もなく連れ出されたのに、ほとんど無視という状況に不満だった。
神社に着くと礼さんは私を伴って、周辺を歩き回り所々で指示をだす。
私は訳もわからず、言われるままに色んな物に触れて回った。時々違うとか、もっと丁寧にとか言われたが、何がどう違うのか、自分が何をやっているのかは不明のままだ。
説明もないうえ、雷太の妹とか、平妹とか、おいとかちょっとみたいに呼ばれて、そこもかなり不満だ。そりゃお兄ちゃんは礼さんに懐いているみたいだし、可愛げもあるだろう。私は最初から警戒されていたし、ひょっとしたらマイカの件で気まずいとかあるかもしれない。
私がむいかさんと共に封印されていた間に、お兄ちゃんはみんなと過ごし、あの店で1夜を明かしたと聞いた。だから礼さんとの距離が縮まったんだと思うけど。
……思うけど!
名前も覚えていない興味ない女子中学生を、ここまでこき使いますか?
そんな不満までもフル無視で進む礼さんは、外周を終えると神社の鳥居に私を触れさせる。
「ちょっと待て」
鳥居に触れたまま固まる。思いっきり感じ悪くはぁ? って振り返りたかったが、次の言葉を待ってからにしようとグッと堪えた。
そんな私の心情に気がつきもせず、礼さんは鳥居を上下に眺め、右側の柱の前でしばし考え込んでいる。いや、柱をじっと見ている?
「これ持って左の柱で待機」
ふいに私に向かってボールのようなものを放り投げる。
危うく落としかけたが、キャッチしてからそれがガラスだと気がつきヒヤッとした。
「あ、危な……っ!」
さあ、文句を言ってやろうと思った瞬間、礼さんが左を指差して言う。
「オレの合図で、柱の根本に叩きつけろ。割るつもりでな」
「え?」
手に持った丸いガラスを見る。白濁したガラス玉で、中は水なのか少し揺れているように見える。
「分かったか?」
その言葉で、慌てて左の鳥居の柱前へ戻る。
「行くぞ、3、2、1、落とせ!」
言われるまま、思いっきり根本に叩きつける。
パリーンと高音が鳴り響く。重さや大きさから、もっとガシャっと低い音が出ると思っていた私は、その綺麗な音にびっくりして根本を凝視する。
半透明の淡い水のようなモノが、ふわふわと立ち上っていくのが見えた。
「入るぞ」
もっと確認したいのに、礼さんの指示でそれを断念。
参道に2本ずつある灯籠にも触れろと言われ、右に左に走る。
当然狛犬にも触れ、そこから境内を囲むように移動し、木々に触れて回った。
一際大きな、この神社の御神木とも呼べる大樹に辿り着く頃にはヘトヘトだった。
足が長いのに遠慮せずにどんどん進むから、私より背の高いお兄ちゃんでも、息が上がっている。
「それじゃ、やるぞ」
肩で息をしている私たちに、礼さんはそう告げ、いつの間にか青い小箱を持っている。
あ、と思っている間に、青い光が辺りに満ち、目が眩んで手で覆ってしまう。
しばらくして恐々目を開けると、白いむいかさんが木に半身を埋めて、こちらを見て微笑んでいた。木に宿ったって感じだ。
穏やかで優しい笑顔だ。
「美卯ちゃん。謝罪と感謝の気持ちをどれほど伝えたかったか」
むいかさんと初めて出会った神社で、私は出会った日に聞いた声を再び耳にした。でも印象が違う。同じ声なのに、優しく温かい。私の横にいた時と同じ雰囲気だ。大樹の幹に宿る彼女は、初めて出会った時よりも神聖な存在に見えた。
「よかったな菖蒲。まずは精霊目指してゆくゆくは土地神様にでもなってくれよ」
お兄ちゃんは軽口を叩いている風を装っているが、むいかさんの印象が生前と違ってドギマギしているのがありありと分かった。私は生前を知らないので、時々見せる別の顔がなくなって安心したくらいだったけど。
「神様になんてなれないわ。結界を張ったり、傀を撃退したり出来ればいいんだけど、ここから動けないもの。でも、生きてる人に触れても、その人から何も吸い取らない。今はこの木が私の宿主だから」
むいかさんは穏やかに微笑んで続けた。
「美卯ちゃんみたいに力のある人が、たまたまここを訪ねてきてくれて、その人の話を聞いてあげるくらいしか、私にはできないけど、それでも迷える能力者のアドバイザーになれるのなら光栄な事よね」
残念そうでありながら、希望を抱いている顔のむいかさん。辛さから解放されたのだと思った。
「今度、ご両親を連れてきますね。ここでよく話したって言うつもりです。だから、もしよかったら、むいかさんとご両親の思い出話とか聞かせてくれませんか」
私がそう言うと、むいかさんは嬉しそうに頷いた。
「ありがとう美卯ちゃん。これから精霊になるのか、消えてしまうのか分からないけど、意識のあるうちに両親に会えるのは嬉しい。向こうは見えないだろうけど、それでも気持ちの整理をつけられそうよ」
悲しげな笑顔が私に向かう。
「俺も会いに来るよ。将生さんや大倭さんも来たいって言ってたから、賑やかしにくる」
「うん。ここでゆっくり眠りながら待ってる」
ふと背後から砂利を踏み締める音。
「ゆっくり眠るといい。辛い事から解放されて、心穏やかにな」
私とお兄ちゃんは同時に振り返って、その人を仰ぎ見た。
朝から続く暴挙に、その巻毛をむしり取ってやろうかと思った数分前の事は、むいかさんを見た瞬間に全て水に流してしまった。
そしてそれを後押しするような礼さんの、むいかさんへ向ける優しい言葉。
「この木も注連縄をつけて、ロープで囲う予定だが、希望があればなんでも聞くぞ」
この人から優しい言葉が聞けるなんて驚きだった。むいかさんの言葉に耳を傾けていた礼さんは、一通り聞き終わると私たちを振り返って言う。
「雷太はJで、妹はQに推薦しておいた。若月のとこで登録するなら、だけどな」
お兄ちゃんから驚きと、それにほんのちょっとだけ混じる興奮の声。
「登録したいです!」
「ん、静岡の2人にも声かけといて」
将生さんと大倭さんの念願が叶う。
「それから、この神社は安堂寺が買い取った。妹の結界がなくても、神聖な場所として機能させるつもりだ。雷太は地元に残るなら、時々手伝いに来い。若月の仕事なら大阪行かなくてもいいだろ?」
お兄ちゃんばっかり礼さんに声をかけてもらって、私はまだおまけのままだ。JとかQとか言われてもよく分からないし。
「高校は一応受験あるからな。頑張れよ」
ふいに私に顔を向けた礼さん。慌てて頷くが、JとかQを考えていたから言葉が出てこない。
「Jはともかく、Qともなると、多少危険な仕事も増える。高校の間に冬香に鍛えてもらいな」
鍛えてもらうってなんだろとは思うが、聞き返せる雰囲気じゃない。曖昧に頷くのがやっとだった。
「冬香は……能力は高いが普通の生活を知らない。教えてやってくれ、楽しい高校生活ってやつを」
そう言う礼さんの表情は、少しだけ翳りがある。
大阪にいる時にも思ったが、冬香さんって何者なんだろう。礼さんと若月さんに守られているようにも見えるが、それもちょっと違うような……?
でも、不安げに友達になってほしいと言ったあの瞳に、なんとか応えたいと思った。
高校生活を楽しくするかは、友達にかかっているかもしれない。冬香さんも私も、それは同じはずだ。
「女の子同士の楽しみってやつを、存分に教えてあげます」
私は礼さんの威圧に負けじと、精一杯胸を張って言う。
すると信じられない事に、礼さんから極上の笑みが溢れ、同時に頭の上にポンと置かれた右手。
「頼んだぞ、美卯」
「!」
不意打ちだった。
名を呼ばれた瞬間、その唇から目が離せなくなって、一気に顔が熱くなる。
何も返せない私に、礼さんは2度軽く頭を叩いて離れた。
冷たかった風が、少しだけ心地良く感じる。
春が……近いのかもしれない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「いや、師匠」
ゴーグルを外した光が礼に微妙な顔を見せる。
「ん?」
「最後持ってくなんてありですか?」
「いやいや、あの瞬間だけだろ」
光は左右を見回して、冬香がいない事を確認してから言う。
「意外とまんざらでもなかったりして」
「中坊に懸想なんてしねえよ」
即答した礼に、ガクッと首を横に倒した光。おいしいなと思った自分が、なんだか矮小な存在に感じる。少しだけ不貞腐れたように口を開いた。
「冬香さんも同じ年でしょ? 何が違うんですか」
肩を竦めた礼が鼻で笑う。
「ふっ、愚問だな。14の冬香を見たんなら分かるだろ」
上擦った唸りのような声を発した光が、思い出すように上を見る。
「う〜、背は低いですけど、外見年齢20歳前後の美女でした。あんな色気の塊のような人に迫られたら即落ちです」
うんうんと頷く礼は、腕を組みながら光に言った。
「今回は勉強になっただろ?」
「え?あ、はい。怨霊の中にさらに怨霊がいるとか、呪いが複合してたら怖いですね」
軽く目を見開いた礼は、光の顔をまじまじと見てから言う。
「それの複合体に潜ってる自覚ないのか?」
「え?」
「この案件より遥かに強力で複雑なものに潜ってるんだぞ」
光は目を見開く。
「どのくらい強力なんですか?」
「ふっ、まだまだ道のりは遠そうだな」
遠くを見ながら言う礼に、縋り付くようにして教えを乞う光。
「見捨てず助けてください!」
はいはいと頷く礼に安堵して体を離す光。
それを遠くから、金の毛並みの猫があくびをしながら見守っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
”はなちるさと”屋上は今日も清廉な空気に包まれていた。
虹色の反射を顔を受けながら、若月はじっと正面を見つめる。
着物の袖が緩やかに動き、癖の強い髪が水面に揺れる。
「…………」
ガラスのような物体に、そっと触れた。
本当に救いたい人はこうして閉じ込めている。人の死と直面した時に、いつも考えてしまう。消えそうな灯火を、助けてくれと言われる時にも、やはり考えてしまう。でも、これを誰彼構わずやってくれと言われても無理だ。
彼らにとって1番大切な人が、同じ状態でも断るだろう。それを助けるためには、自分の1番大切なモノを捨て去らなければならないから。
ふっと息を吐き出すと小さく言った。
「ごめんなさい」
『自分勝手だな』
心の中で誰かの声がそう語りかける。
「そうよ。だって、あたしは生きてるから……」
言い訳のように呟く。
『人なら助け合うべきだろう?』
「助けられない状態だった」
『そう思い込もうとしているだけだろう』
「そうかもしれない」
『教える事はできたはずだ。その上で彼らの力不足なら、諦めもついたんじゃないのか』
「…………」
『できるのにやらなかった。酷い人間だな』
「うるさいわね。それがあたしなのよ。自分のことはよく分かってるわ」
繰り返す自問自答。
理性と本能を行き来するようで気持ち悪い。
「だって、万人は救えないのよ」
言い訳が自分の心に返ってきて突き刺さる。
それに答える人もなく、ただ静かに水面が揺れるだけ。
ゆらりゆらりと揺れる景色を、若月はいつまでも見つめていた。




