聖霊 その21
「インスタントとティーバッグですね。これは最も簡単に淹れる事ができるものですよ」
驚くほど綺麗になったキッチンで、若月は冬香の説明を聞いていた。
「箱や缶に分量や入れ方、蒸らし時間などが記載されているので、それを守れば大丈夫です」
ずいっと目の前に出されたインスタントの瓶。そこに記載された文書を読んだ若月は首を傾げる。
「スプーンに1〜2杯ってどれくらいなの?これに2杯?」
そう言って若月が冬香に見せたのはマドラーだ。
「これはスプーンではありません」
「すくえるのに?」
言いながら引き出しを漁る若月が次に取り出そうとしたのは、食事用のプラスチック製スプーンだ。呆れた顔が若月に向かう。しかしすぐにふうっと息を漏らした冬香が言う。
「自分で淹れた事がなければ、そんな感じなのかもしれませんね。母もそうだったのでちょっと分かります。私が淹れてみてもいいですか?」
こくこくと頷いた若月に、冬香は満面の笑みを浮かべる。
「それではオーナーはカシェットを見張っていてください」
「はーい」
若月の返事にくすっと笑った冬香は、電気ケトルのスイッチを入れた。若月は冬香の指示に従って撮影部屋に戻る。
「もしかしたら戻ってくるかも」
冬香はそう呟くと、棚から紅茶のパックと急須を取り出した。
茶漉しにパックを2つ破って淹れると、ケトルに目を移す。すると、すぐにカチンと音がして湯沸かしの音が止んだ。
湯を回し入れ、そっと蓋を被せる。自分をいれた5人分の食器を出し、少しずつカップに注ぐ。急須に3回目のお湯を入れた頃、撮影室の方から若月の声。
「冬香ちゃん、絵が変よ!」
急いで冬香がカシェットの前に戻ると、絵が変化を始めていた。遠近感が統一されていき、絵の中から美卯の姿が消えつつある。
「これは、解呪したのでは?」
そう呟いた冬香は絵の前の空間に目を向ける。
「力はかなり弱いので、出てきても怪我をすることはなさそうです」
どのように出てくるのか、まだ誰も知らない。冬香と若月は絵の両サイドによけて、身構えて立った。絵は遠近感が統一された直後、細かい塵の様に崩壊して上昇していく。
「うわっ!」
「きゃあ!」
雷太、美卯が吐き出される様に出てきて、床に腰を打ち付けていた。礼が最後に出てきて軽やかに着地する。
「ただいま」
窓際に避けていた冬香に顔を向け、嬉しそうに言う礼に対し、立ち上がる元気もないのか、無言のまま床に手をついている平兄妹。
「おかえりなさい」
2人の様子を気にしながら、礼に顔を向けた冬香は、その後すぐに76.9センチ地点を見た。
次いで壁にも目を向けて、何も異変がない事を確認すると美卯に近づく。じっくり全身を見る様に眺めた後、ほっと息を吐き出して言った。
「よかった。魂も霊体も傷つく事なく解放できて」
若月が目を見開いて、
「本当に成功したのね」
と小さく呟いた。
「オーナーのおかげです。こんなに綺麗に切り離す事ができるなんて快挙です。これまで誰にもできなかった事ですよ」
冬香が嬉しそうに言うと、若月は首を振って答える。
「ううん、冬香ちゃんが助けてくれなかったら、不可能だったわ。あなたのおかげよ」
「いいえ、オーナーの力です」
冬香が重ねて言い、さらに若月が言葉を被せようとしたところで、礼から横槍が入る。
「そこ、いちゃいちゃしない」
冬香の背後から腕を回し、若月から隠す様に体を反転させた礼。
「それじゃあ、お茶を飲みながら報告会といきましょうか」
その背に若月の声がかかる。
「はい、すぐにお持ちしますね」
冬香がそれに答える。礼は冬香を解放すると同時に見下ろしながら、心配そうに聞いた。
「キッチンに入ったのか?」
「はい。暖かい紅茶を淹れました」
礼は優しく頷いて冬香を見送ると、若月に目を向けて聞いた。
「よく入れたな、あそこに」
「……説教をたくさん頂きました。でもおかげ様でとっても綺麗になったわよ」
礼は苦笑しながら言う。
「冬香が説教なんて想像できないが……ま、それならまともなモノが飲めそうだな。テーブル出すか?」
「そうね。椅子はあたしが出すわ。さ、2人とも一度立って」
平兄妹は言われるまま立ち上がり、無言で壁際に避けた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
私は冬香さんが淹れてくれた紅茶のマグカップを、両手で挟んでじっと中を覗き込んでいた。綺麗な薔薇色の表面に浮かぶ、微かな波紋をじっと見つめ、口を引き結んでじっとしている。
隣のお兄ちゃんも似た様な状態だった。
しばらく全員が無言で、ただ紅茶をすする音だけが静かな店内に響く。
「なぁお」
店の奥の方から猫の声がして沈黙を破る。猫なんていたっけ?
「ショックが、大きかったのかしら」
若月さんが気遣わしげに言う。
私は顔を上げて正面にいた冬香さんと、右横にいる若月さんに顔を向けた。
「今、こんがらがってて……色々整理してました」
「?」
若月さんも冬香さんも不思議そうな顔で私をみているが、何から説明すれば良いのか分からない。
「中では気づかなかったが……ひょっとして、雷太と同じか?」
礼さんからの助け舟に、私は飛び乗る様にして頷いた。
「たぶんそうです。だから、出てきてから急に情報が溢れてて……でも、なんとなく分かってきました。あ、いえ。思い出してきた、って言った方がいいかもです」
私の言葉に勇気づけられたのか、お兄ちゃんも顔を上げて口を開いた。
「俺は礼さんがいなかったら、何も出来ずに怨霊に飲み込まれてたかもしれません」
きょとんとしたままの若月さんと冬香さん。礼さんがやれやれと言った風に肩をすくめて紅茶を1口飲み、マグカップをコトンと置いて言った。
「2人がこんな感じなのは、現実での記憶がなかったからだ」
礼さんは一堂をぐるりと見て、一呼吸置いてから説明を始める。
「まず、雷太は中に入った瞬間から記憶を失っていた。その上で、なんらかの役を与えられていたな。雷太という記憶と人格が消え、菖蒲むいかを崇拝する同級生になっていた。妹のほうはそう見えなかったが、今の口ぶりからすると、別の人格や記憶は植え付けられたが、違和感があったってところだろ。一応は本能で自分を守っていたんじゃないか? 怨霊の近くにはいたが、無意識に自分で張った結界の中にいたようだし」
若月さんが口に手を当てて驚いている。
「記憶を失うなんて、怨霊が近くにいるのに危険! それに安全圏って何よ」
礼さんは再び紅茶を飲み、マグカップを置いてから説明する。
「教室の後ろに大きめの掃除道具入れがあって、それに注連縄が掛けられていた。そこが聖域のようになっていたな」
お兄ちゃんが頷いて若月さんに顔を向ける。
「美卯が自宅や神社に張っている結界と同じだと思います。無意識で張ってるみたいなんで、絵の中でも同じようにしたのだと思います」
礼さんもお兄ちゃんに同意したのか、2度ほど頷いて口を開く。
「なにしろ怨霊5体もいたからな。そこに取り込まれた魂及び霊体が8体。これはオレ達を除いた人数な。あとは虚像が数えきれないほどいたから、そりゃ無意識でも結界張りたくなるだろ」
「虚像って何よ」
天井から目を離した礼さんは、目にかかった巻毛を指で弾くと、若月さんに向かって説明する。
「形だけ作られた、感情の薄い人間みたいな存在。舞台が学校だったから違和感がないように作られた、人数合わせみたいなものじゃないか。霊体も魂もなかったが、言葉は発するし行動もする。明確な意思の有無までは分からなかったが、オレには空虚な存在に見えた」
「記憶がないわりによく観察しているわね」
そう若月さんが言うと、礼さんは首を横に振ってから説明する。
「オレは特に変化なしだ。記憶あったし、力も普通に使えたからな」




