聖霊 その18
「学校ではあまり友達を作らないようなタイプでした。でもそれは、おとなしいとか引っ込み思案とかじゃなくて、見下してる印象です。なんていうのか、外のもっと大人と付き合ってるとでも言いたげな……いや、でも言葉に出して言われたわけじゃないし、俺の勝手な印象です。この半年菖蒲を見てきましたが、美卯を傷つけるような事はありませんでした。迷惑かけても素直に謝るような性格だとは思いませんでしたが、話してみたらそうだったのかもしれません。それに、美卯は俺よりも能力が高い。その美卯が信じているなら、俺のできる事なんて見守るくらいしか……」
「ふっ」
鼻から小さな息を吐き出した礼に、俯きかけていた雷太の顔が上がる。
「妹の方が能力高いと分かっていながら、それでもお前は守りたいんだな」
「そりゃ……」
馬鹿にされていると感じた雷太はブスッと膨れたが、礼はニッと笑いながら言った。
「お前、名前は?」
「雷太です」
名乗る時の霊体の揺れから、自分への敵意や信頼度を測れるという礼の瞳が、じっと雷太を観察していた。
「なら雷太。自分の勘が正しいと証明するために、一緒に来るか?若月が成功したら、あの怨霊が隠してきた本質を見ることができるかもしれない」
礼の信頼に足るだけのモノが見えたようだ。
「一緒にって、どこにですか?」
雷太の質問に礼の指が青い小箱を指す。
「それじゃあ、さっそく変換してくるわね」
その小箱を持ち上げた若月は、1人その場を離れていった。
見送った雷太はカップに手をかけ、それを口に運ぼうとして、思い出したようにそっと戻した。冬香がテーブルに戻ってきた手に、再びそっと手を被せる。
「大丈夫です。昨日から色々試してて、全部成功していますから」
礼がさらにその上から手を被せ、冬香の手だけ剥がして持って行く。
その握った手をゆっくり下ろしながら、雷太に向かって説明した。
「目の前の飲み物が、不味いと分かっていても手が出る。そこに飲める物があって、自分に出されたものだと認識しているから」
突然何を言われたのだろうと、雷太は礼の目を見て瞬きをする。しかし礼は気にする様子もなく、続けて口を開く。
「無意識に行われる行動の延長線上に、自分への保護がある。これは能力者、非能力者に関わらず、本能によって行われる力の作用だ。今みたいに無意識と意識が混濁していると、行動がチグハグに見えるかもしれないが、実は本能で自分を守っている。多分、怨霊に対するお前の勘は正しい。だけど信じてやれ、妹の生きる力を」
雷太は言われたことの意味が分からず、しばし固まったように考えていた。
じっと自分の指を見つめていたが、納得したように頷く。
「なんとなく、わかりました。その本能は妹にもあって、無意識でも自分を守ってたって事ですよね。菖蒲が善か悪か分からなくても、いかに表面上の言葉で懐柔されていても、俺や仲間を悲しませる選択はしないって信じる事にします」
礼が無言で頷き、雷太はまっすぐその目を見て言った。
「連れていってください、怨霊退治に」
そんな雷太の決意を見た冬香は、若月の消えた方に視線を送る。
「少し時間がかかっていますね」
呟く様に言うと、するりと礼の側を離れ入口側へ向かう。
振り返った雷太が目で追っていると、冬香はデスクから何かの本を取り視界から消えた。
首を戻した雷太が、冬香の抜けた後の腕を持て余していた礼に言う。
「仲良しですね」
腕をテーブルに乗せ顎を手に置いた礼は、今度は口から長めの息を吐き出して言う。
「オレが一方的に絡んでるだけで、仲が良いわけじゃない」
そう言うと、つまらなさそうに窓に目を向ける。雷太は首を傾げながら答えた。
「そうですか? 彼女も気を許しているように見えたんですけど」
チラリと雷太を見る礼。
「そうか? 本当に?」
意外な反応に、雷太は少し上体を逸らして頷く。表情は変わっていないのに、ほんの少し機嫌が良くなっているような気がした。
「少なくとも、嫌がってはないですよね。されるがままですし、信頼しているからこそなんじゃないですか」
礼の口角が上がりそうに動いたその瞬間、雷太の背後から若月の声。
「待たせたわね」
振り返った雷太の目に入ってきたのは、青い小箱の代わりに絵画を持った若月だった。
「初めての感じで、イメージに手間取ったの。冬香ちゃんが画集を持ってきてくれて助かったわ」
若月に微笑みながら、嬉しそうな冬香が一緒に戻ってくる。
「なんですか、その絵」
雷太の声に、礼も若月の手元を見る。
「3種類目か」
礼の言葉に雷太の首が戻る。
「その絵は一体……? それに、初めてじゃなかったんですか?」
「この絵はカシェットって呼ぶ事にしたのよ。この調整は昨日から何度か行っているから問題ないの。ただ、中に入るのは初めてよ。何しろ時間がなくて」
「はぁ」
言われている事の半分も理解していない雷太は、ただ相槌を打つしかない。
「簡単に説明するわね。昨日、過去に閉じ込めた怨霊……つまりはストックしていた、さっきの青い小箱をいくつかこれに変えてみたの」
若月はそう言いながら、雷太の前にその絵を置いた。縦割りの遠近感がチグハグになった絵で、背景は自分の通っている高校だ。遠くに菖蒲らしき学生と、その横には美卯もいた。
「まず怨霊単体を閉じ込めた場合。絵はこうなったの」
別の絵を見せられる。そこには部屋いっぱいに薔薇の花が描かれていた。
「次に怨霊憑きの人ごと、絵に変換した場合はこう」
暗い森の中に小さな家がある。森の中は夜の様に暗いが、上には眩しいくらいの青空が広がる絵だ。
「怨霊ってのは、1人につき1体と言われているの。特殊な例を除き、それは間違っていないわ。だから、美卯ちゃんもそのケースだと思ったんだけど、違ったみたいね。恐らく、呪いを内包した、別の力が関わってる。それが怨霊なのかどうか分からないけど、強いモノである可能性が高いわ。あたしのイメージが勝たなかったのがその証拠よ」
首を傾げたいのを我慢しながら、雷太は若月を見上げる。
「勝つっていうのは?」
「こちらの都合の良いように閉じ込め、加工しようとしているの。抵抗されて負ければ、あちらのイメージが強くなる。こちらの世界へ引き摺り込める事ができたら、この絵の様になるのよ」
薔薇を指差す若月に、雷太は首を傾げて聞いた。
「この、変な絵ですか?」
若月は意外そうに目を見開く。
「あら、知らない? 美術の教科書にも載っていると思うけど」
冬香が持っている本には”Magritte”と書いてある。
「美術、あまり興味なくて……。なんか、すみません」
小さく首を横に振った若月は、美卯の閉じ込められている絵を冬香に渡す。冬香は画集を脇に挟んで、雷太の目線のその先に移動した。
やがて壁で立ち止まり、そっと手をかざしたタイミングで、ガラスの割れる音。
「え?」
思わず右側にあるガラス窓に目を向ける雷太だったが、そこには異変がない。次いで床を見てみるが、そこにも何もなかった。ついでに背後も左も確認したが、当然のように何も変化がない。
視界の端で冬香が絵を壁に置いているのが見える。空耳だったのかと壁に目を向けると、一瞬視界が揺らめいた。
「位置はそこでよさそうね」
若月が呟き、それに冬香が答える。
「ここが一番、捩れを産みやすい場所ですね。でも、ちょっと弱い気がします」
「試してみるか」
礼が立ち上がって移動を始めたので、雷太も慌てて続いた。
「76……77センチくらいの所に立ってくれますか?」
冬香がそう言って、礼と雷太を見る。礼について壁に近寄る雷太は、先ほど見た揺らめきを再度目にする。
「一応、掴まってな」
礼に言われて、雷太はその腕を掴んだ。
揺らめきの中に入ると、体に不思議な負荷がかかる。内臓が捩れるような不快感。
「気持ち悪くなりませんかね……」
「……」
礼が答えてくれないので、前方左手にいるであろう冬香を見ようとした。しかし気がつくと周りの景色がすべてぼやけている。
「え! こ、これって?」
「…………」
内臓の不快さが増して、強風でも吹いているかのように髪が攫われ、体が右に左に倒れそうな気がした。
「あ、危なくないですか? これって本当に大丈夫ですか!」
恐怖すら感じ始めた頃、背後からグイッと惹かれて尻餅をついた。雷太は何事かと辺りを見回す。




