聖霊 その17
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次の日、私はお兄ちゃんと一緒に”はなちるさと”に来た。将生さんが見た映像を私は聞いていないから、それを説明してもらうためだ。
お兄ちゃんは将生さんからのアイデアで、お母さんにエステチケットのプレゼントまで用意してくれた。みんなどれだけこの日のために頑張ってくれたんだろう。
オートロック解除後は、少し身構えたがあっさり通れた。入口で少しだけ抵抗があったけど。むいかさんを見ると、少し嫌そうな顔をしていたが、拒否の仕草はしなかったのでそのまま進み、お兄ちゃんと3人でエレベーターに乗り込み店に向かう。
玄関に出迎えてくれたのは若月さんだった。
「……は……はじめ、まして!」
お兄ちゃんの声が上擦っている。綺麗だと前情報を与えていたのに、想像を超えていたのかもしれない。
「あれ?」
見上げた若月さんの雰囲気が、昨日とは大きく違うような気がした。どう違うのかと言われると困るが、輝きが増しているとか、華やいでいるとか、そんな感じだ。
「待ってたわ」
若月さんはそう言うと私の肩に手を置いてから、続いてむいかさんの肩にも触れる。
「うまくいきそうよ。でも、詳細を説明するから、お兄さんも了承してくれたら、実行に移す事にするわね」
私はそれに頷きながら、スリッパに履き替えて中に入る。お兄ちゃんも慌てたように後に続く。
若月さんは奥に消え、私とお兄ちゃんは入ってすぐの場所で立っていた。ふと左の部屋を見ると、昨日は見かけなかった人物が2名いる。
スチール椅子に腰掛け、組んだ足に肘をつきながら、不機嫌そうに手に顎を乗せた男。手足も長く、見惚れるほど美形だが、誰なのかと尋ねてはいけないような空気を醸し出している。若月さんと喧嘩でもしたのだろうか。
その男の横には、興味深げにこちらを見ている少女。
隣の不機嫌さなど気にならないのか、薄く微笑みさえ浮かべてこちらを見るものだから、うっかり目が合ってしまった。軽く会釈をしてみると、嬉しそうにふわりと微笑んで、こちらへ寄って来ようとした。
しかし、その動きは不機嫌な男の腕によって阻止されたようだ。
「怨霊付きだからしかたないよね」
ぽつりと言って、少しショックを受けた事に驚く自分がいる。
ここの関係者なら見えて当然だ。しかし今まで見える人達には、近寄りがたい態度をとられた事がなかった事に思い至る。そして慌ててむいかさんに目を向けた。
傷つけたかもしれない、そう思って見たのだが、むいかさんは目を閉じてじっとしている。眠っているのだろうか?
「美卯ちゃんのせいじゃないのよ。妬いてるだけだから、気にしなくていいわ」
奥から歩いてきた若月さんは、5人分の飲み物を乗せたトレーを抱えている。隣でお兄ちゃんが硬直したのが分かった。
「あっちの部屋で説明するわね」
不機嫌男と少女の方へ歩き出す若月さんに続いて、私とお兄ちゃんも移動する。
木のテーブルと椅子が用意されており、窓際に若月さん、その隣に私とお兄ちゃんが壁に向かって座る形になった。不機嫌男は若月さんと向き合っており、少女は横から腕を回されたまま立っている。身長は私と同じくらいで小柄だ。そのせいで、目の高さは隣の男と一致している。
「まず紹介するわね。この機嫌悪そうに見えるのが”安堂寺 礼”で、美卯ちゃんに興味津々なのが”剱 冬香”よ。今からあたしが作る絵画を特殊な結界で守るのが冬香、中に入るのが礼ね」
かちゃかちゃと小さな食器の音と共に紹介される2人の説明に、きょとんとしたのは私だけじゃないはず。お兄ちゃんだって言われた内容がよく分からないんじゃないかな。
「えっと……?」
私たち兄妹を交互に見た若月さんは、少し眉を下げてから微笑む。
「生きた人間と霊体だけのモノを引き離せるの。霊体の損傷もないはずよ。ただ、これをやるのは初めてなのよね。だから、もし怖いのならやめてもいいわ。実験体にしたい訳じゃないから」
「いや、えっと……」
私が何も言えずにいると、お兄ちゃんが口を開いた。
「怖いというより、よく、分からないって言うか……」
私は頷きかけて固まる。
これまでもよく分からない事が多かった。聞いても理解できない可能性だってある。それなら、委ねてしまう方が良いんじゃないかって気がしてきた。
「飲み物、どうぞ」
若月さんに言われるまま、お兄ちゃんと2人顔を見合わせて、ほとんど同時にカップを持ちお茶を飲む。
「にが……」
お兄ちゃんが小さく言う。私は口に含んだ緑茶らしきモノを呑みくだし、若月さんの目を見て言った。
「私、大丈夫です。すべて、お任せします」
ガラス玉みたいな青い目が優しく微笑む。
「美卯!」
「だってお兄ちゃん、私たちこの半年何もできなかったじゃない。むいかさんも言葉を失ったままだし、犯人も確定できていない。きっとあいつだろうって思っても、確認できる手段もないし……」
それに、と呟く様に言ってから、お兄ちゃんに向かって口を開く。
「私の体力が減るくらい良いの。でも死ぬって言われたら、やっぱり少し怖いし、私の体力を糧にする事で、むいかさんが怨霊化するのも嫌。この状況を変えてくれるなら、リスクがあってもお願いしてみたいの」
そこまで言っても、お兄ちゃんは渋い顔をしている。カップの横に置かれた手はぎゅっと固く握られ、迷いよりも拒否が勝ってるみたいに見えた。
そんなお兄ちゃんの手に、そっと手をかぶせる少女。
「大丈夫。あなたの懸念は分かっています。でも、私たちを信じてもらえませんか。妹さんは傷つけません。必ず助けます」
お兄ちゃんを見上げる冬香さんは、少女と呼ぶにはあまりにも大人びて見え、私までドキドキしそうだった。
赤くなったお兄ちゃんは、それでも少し渋る様にしていたが、じっと見上げてくる冬香さんに根負けしたのか、最終的には首を縦に振っていた。それを待っていたかのように、若月さんが立ち上がる。
「それじゃ、美卯ちゃん。少しだけ、目を閉じてて」
私は言われるまま目を閉じた。明るい光が瞼を通り抜けて見える。
それを最後に、意識が途絶えた。
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「え、美卯!」
雷太の声が店内に反響する。
青い光が眩しすぎて目を閉じてしまった。再び開けた時には、妹も同級生も見当たらない。
その代わりに現れたのは、テーブル上の青い小箱。
カツンと指で箱の上部を押さえた若月から説明がある。
「これは封印の小箱。シランスと呼んでいるわ。今、彼女たちはこの中で、時を止めている。今からこれをさらに加工して、本格的な解呪に入る。でもその前に聞きたいの。兄のあなたから見て、あの怨霊はどうなの」
少し表情を変えた雷太は、真剣な面持ちで若月に顔を向けた。
「俺の、同級生だったモノです」
「生前の彼女と印象は違う?」
ゆっくり頷く雷太に、若月はふうっと息を吐き出した。
「やっぱりね。でも美卯ちゃんが傷つきそうで言ってないのよね」
若月の問いに、雷太は少し考えてから返答した。
「はい……あ、いえ。確証がないから、と言った方が正確です」
自信なさそうな言葉に礼から質問が飛ぶ。
「なんの確証だ」
今度は礼に顔を向けた雷太。
「同級生ですがほとんど話した事がないので。仲間が見た怨嗟からして、被害者なのは間違いないだろうし、霊体のあの姿が本質なのかもしれない。そう思うと、生前の俺の個人的な印象を伝えるのも違うような気がして」
「怨霊は基本嘘つきだぞ。生前はどんな印象だったんだ」
雷太は目をテーブル上のカップに向け、取ろうとしてやめた。




