聖霊 その13
しばし回想の中にいた若月は、オートロックの呼び出し音で我に返る。
「はいはい」
誰に言うともなく口に出しながら受話器を取り、モニターも確認せずに解錠した。
次の予約客が来る時間だからだ。
ちらりと時計を見ると、予約時間の5分前だった。
「あ、冬香ちゃんが見学したいって言ってたのに、出ていっちゃったわね。すぐ帰ってくるかしら」
答える者などいないが、独り言を口に出しながら、写真に使うライトやストロボをセッティングし、玄関チャイムが鳴るのを待つ。
すっかり用意が整った頃、再度オートロックのチャイムが鳴った。
「あら? そういえば、まだ上がってきてないわね。開かなかったのかしら」
首を捻りながら言う若月。
「はーい、どうぞ」
モニターに映る女性をちらりと確認して解錠した。
その直後、店の電話が鳴る。
「はいはい」
言いながら玄関に置いてある電話前まで移動すると、受話器を取ってワントーン高めの声で出た。
「はーい、はなちるさとでございます」
『あ、若-月。しば-らく-戻れないそうに-ない。後よ-ろし-く』
礼の声だが、聞こえ方が変だと思い、片眉を上げる。
電波が弱い時の聞こえ方だ。こちらが原因ではないので、相手側に原因があるのだろうが、そうするとこの短時間でどこへ行ったのか。
「しばらくってどれくらいよ」
『飛-ばさ-れた。冬-香の話-じゃ、ヤ-バ-イ-奴がいる場所ら-しい。どっか-の山奥っ-てくら-いしか情報-ないから、なんと-も言えない-』
ああ、なるほど、と若月は納得した。自分の耳が勝手に補正していると分かり、切れてしまわない内に返答した。
「分かったわ。また連絡ちょうだい」
見学は無理だなと考えながら、玄関に目を向ける。
「まだ、かしら?」
もしや、解錠できていない? 故障じゃないわよねと、若月はモニターに目を向ける。
その直後。
再度、モニターが点灯して呼び出し音が鳴る。
「はい」
短くそう言って出た若月は、先ほどとは違いしっかりと画面を見た。
「あの、なぜか入れなくて」
先ほど写った女性……いや、少女が困った様子で言う。その背後に、怨霊のような存在を見て納得した。
「あら、故障かしら。1階までお迎えにいきますので、少々お待ちくださいね」
そう言って受話器を置いた若月は、しばし顎をつまんで考える。
「写真の、お客さまよね?」
そう独り呟くと、入口付近に置いてあるデスクの引き出しから、金と銀のカードを1枚ずつ持ち、胸ポケットに刺すと肩を竦めて店を出た。
「すみません、下まで来てもらって」
「いいえ〜」
笑みを作ったまま、若月は流し目で霊体見る。魂があるように見えるが、何も声を発さない。やはり朧だろうか。もしくは特殊な怨霊だろうか。若月はそんな事を考えながら、ガラスのスライドドアの内側に入った。
「ご予約の菖蒲さんですね。さ、どうぞ。奥まで進んでください」
脇に控えて待つようにすると、手を否定の動作のように振りながら、頭を下げつつ前に進む少女。背格好は冬香と同じくらい。顔の輪郭からするとまだ幼く見えるが、中学生くらいだろうか。
冬香がやたらと大人っぽいので、少々感覚が麻痺している。
「私は”平 美卯”って言います。今日は付き添いで……」
そこまで言って、美卯の足が止まった。霊体が結界につっかえてそれ以上進めないからだ。何が起きているのか分からないようだ。この結界で吹き飛ばないとは、なかなか強力な霊体である。
「確認なんだけど、付き添いって誰の?」
美卯は怨霊を指差す。
「菖蒲むいかさんの付き添いです」
見えている前提で話が進んでいる事に、若月は不審を覚えて片眉を上げた。
「写真の、お客様よね」
「はい」
しばし返答に困ったが、もう少しだけ確認しようと口を開く。
「菖蒲さんが写るの?」
「はい」
「写ると思う?」
そう問うと、チラリと怨霊を見た美卯は、そのまま目線を若月に向ける。
「やっぱり、難しいでしょうか」
どう答えようか逡巡しつつ、霊体を観察する若月。
やってみた事がないだけになんとも言えないし、結界があって霊体は中に入れない。
「彼女、中には入れませんか?」
「結界は見えないのね。融合前はね、通れないのよ」
「融合……じゃあ、まだ大丈夫なんですね」
美卯と怨霊が、顔を見合わせて頷いている。
「あなたの霊体と少しでも融合していたら、通れるようになっているの。乗っ取りが始まってるから、人に近づいてるって事なんだけど……ま、今はどうでもいいわね、そんな事。ねえ、どうして写真を撮りたいの? 誰にも見せられないでしょうに」
若月がそう問うと、美卯はぐっと拳を握りしめて言った。
「あいつに突きつけて、確認するためです」
怒りからだろうか。彼女の拳はブルブル震えている。
「何か複雑な事情があるようね。いいわ、少し歩くけど、近所に大きめの公園があるの。そこで事情を聞かせてくれる?」
美卯と怨霊が同時に頷いた。
若月の先導で歩く事10分弱。
「本当に広い公園ですね。こんな街中なのに」
美卯は若月を見上げて言うと、さらにきょろきょろと辺りを見渡す。
「あ……」
小さな声を漏らしたが、今見ているところから、さりげなく顔を反らせる美卯。
「ふぅん、あの古杣も見えるのね」
木の幹に、白いコブ状の塊。中心に向かって緩やかに渦が移動している、無害な古杣だ。
もうほとんど声は聞こえないが、木を護ろうとしている精霊のような存在だ。
だから、その木の周りは、清浄な気配が満ちている。
おまけに空気の流れが調整されていて、冬は少し暖かく、夏は少し涼しい。強い風さえ吹かなければ過ごしやすいので、この公園で一番のお勧めスポットだ。
「古杣って言うんですか、あれ。よく見かけるのとちょっと感じが違うので、なんだろうって警戒しちゃいました」
こちらが警戒している事を察しての言葉だろうか。それとも、本当に知らないだけ?
「例えばどんなものをよく見かけるの?」
「あれに形状が似たものは、もっと黒くて渦が早くて、近づいたら噛まれそうな感じです。木に憑いているのをよく見かけますが、育ちが山だから、でしょうか」
ふぅんと言ってから、若月は古杣の前のベンチで立ち止まった。
「女性に年齢を聞くのは失礼って分かってるけど、10歳以上で15歳未満かしら?」
美卯は頷いて応える。
「14歳です」
冬香と同じ年なのか。この子が幼いのか、冬香が大人びているのか。
いや、冬香が異常なのだろう。
「その年齢で古杣が見えているなら、他にも色々見た事あるでしょう?」
「人みたいなやつですか? 黒いのと白いの。でもそれはむいかさんみたいに……」
肩の霊体に目をやり、言葉を続ける美卯。
「循環してないやつです。頭から煙を出していて、減ってく無害な白いのと、悪意を感じる黒いやつは、よく見かけます」
「循環……」
怨霊が見えても、古杣は見えない事が多い。古杣が見えて、朧や傀と怨霊との違いに気がついている者はさらに少ない。
魂のない霊体だけの存在が出しているそれは、煙ではなく細かく剥離する霊体の一部だ。意志がない故に食い止める事ができない。
怨霊は魂がある霊的存在だから、その意思力により体表が剥がれずに留まっている。
よく見えているのに、あまり詳しくない。
初歩的とも言えるその知識がないのであれば、神宝関係ではなさそうだ。
若月は、古杣の近くのベンチに腰を下ろしながら言う。
「あれは精霊に近いものよ。警戒しなくて大丈夫だから、ここに座りましょう」
そう言うと美卯は遠慮がちに、若月となるべく距離を空けるようにして座った。
「遠いわね。大きな声で話せる内容なの?」
はっとした美卯の顔。あたりを見回して、恥いる様に下を向く。
「公園だし、あなたには指1本も触れないと誓うわ」
そう言うと、美卯は慌てたように口を開いた。




