思いがけない転倒劇
初めまして、千歳ましろと申します。
はじめてのなろう小説、更新頑張ります!
更新は不定期ですが、週1ー3ペースで挙げていけたらなと思っています。
気楽に読んでいただけると嬉しいです。
午前8時45分。七瀬香澄の朝は、キャリアウーマンらしからぬ不運から始まった。駅前の交差点、青信号に促され歩き出した時だった。何かにつまずき、思いがけない転倒劇を演じてしまったのだ。
「いったぁ……」
あまりにも不格好な転び方に香澄は内心赤面した。まさかこの年になって、子どものようなずっこけ方をするなんて。しかも日々のデスクワークで身体能力は人生のどん底、踏み込もうとした足も、受け身を取ろうと伸ばした手も間に合わなかった。恥ずかしい、恥ずかしすぎる──これ以上ない羞恥を覚えながら立ち上がろうとしたその時、香澄ははたと硬直する。
何かがおかしい。彼女の脳裏に直感のように過ったそれ。
手のひらに感じる地面が、整備されたアスファルトではなく柔らかな土だったのだ。おそるおそる顔を上げると、目の前には人、人、人の集まり。しかも彼らは半纏や野良着姿、手ぬぐいを頭に巻き、腰には鎌を下げ──と、時代劇に出てくる村人たちのような恰好をしていた。
この光景は例えるならそう、水戸黄門一行が旅の途中で出会う、悪徳商人に騙された村人たち。彼女の脳裏に、不意にあの有名なメロディーが流れはじめた。ゆったりとした調子でありながら、確かな足取りを思わせる響き──そしてその音楽の中を整然と進む一行の姿。
香澄は茫然と村人たち(仮)を見つめ、彼らもまた目をまん丸にして香澄を見つめた。
「えっ……?」
スーツに身を包んだキャリアウーマンと、この古めかしい風景の対比はあまりにも滑稽だった。
「お前誰だ? どこから入って来た」
「見ねぇ顔だな」
「その珍妙な恰好はなんだ?」
しばしの沈黙が流れ、はっと我に返ったのは村人たちが先だった。香澄は矢継ぎ早に質問を繰り出され、「え? は、えっと……」と困惑する他なかった。どこから入ったかなんて私が知りたい。珍妙な恰好はそちらの方だろう。もしかしてドラマか映画の撮影だろうか? まさかまだカメラが回っていて、役に徹しているとか? なんて思いながら再度周囲を見渡してみるも、撮影現場らしい機材はどこにも見当たらない。
そうしてふと、母娘らしい二人が肩を寄せ合い頬を濡らしたまま、こちらを見ていることに気づいた。娘は10歳にも満たないような見た目で、その隣には人を乗せて運ぶ籠──テレビで見るよりかなり簡易的で粗末なつくり──があった。
その様子を見て、香澄はますます困惑した。母と娘の涙。粗末な籠。村人たちの緊張した様子。これは何かの別れの場面だろうか。婚姻? 奉公に出す? 身請け? はたまた病気の隔離? 頭の中で次々に可能性が浮かんでは消えた。
しかし、そもそも自分がなぜここにいるのかさえ理解できていない香澄には、目の前の状況を論理的に把握する余裕などなかった。突如としてこんな場所に放り出された混乱が収まらない。映画のセットにでも迷い込んだのか、それとも夢でも見ているのか。香澄の頭はますます混乱するばかりで、状況を理解しようという思考さえも上手く機能していなかった。
「あのう、……ここは一体」
転倒した姿勢のまま香澄は問いかけた。通常なら真っ先に立ち上がるはずなのに、それすらできないほど混乱が彼女を支配していた。
彼女の問いかけに、村人たちは沈黙で応えた。代わりに、布をかぶった男が隣の痩せた男へと身を寄せ、耳打ちを始める。その囁きは波紋のように広がり、やがて村人たちの間で密やかな協議が始まった。声は香澄には届かない程度に抑えられ、それがさらに彼女の不安を煽った。
理解不能な状況に置かれた焦りと、無視されている苛立ちが香澄の中で膨れ上がっていく。コンクリートとアスファルトの世界から突如として放り出された混乱に加え、この不可解な村人たちの態度は、もはや我慢の限界だった。
その時、香澄のすぐ傍にいた筋骨隆々とした男が突如として動いた。彼の目が光り、周囲の者たちへ合図を送る。
「いけっ! いまだ! 縛れ縛れ!!」
「えっちょっと待っ、……もがっ」
あれよあれよという間に香澄は拘束され、口には手ぬぐいを噛まされ、そのままひょいと粗末な籠に押し込められた。事態が飲み込めず、必死に視線を走らせた香澄は、再びあの親子の姿を捉えた。彼女たちは——互いを強く抱きしめながら、なぜか泣いて喜んでいる。
(どういうこと!?)
親子の傍らに立つ年老いた男が「良かったなあ、良かったなあ」と繰り返しながら、幼い娘の頭を撫で、母親の肩を励ますように揺らしている。その光景に困惑する間もなく、香澄の視界は突如として暗転した。目にまで手ぬぐいを被せられたのだ。
「ん゛ん゛ぁー!!!」
香澄の布越しにくぐもった怒りの声は、村人たちの歓喜の声に掻き消され、虚しく宙に消えていった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
ずっとあたためていた話なので、書きながらとっても楽しかったです。