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酔いどれ菩薩

作者: 須方三城

 夜の廃寺ってのはとても良い。

 風情はあって仏の気は無し。


 堅く閉ざされたボロ門の前にでんと座り込み、朝まで『薬』を呑むのが拙僧の日課である。


「坊主のクセに酒を呑むのか」


 怪訝な問いかけが降って来た。

 瓢箪の口で笠を押し上げて見ると、図体のデカい強面の女がこちらを見下ろしていた。


 ……やれやれ、物を知らん人間だ。

 まぁそう言う衆生に知恵を授けるのも我らの務めか。


「これは般若湯はんにゃとうと言う薬ですよ。弘法某こうぼうなにがしも認めし妙薬。生きる苦しみにすぅっと効きます」

「弘法某とは誰だ」

「人間の何か偉い奴です」

「そうか」


 女はそう言うと、拙僧の隣にどすんと腰を下ろした。

 がぎゃっ、と妙な音が鳴る。堅い何かが石畳を削るような……。


「おや、お武士様でしたか」


 女が腰に帯びていた刀、その鞘が石畳を擦った音だった。


「すまないが、その薬を分けてくれ」


 女は気怠そうにのそっと手を差し出して来た。

 傷だらけに痣だらけ、骨太で堅そうな肉もたっぷりついた益荒男めいた剛腕である。


 こんな腕でぶたれでもしちゃたまらねぇな、と渋々薬を分けてやる事にする。

 一晩かけて呑み尽そうと傍らに置いていた瓢箪の群れからひとつを取って渡すと、女は会釈もせずに栓を取った。


「……にゅあい」


 一口あおった途端に強面がくしゃっと歪んだもんだから、思わず薬を噴いて笑ってしまった。

 ギッと鋭く睨まれるのを感じたが、酒……じゃなくて薬の味も判らんお子様に凄まれてもねぇ?


「良薬は口に苦し。ゆっくり慣れていきなさい」

「…………」


 女は一口ちびっと呑んでは「ぅく」だの「みぅ…」だの奇声を上げる。

 面白可笑しくて隣で呑めたもんじゃねぇ。


 薬は一旦やめよう、と言う事で瓢箪に栓をはめ直し、夜空に視線を向ける。

 良い曇り空だ。見えない物はいくらでも都合よく想像できる。新月の日に満月を見る事だってできる。


「……苦いが、不思議な感覚になる。ふわふわだ」

「その感覚は心地良いと言うんですよ。極楽の入り口とも言う」


 まぁ慣れん内は翌日に地獄を見る事になるがな。

 極楽と地獄は紙一重。地蔵の笑みと閻魔の顰め面は表裏。


「……うむ……まぁ……悪くない……」

「それは良かった」


 ふわりと吹く春の夜風が、薬で温められた体を程よく撫でてゆく。

 女もそれが心地良かったのだろう、最初の強面はどこへやら。ふにゃけた赤ら顔がそこにあった。


「確かに、これは苦しみを忘れられそうだ」

「何かお辛い事でもあったんですか?」

「……ずっと続いている」


 そりゃご苦労さん。


「私は『見えてはいけない物』が見える。小さい頃からずっとだ」

「……ほう、それは奇異な話をしますね?」


 刀の柄尻を指で擦りながら女は重い息を吐いた。

 酒気と一緒に何か色々混じってそうだ。


「けれど、私以外は誰にも見えない。だから、襲われて、助けてと言っても……誰も助けてはくれない。むしろ気味悪がられる」


 ……だから自分で斬り殺す事にしましたと。たくましい事だ。


「今日は悪霊に取り憑かれた子供を見かけた。助けるために悪霊を斬ったが……周りからすれば私は……」

「ふむ……『抜刀して子供に詰め寄り虚空へ刀を振り回す不審者』とかですか?」

「……まさか、人相書が出回る事になるとは……」

「あら、お尋ね者でしたか」

「悪い事してないもん……」


 かわいそ。


「小さい頃からその調子ですか。よく頑張りましたね。お疲れ様です」


 お憑かれ様、の方が正確だろうか?


「………………」


 女はきょとんと不思議そうにこちらを見ている。


「……今の話、信じるのか?」

「作り話だったんですか?」


 だとしたら労いの言葉を返せ。


「いや、本当だけど……」

「じゃあ信じるも何も無いでしょうに」

「………………」


 何を思ったか、女はぐいっと薬を一気にあおった。

 ぷへあっ、と大きく息を吐いたかと思えば、そこからはまるでせきを切ったよう。


「昨日は大きなヘビの妖怪を斬った」

「ほほう、それは勇ましい」

「一昨日は鼻の長い鳥人間のバケモノをなますにしたんだ」

「なんとまぁ、大活躍ですねぇ」

「三日前は悪霊の親玉みたいな奴も斬ったぞ!」

「めっちゃ斬るじゃん」

「それから四日前は……」


 突然、ばたんと女が倒れた。すぴーすぴーと呑気な寝息が聞こえる。

 寝息に混ざり、うわごとで「鬼の……首も……千切り……」等と物騒な言葉が聞こえる。


「……酔いが回りましたか」


 興奮すると薬効が強くなる、それが般若湯だ。

 ようやく落ち着いて薬が呑める。瓢箪の栓を抜いて一口。うん、良き。


 それにしても……人間のクセに魔の物が見える、そして斬ってきた、か。


 妄言だと笑い飛ばすのは簡単だが……酒、じゃなくて、薬の席で語られる話の真偽がどうのと考えるのは余りに無粋。

 どうせ酒気のせいで頭など回らぬのだから。



   ◆



「……おや、一日ぶりですね」


 拙僧の言葉に応えず、今日もやってきた女は当然のように拙僧の隣にどかんと座った。


「今宵も薬は必要ですか?」

「……朝から頭が痛い」

「薬の副作用ですね。呑み慣れれば平気になりますよ」

「じゃあ、今日も分けてくれ」


 はいはい迎え酒、と瓢箪を渡すと女は栓を抜き、一口目から喉をごくごくと鳴らして呑み始めた。


「……にふぁい」


 お子様がよぉ。


「……今日は、米蔵を漁っていた妖怪を斬った」


 そんで今日も今日とて魔物退治と……。


「……ん?」


 何やら視線の圧を感じる。

 女はじいっとこちらを見ていた。


 ………………。


「それは、今日も大活躍ですね。お疲れ様です」

「うん」


 女は満足したように頷き……しかしそのまま俯いた。


「罪状に米泥棒が追加されたけど……」

「子供を襲い米を盗む武士かぁ……」

「私は悪くないもん……」


 女はしょぼんと背を丸め、くぴくぴと薬を呑み進める。


「まぁ、その調子で徳を積みなさい。報いは必ず訪れます」

「報い……?」

「善因善果。善き行いには善き成果が伴うもの」

「……私、世間的には子供を襲う米泥棒なんだけど」

「それは人の世の評価でしょう。徳の報いは人の世から離れた後に訪れる」

「……生きている内に報われたい」


 判らんでもない。


「では、明日の晩もここに来なさい。薬を分け、労う程度の報いならば拙僧でも与えられます」

「……判った」


 まったく、妙な奴の面倒を見る事になった。


 まぁ、哀れな衆生を救うのも仏の修行。

 薬を嗜みながら修行できると言うのは悪くない。

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